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読書まとめ『自己啓発の罠 :AIに心を支配されないために』

おすすめ書籍のポイントをギュッと詰め込み、わたしなりの言葉でまとめています。今回紹介するのは『自己啓発の罠 :AIに心を支配されないために』(マーク・クーケルバーク著, 田畑暁生訳, 青土社)です。


自己啓発の起源

自己啓発の起源は古代にまで遡り、ソクラテスの「良き生」の探求から始まっています。ソクラテスは、金銭や名誉や地位を求める生き方ではなく、正義と愛の本質を理解し、良く生きることが大切だと訴えました。そのために必要だったのが、自分を知ること・自分の限界を認識すること、つまりは「無知の知」でした。

また、「自分を改善する」という思想は仏教からもきています。仏教では欲望や執着こそが苦しみの原因であると考えられるため、「欲望をコントロールし、外部に左右されない自己」を目指します。その手段のひとつである瞑想やマインドフルネスなどは、いまや、自己啓発の技法として広く利用されるようになりました。

現代の自己啓発

現代における「自己啓発」の目的は、「良き生」を探求することではなく、いかにユニークで自律した自己をつくれるかどうかへと変わっていきました。これは、プロテスタンティズムの影響で、個人主義・個人の自律性が強調されたことが影響していると、著者は主張しています。
さらに、テクノロジーが発展したことで、自己啓発は数値化され、データ化され、容易に他者と比較できるようになってしまいました。人々は自分のイメージが気になり、求めるのは「良き生」ではなく、友人やフォロワーの評価。これはある種の自己執着・ナルシシズムといえます。
金銭や名誉や地位の追求をやめ、自己執着から脱することが目的だった「自己啓発」が、いつの間にか、自己執着の手段となってしまったのです。

自己啓発の問題点はほかにもあります。本来は社会の問題であることが個人の問題とみなされ、個人での解決が求められていることです。現代社会は、個人主義が加速し、問題の自助的な解決が求められ、その手段として自己啓発のツールの数々が利用されているのかもしれません。

現代の自己啓発文化は、個人やその問題に焦点を当てることで、注意を社会的な問題から逸らさせようとしている。

p.69

労働階級の人々は、貧弱なキャリアは自分のせいだと言われる。

p.72

これらのように、自己啓発が引き起こしている問題を著者は「自己啓発クライシス」と表しています。現代社会で多く見られる自己啓発に囚われた生き方は、果たして、古代の哲学者たちが求めた「良い生」だといえるのでしょうか。

自己啓発クライシスの解決策

「自己啓発クライシス」への解決策を提案するにあって、著者は「自己」という概念を問い直しています。

人間は社会的動物であり、自己はかなりの部分、私たちが関係する外部の事柄によって形成されている。

p.98

私たちには物語的アイデンティティや、パーソナリティや、伝統、身体的・遺伝的限界が刻み込まれている。私たちは自分を変えたり改善したりできるが、自分のことを十分には知らず、自分を完全にコントロールもできなければ、何者になれるわけでもない。絶対的な自律や自己制作は不可能である。

pp.111-112

私たちは自分の意思で選択し、完全に自律的な判断で行動していると思い込んでいても、実は、他者や外部の環境が大きく影響しており、自分で自分の人生を完全にコントロールしているわけでなないのです。今の私たちは他者や外部の環境によって存在できているのです。自己啓発に囚われる人たちは、「自分の人生は自分の力でどうにでもできる」と過大に思ってしまっているのかもしれません。著者は「自己を改善したいのなら、自己陶酔はやめて、内面よりも外に目を向けよ」と主張しています。

そのうえで、「自己啓発クライシス」を解決するために著者が提示しているのが、社会的・政治的なアプローチです。自己啓発について個人に焦点をあてることは、変化の責任を個人に負わせてしまいます。
今日の社会では自己啓発やリカレントなどが求められますが、それらを個人の問題として考えるのではなく社会の問題として考え直し、そもそも、なぜ自己啓発が必要な状況に社会が陥っているのかを考える。そのような本質的な視点を持つ必要があるのかもしれません。

本書のハイライトと感想

私たちの立場を改善するだけでなく、ゲームを変えよう。自分を変えることばかりにこだわるのではなく、社会を変えよう。

p.147

何かを勉強したりスキルアップしたりすることは非常にすばらしいことだと思うのですが、その目的が自分ではなく、社会や他者に向けられていることが望ましい、というのがわたしの考えです。スキルアップやスキルアップによる出世などがゴールではなく、その先の、「身につけたスキルを使って、社会をどうよくしていきたいか」「誰を幸せにしたいか」までをゴールとできるような学び手が増えてくれたら、うれしいなと思います。生意気ですみません、、、笑

また、人材開発の担い手として、人材開発のあり方についてはこれからも問い続ける必要があると感じました。社会人の学びの文化がもっと日本に浸透するといいなと思う一方で、学ぶことを自分以外の誰かや社会が強いることは違うのではないか、と葛藤することがあります。
まだ自分の中で答えは出ていませんが、強要されずとも、学び手自身が「おもしろそう。ちょっと学んでみようかな」と思えるようなコンテンツをつくることをわたしは目指しています。(学習動機をコントロールし、学習へと誘導している時点で強要と一緒だ、という議論もあるかもしれないですが、それはひとまず置いておきます。笑)

本書は、個人主義的な考え方が進み、自己啓発が利用されている社会に一石を投じる一冊だと思います。人材開発に対する自分のスタンスや葛藤を掘り起こすいいきっかけになりました。





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