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女子高生はZenly(ゼンリー)に何を求めているのか(2/2)


前回のつづきはコチラから

(と言ってもかなり前の記事です。じわじわと読んで頂いていてすごくびっくりしています。本当にありがとうございます。)

前回は、Zenly(ゼンリー)というアプリを使う女子高生は、疑似家族を求めているのではないか、ということについて書いた。

このアプリは、友達同士でインストールしておくと、それぞれの現在地がGPSによって把握でき、友達の居場所をいつでも確認することができるアプリ。より詳細について知りたい方は、下記からご覧ください。


”知らない”という事を許容できない

実際Zenlyは、どのような用途で使われているのだろうか。App Storeのプレビューを見てみる。

・友達と待ち合わせする時にとっても助かりました!
・スマホを落とした時に友達のアプリから調べてすぐに見つけることが出来ました!
・海外旅行中、スマホの盗難に遭ったのですが、すぐに見つけることが出来ました!
・子どもが3人いるのですが、子ども達に入れてもらいました。それぞれがどこにいるのか分かって助かっています!

※プレビューをもとに一部改変しています。


色々見てみたが、大きく「防犯」、「友達との待ち合わせ」、「”iPhoneを探す”の代用」に使用されていることがわかる。これは、Zenly側の目論見と同じ使用方法だろう。


しかし中には、こんなプレビューもあった。

・彼氏の浮気現場を突き詰めることができました!早くZenly卒業できるようになりたいです!
・友達のメッセージの内容が本当かどうか一目でわかる。

いわゆる「監視」として活用しているケースだ。前回、Zenlyは便利である一方、一種のメンヘラを生む可能性を秘めていることを書いた。家族以外の人間に対しては、心のどこかで返報性を求めてしまう。そしてこの返報性は、Zenlyでは「強要」という形で歪んで露呈する可能性を秘めているのかもしれない。

「いきなりゴーストモードにされたんだけど。」
「何で位置情報オンにしてないの?」

近しい相手だからこそ、知ること・知らせることを強要してしまう。上記のようなことを、ここでは情報提供の返報性と名付けておこう。

確かに相手を疑う、相手の全てを把握する、ということが大事な場面もある。ついつい相手の全てを知る=仲が良い、と考えてしまうこともある。しかしほとんどの場合は、全てを知らなくても何とかなるし、知らないことが当たり前だ。

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本当の家族は”知らない”ということに許容がある

こうしてみると、昨今「”知らない”という余裕」を持つことが出来る人が少なくなってきたのではないかと思う。ともすれば、相手へ”私に教えることは当たり前”、”知ることは権利”という強要を生み出してしまっている気さえする。

その背景には、分からないことはググって解決、Twitterのトレンドで社会の動きは何となくわかる、というように、そもそも「知らない」ということが少なくなってきたことがあるのかもしれない。

しかしその一方で、”知らない”という事象に直面した時、私たちは不安に陥るようになった。つい何とかして知りたくなっちゃう。噂でも良いので”知りたい”という欲求に駆られる。だから芸能人の不倫報道は無くならないし、仲の良い友人2人が、私の知らないところで会っていたら、心がモヤっとしてしまう。

では、本当の家族だとどうだろう。

例えば

「あれ?今日は帰りが早いはずだけどな……」
「あれ?いつもテレビみるのに今日はすぐ自分の部屋に行ったな…」

というような”知らない”という場面に直面しても

「まぁそのうち帰ってくるだろう」
「そのうち出てくるだろう」

と、一種の割り切りを行うことが出来る。これはある意味”知らない”ということに許容している、と捉えることもできるだろう。

このように疑似家族と本当の家族を見分けるには「”知らない”という場面に直面した時、そのモヤモヤを相手に向けるか、自分で消化するか」ということも判断基準の一つになると思う。

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まとめ

これまで、Zenlyから疑似家族と本当の家族の違いについて述べてきたが、端的に言えば下記の通りとなるだろう。

相手のことを”知らない”という不安な状況に陥った時、
「なんで教えてくれないの!」と相手にぶつけるのは疑似家族
「まあそんなこともあるよね」と自分で消化できるのは本当の家族

これには賛否両論もあるだろう。そもそも疑似家族とか、本当の家族とか分ける必要もない、という指摘も甘んじてお受けする。

しかし個人的には、昨今”知らない”ということに対しての免疫を持っている人が減っている気がして仕方がないのだ。

世の中には知らないということは沢山ある。それは友人間でもあり得るし、長年連れ添った夫婦でさえ起こり得ることだと思う。そのため、この”知らない”ということに対しての立ち居振る舞いは、よりよい人生を送る上でとても大きな問題だと思う。

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