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その真珠には愛がつまっている

大学時代からの友人に驚かれた。彼女は外国人である。

「えっ、いとこ同士で結婚?! ありえない! 日本ではアリなの?」

お茶を飲みながら私の祖父母について話していたときのこと。うちのおばあちゃんとおじいちゃんはいとこ同士だからさ、と言ったら、彼女はのけぞった。「近親すぎない?」。

ああ、そうか、これまでもときどき外国出身の方に驚かれたなあ、と思い出した。

田舎の大きな商家出身の祖母は、明治末期の生まれ。20代のはじめまでが結婚適齢期とされていた時代に、25歳まで独身だったという。少々わがままで「私はこの家にずっといるんやから」と言って大叔父(祖母の弟。商家のあととり)を困らせたと聞いた。

祖父は、そんな祖母が幼い頃から好きだったと言っていた。堅物カタブツな祖父がいきなり恋心の話をするものだから、小学生だった私はびっくりしたものだ。

本家のわがまま娘と、分家の三男坊。祖父は祖母より一つ年下だった。当時としては「いきおくれ」となってしまった祖母と結婚の話が持ち上がったとき、祖父はとんでもなく嬉しかったそうだ。

「一つ年上の女房は金のわらじを履いてでもさがせ、って言うんやで」

嬉しそうに語る祖父の姿が忘れられない。なんども同じことを聞かされたから、私は小学生にしてこの言葉を覚えてしまった。年上の妻は夫の気持ちをくむのがうまく、よく支えてくれるから、そんな女性を根気よく探せ、という意味だそうだ。

一つ年上であることはさておき、祖母はしゃなりと歩き、さっと座る姿の美しい女性だった。和裁・洋裁どっちもこいの器用な人で、日本人形の衣装をつくるのが趣味だったり、流れるような達筆ぶりだったりと、子ども心にかっこいいと思った。きっぷのよさや趣味の高さを、祖父も好きになったのだろうと。祖母のちょっとしたわがままをにこにこと見守る祖父の姿を、私も記憶している。

祖父が80代後半で亡くなったとき、祖母が真珠の指輪を私に見せてくれた。そして、悔いるような様子で口を開いた。

「あの人はな、私と結婚するとき、警察官の安月給で指輪をうてくれたんや。そんな安もん、私はいらんと言うてしもた」

すると祖父は「立派になって、もっといい指輪を買うてあげます」と言ったという。いつか出世して稼いだ金で、ほんものの真珠を買うてあげます。そうして結婚した祖父と祖母は、二人の娘たちと、遅くにできた息子(私の父)と長いこと幸せに暮らした。

祖母が見せてくれたのは、祖父の定年退職のときに買ってもらったという真珠の指輪だった。時代を映した、高さのある真珠の指輪。まわりをダイヤモンドのような無色の石が取り巻いている。

これが祖父の愛のかたちだったんだなあ、と思った。

10年以上のち、私が大学生の頃、祖母は100歳を目前にして亡くなった。真珠の指輪は、形見分けで私のもとへやってきた。

かわいがってくれた祖母の不在を悲しく思いながら、指輪をじっと見つめていて気づいた。

(これ、シルバー製やわ。『silver』と刻印がある)

台座の素材から考えて、真珠も本物ではないかもしれない。少なくとも、まわりにあしらわれた透明の石はダイヤモンドではないだろう。うーん、おじいちゃんたら、だまされたか、間違えたのかもね。そう思ったとき、なぜか二人がとても愛おしくなった。

いつか買ってあげると約束したから、真珠の指輪をプレゼントした祖父。それを大事に持っていた祖母。指輪が偽物にせものであろうとなかろうと、いいじゃないかと思えた。いとこ同士であってもいいじゃないか。二人にしかわからない結婚生活の機微があったに違いないのだ。

今も真珠(?)の指輪は私の手もとにある。たぶん宝飾品としての価値はない。けれど、つつましく、愛情深く生きた夫婦の記念品として、大切にしていくつもりだ。



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