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正欲 "正しい"とは

生きるために必死だった道のりを、"ありえない"って簡単に片付けられたことありますか?

これは劇中のセリフの一部だ。

自分のこうしたい、これが好きだ、という欲は誰しも持っているものだと思う。
それはある人たちにとっては理解し難いもので、いわゆる“普通”と呼ばれることからかけ離れていることもある。

多様性という便利な言葉を使っていても、理解しているとは限らない。
もちろん、理解するもしないも自由だと思う。

自分が生きてきた世界の常識や普通を疑うことは、
不安と闘うことになる。

だからこそ、人は社会に溶け込めるよう努力をし、そこに溶け込めている自分に安心するのだと思う。

この映画を見ながら、長男が不登校になった時の気持ちや理解までの過程を思い出していた。
最初はやはり受け入れられずに、どうしてと問い詰めてしまったこと。
自分の関わり方が悪かったのではないかと自分を責めて精神的にボロボロになったこと。
今ではそんなこともあったな くらいの感覚なのが笑える。

“普通”とは?そんな疑問が湧いたその日から、自分の見ていた世界が変わった気がした。

もともと、あまり人の暴露話などに驚いたりひいたりするような性格ではなかったが、自分の中には凝り固まった考えがまだまだあると息子との対話で気づかされた。

もうひとつ思い出したことがある。

人にはあまり共感してもらえない感覚や趣味は自分にもある。
普段の会話から想像して本当の自分を出すべきではないと判断するとシャッターを締めてしまう。
なのに、卒なく世間話や相手の話に合わせたりしている自分にも嫌気がさしていた。

なんて生きづらいんだと今も思うし、解って欲しいという感情と別に1人でいいという拗ねた感情の両方が入り混じっている。

そこに1人、自分を理解してくれる存在がいるだけでどれだけの安心感があるのかよく分かる。

私も誰かの“正”を自分の“正”で踏みつけているかもしれない。
だからこそもっと色々な考えや価値観を共有されたいし私もしたいと感じた。

もう、観る前の自分には戻れない。



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