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小松イズム継承者・庵野秀明の『シン・ゴジラ』論──あるいは、小松左京が口をつぐんだ東日本大震災について

はじめに

 東日本大震災は、非常に小松左京的な事件であった。小松左京と言えば、原子力と総力戦の二大テーマが主軸にあるが、東日本大震災はそのどちらともを包含していたからである。原子力に関しては言わずもがな、地震による福島第一原子力発電所の事故が、いまなお被曝という形で日本に暗い影を落とし、この事故が日本のエネルギー問題を再燃させる結果となったからである。総力戦──すなわち個々人の当事者意識に関して言えば、小松左京が阪神・淡路大震災を受けて残した『大震災’95』をもとに考えてみると、非常にわかりやすい。

「福井地震」の時代から、ほとんど半世紀近くたった時期に起こったこの大震災の、当時との大きな違いは、ものすごい高密度の「情報システム」に包まれた中で、この災害が起こったことだ。(中略)次第に緊迫感を増していくラジオの報道、多チャンネルのテレビを通じて、一般家庭に送り込まれるヘリ空撮の映像、新聞の号外やショッキングな写真がなければ、私たちは、この降って沸いた大災害の「全貌」やその異様な「性格」を把握するのがもっと遅れ、(後略)

小松左京『小松左京全集完全版46  大震災'95』(城西国際大学出版会、2016年)

 かつてテレビの普及によるベトナム戦争のリアルタイム化が人々に当事者意識を芽生えさせて反戦意識を煽ったのと同じく、阪神・淡路大震災においても、情報システムの普及が当事者意識を拡大させた。では、それから16年後の東日本大震災においてはどうであったか。もちろんさらに拡大していた。SNSの普及により、被災者自身が発信者となることで、その災害の全貌は瞬時に把握された。小松左京が「(前略)被災地の惨状を、胸ひきさかれる思いで注視し続けた大多数の人たち──こういったすべての人々が、この大震災の『当事者』なのである。そして、こういう性格の異変に際して、当事者一人一人のまずとるべき対応は、『記録』をとる事であろう」と述べたけれど、今度の震災にあっては、人々は絶えず記録をとっていたばかりでなく、それを発信させていた。とすれば、その当事者意識は尋常でなく、まさに小松左京的な誰もが関わる「総力戦」の様相を呈していたはずである。
 小松左京の持つ二大テーマを根底に有する東日本大震災は、そのテーマを批判的に検討する上で大きな意味を持つ。また今回は、小松イズムの継承者として映画監督の庵野秀明を挙げ、彼の作品『シン・ゴジラ』を原子力と総力戦の双方の目線から捉えることで、東日本大震災以後に描かれる小松イズムを検討する。

小松左京と東日本大震災

 小松左京の命日は2011年7月26日である。つまり東日本大震災を経験している。海溝型巨大地震を『日本沈没』と繋げたマスコミによる取材の依頼が殺到したそうだが、小松が公の場でインタビューに応えたのは一度きりであった。それだけショックだったらしく、特に津波の映像を観てからは心身ともに急速に衰えたのだと親族は語る。彼の推進していた原子力発電は、この震災を機に一旦は稼働停止、さらに厳格になった「新規制基準」を元に、現在は9基が稼働している。そして震災前は経済産業省の外局として設置されていた資源エネルギー庁は、環境省を外局とする原子力規制委員会および原子力規制庁へと変わった。原子力への向き合い方が、その抜本体制から見直されたのである。
 小松の『日本沈没』では海溝型巨大地震による原発事故はなく、一種の安全神話を助長していた側面があったが、現実はそうはならなかったのだ。巨大地震は原発のメルトダウンをもたらし、放射性物質が流出、ビキニ事件に続く第4の被曝とも言えるような被害が起こった。先の阪神淡路大震災においても、小松は倒壊した建物群を見、敗戦50年も相まって虚無感を募らせたが、今度は地震だけでなく津波と原発事故まで発生し、復興どころかその「後処理」にさえ40年以上を費やさねばならない。小松のショックも当然だろう。特に津波に関しては、彼が震災後に一度だけ受けた取材の中でこう語っている。

「いろんなことを調べてきたけど、今度の地震の、特に津波の映像はショックだったね。津波がああやって押し寄せ、しかもあんなに破壊力があるとは……。夢に出てきて、寝小便をしそうになるほどの、ショックでした」

「毎日小学生新聞」2011年7月16日号

 続いて、東日本大震災の総力戦的な、つまり「当事者意識」の側面を考える。阪神淡路大震災と比べて、すぐに思いつくのはSNSの普及である。被災者はSNSで絶えず発信を続けたことで、非被災地域の人々にもこの大災害の全貌が瞬時に伝わり、そこに当事者意識を発生させた。これを象徴するのが、東京大学の渡辺英徳教授が発表した東日本大震災ツイートマッピング(下記に貼付)である。地震後の関連ツイートをまとめてグーグルマップ上に配置されたこの地図を見ると、特に首都圏の膨大なツイート量が目立つ。またその中には、SNSにおける情報伝達力を象徴するものもちらほらと見受けられる。テレビなどのメディアが仲介せず、一次的に被災者の情報が伝われば、それは速いだけでなく説得力を持つ。本州以外の地域や、遠いアメリカにおいてさえ、被災者を悼み支援するツイートが目立ったのは、それらの人々が当事者意識を感じていたからだろう。東日本大震災は、まさに総力戦の様相を呈していたのだ。

庵野秀明と小松左京と東日本大震災

突如、ヒトにはどうにもできない巨大な存在が日常に現れる。畏怖と混乱。無作為な大量死。ヒトの心の恐怖。絶望から希望を見いだし、恐怖を克服し打破する人間の知恵と力と勇気を描く。同時に、日本と日本人の本質を描き出したい。

庵野秀明『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』(株式会社カラー、2016年)

 これは、庵野秀明が『シン・ゴジラ』の企画書として東宝のプロデューサーに提出したものだ。これだけでも非常に小松左京的であるが、企画書の最終ページには、より小松左京に迫る言葉がつづられる。

日本と日本人感を主題に織り込む。小松左京みたく。国際的な視野。相対的、客観的に捉えた日本人像。日本と日本人の良さを国内外に伝えたい。良さはなにか。

同上

 なんと小松左京が名指しで登場する。この視点で『シン・ゴジラ』を見ると、確かに小松左京の『首都消失』『日本沈没』を思わせる構成になっている。小松左京が『拝啓イワン・エフレーモフ様』の中でゴジラに言及していることも無視できない。そもそも初代ゴジラは水爆実験によって古代の恐竜が目覚めるという、第3の被曝であるビキニ事件を基盤とする明らかに反核的なところがあった。反核の象徴としてのゴジラが生々と画面上を動き回るその二面性こそが原子力をシンボリックに描いているのだと言う。そして『シン・ゴジラ』が、小松左京がほとんど触れずに終わってしまった第4の被曝としての東日本大震災を基盤としていることは、ゴジラ上陸翌日の災害現場を見ればすぐにわかる。あの倒壊した家屋の山は、2011年に繰り返し放送されたニュース映像、そして被災者のSNSへの投稿とあまりにも似ていた。鑑賞者の誰もが思い出さずにはいられなかった。
 庵野秀明と小松左京の関係は、それだけには留まらない。庵野の最新作『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では、クライマックスに小松左京『さよならジュピター』の主題歌である松任谷由実の『VOYAGER~日付のない墓標』が流され、彼が最初に手がけたアニメシリーズ『トップをねらえ!』の最終話タイトルも、小松左京の同名小説を引用して「果てし無き、流れの果てに」とされた。また、小松逝去後に刊行された『さよなら小松左京』に収録されている座談会においては小松との出会いを「小学校一年か二年のとき学校の図書館で見つけた『アオゾラ市ものがたり』が最初です」と語っている。『日本沈没』や『さよならジュピター』も彼の青年期に放映されており、多大な影響を受けていることは間違いない。また、『シン・ゴジラ』で監督・特技監督を担当した樋口真嗣が庵野の長年の友人であることは広く知られているが、2006年の『日本沈没』の監督を彼が担当したことからも自明なように、樋口真嗣も生粋の小松左京ファンである。
 この二人の小松イズム継承者が、かつて小松が絶賛した初代ゴジラの「本質的な部分を主題に取り入れ」、小松が語ることはなかった東日本大震災以後の日本を「小松左京らしく」描く。小松左京と東日本大震災を考えるうえで、これほど適した作品はない。
 さて、まず本当に東日本大震災以後の日本を描いているのかを検証するが、これは前述した環境省を外局とする原子力規制庁が設置されていることからも明らかである。さらにはシーン304の早船記者からのレポートを読む矢口からも、東日本大震災を仄めかすセリフが発せられる。

「彼は、放射性物質を憎んでいた。そして、それを生み続けた人間そのものも憎んでいたのだろう。妻を見殺しにした、日本という国も」

「シン・ゴジラ」

 原子爆弾や水爆実験のような放射性物質による死であれば、日本ではなくアメリカを憎むはずだ。そもそも過去三度の被曝では時系列が合わない。ならば、原子力規制庁の設置を鑑みても東日本大震災における政府の無策を批判していると考えるべきだろう。実際に東日本大震災ではトリアージや未治療死の問題が盛んに議論されており、「見殺し」という表現にも合致する。
 クライマックスではゴジラを凍結させる「ヤシオリ作戦」の実現可能性検証のため、世界中のスーパーコンピュータにゴジラ体内の分子構造の解析を要求する。その後、フランスの協力によって熱核攻撃の使用が延長され、その間に自衛隊と米軍によって、国内や中国の民間企業が開発したゴジラ凍結用抑制剤が投入される。これぞ総力戦だ。こうしてゴジラの活動凍結に成功するわけだが、このゴジラを原子力の象徴だとする見方をすると、まさに小松左京的なゴジラ(原子力)の二面性を際立たせるセリフが浮かび上がってくる。

「つまりゴジラは、人類の存在を脅かす脅威であり、人類に無限の物理的な可能性を示唆する福音でもある、ということか」

「シン・ゴジラ」

 人類に無限の物理的な可能性。小松左京が大阪万博で示した人類の進歩の先にある核融合による無限のエネルギー。そしてその裏にある、劇中でも示された放射性物質の脅威。『シン・ゴジラ』のゴジラは、まさに原子力の二面性を象徴していた。ではゴジラ、つまり原子力が日本に大打撃を与えたのちに、映画はどう締め括られるのか。主人公の矢口は言う。

「スクラップアンドビルドで、この国は伸し上がってきた。今度も立ち直れる」

「シン・ゴジラ」

 偶然だろうか、このセリフは、小松左京が東日本大震災後に唯一受けた毎日小学生新聞の取材における最後のセリフと重なるのだ。

「日本は必ず立ち直りますよ。自信を持っていい」

「毎日小学生新聞」2011年7月16日号

 小松のこの言葉から、十年以上も経過してしまった。去年の大河ドラマ『青天を衝け』のラストシーンではないが、「恥ずかしくて、とてもお見せできません」と言うしかないような、漫然とした倦怠感が、いまだに日本全土を漂い続けている。他人の不幸を笑い、世の中は運次第だと嘆き、破壊願望が蔓延し、意思のない政治家が曖昧性と刹那性を武器に当選するような、こんな世の中を作ってしまったのは我々だ。同時に、次の時代を作るのもまた我々だ。小松左京に誇れる日本を作りたい、心底思う。おしまい。


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