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短歌 もう散るね

もう散るね とっても嬉しそうなきみ終わりってそう、救いだからさ

ピカピカの一年生かおめでとう今が一番輝いてるよ

すべりだい滑り落ちてく楽しさを大人になっても忘れていない


夫の強い勧めで、燃え殻の「夢に迷ってタクシーを呼んだ」を通勤のお供に読んでいる。夫はとにかく本を読むけれど、人に勧めることは滅多にないから、よほど私に読ませたいのだろうな、くらいの気持ちで借りた。

燃え殻の著書は、「ボクたちはみんな大人になれなかった」を読んだことがある。うっかり電車の中で読んでしまい、新宿三丁目駅あたりでボロボロに泣いてしまった記憶があるので、その点を警戒していたのだけれど、あっという間に作品の中に没入してしまい、あっけなく滂沱したのだった。今回は調布駅を東へ少し過ぎたあたりだったと思う。

「刺さるぅ〜」という褒めの表現があるが、燃え殻の作品はそれどころではない。たぶん、私が普段努めて、また無意識のうちにがんばって蓋をしている感情や記憶に、ダイレクトに呼びかけてくる。それは叱りつけるような警鐘のようで、必死に訴えかけるような悲鳴にも聞こえる。そこに、「体験してしまった者」にしか感受しえない「どうしようもなさに対する諦念」という形を借りた「でもさ、大丈夫なんだよ」というメッセージが通底していると、私は感じている。

いまの社会では経験しないほうがいい(とされる)経験を、しかしひとつも喰らわないで成長することは、恐らく無理ゲーだ。家に帰って珍しくテレビをつけると、小学校の入学式が取り上げられていた。

「ピカピカの一年生のみなさん、入学おめでとう!」

ニュースキャスターが弾んだ声で言う。途端に私は、暗い気持ちに襲われる。ピカピカなのは、そう見えるだけだろうし、たとえその時点でピカピカだったとしても、これから先の学校生活で、嫌というほどボロボロにされるんだよ……。

それで、傷つくことを恐れるあまり「傷つけられるより傷つける側になる」ことが割と学校生活での重要目標になってしまって、テストの点数やら大人からの評価やらで勝手につけられる価値や優劣を鵜呑みにして苦しくなったりして、とか。。枚挙にいとまをください。

そうねー……、保健室登校やら不登校やらデートDVやら精神科への入院やら引きこもりやらパワハラ退職やらなにやらかにやら、おかげさまでこれまで経験させてもらったけど、でも、まぁ今日もこうして生活してるもんなー。こうして並べて書くと、ちょっとてんこ盛り感があって面白い。

今朝は、しめじの味噌汁が美味しいと夫が褒めてくれたけれど、私がずっと「しめじ」だと思っていたものは「ぶなしめじ」で、いわゆる「しめじ」というのは「本しめじ」のことらしく、なかなか手に入らない逸品なのだそうだ。知らないことのほうが圧倒的に多くて、とても嬉しくなったりした。

笑っちゃうくらい増えた体重がなかなか戻らなかったり(薬の副作用だそうな)、死にたい気持ちを払いのけるのさえ面倒になるくらい仕事に追われたり(だから死なない)、今日だって電話で取引き先の人にこってり叱られたり(でも大して気にはしてない)したけど。

でもさ、大丈夫なんだよ。

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