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【京都遠征!】7回目の #キュビスム展 と充実したエトセトラ


はじめに

 私は懲りない。国立西洋美術館での「キュビスム展─美の革命」に6回行ってから早2ヶ月、またキュビスム展に行ってきた。それに今回はいととと氏(@itototo1010, X)とだ。東京展のときと同様、恐ろしいほど長い記事になってしまっている……。私は本当に懲りない。

↓国立西洋美術館でのキュビスム展の話

↓キュビスムの解説

京都市京セラ美術館へ

 4:30ごろに起き、公共交通機関で京都駅へと向かう。途中からは新幹線だ。そして10:00ごろいととと氏と合流。美術館へ移動する。

●京都市京セラ美術館へ

来た~~~!

──キュビスム展入場──

1 キュビスム以前─その源泉

 西美ではポール・セザンヌとアンリ・ルソーの絵画はセザンヌの1点を除けば撮影禁止だったのだが、こちらはすべて撮れるようになっていた。また両芸術家とも作品の入れ替えがあり、図録でしか見られなかったものとの対面が叶った。
 源泉になったと言われる芸術たちを観察すると、幾何学的単純化や平面化など、キュビスムとの共通点が見られる。

●セザンヌ!

ポール・セザンヌ《曲がった木》(1888-1890年)

京都展のみの展示。指向性のある筆致、「構造的筆触」によりダイナミクスとかたい印象、動と静を同時に感じる。けっこう塗り残しがあるのだが不自然ではない。

ポール・セザンヌ《ラム酒の瓶のある静物》(1890年頃)

こちらは東京展でも観られたもの。机の左右で視点のねじれが生じており、中央の布によって違和感が緩和されている。

●ルソー!

アンリ・ルソー《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家たちを導く自由の女神》(1905-1906年)

タイトル長ぇ! ルソーの絵は遠近感がおかしく平面的だけど、塗りが丁寧で力強さがある。

●よう!(挨拶)

《ヨンベあるいはウォヨの呪物(コンゴ民主共和国)》

ギヨーム・アポリネールの旧蔵品であるこちらの彫像。西洋に渡った時点で呪物としての役目は終えているが、今度は金属片ではなく観衆の視線が刺さっている。

2 プリミティヴィスム

 アフリカやオセアニアなどの西洋圏から見てプリミティヴ(原始的な)造形物、「プリミティヴ・アート」は、西洋の芸術家に影響をもたらしたとされる。そしてこれらの芸術に認められる、造形の単純化や誇張、図式化などの言語を取り入れた表現は「プリミティヴィスム」と呼ばれた。西洋の美的価値観によるこの「芸術作品」を蒐集した者たち、そして当時の芸術家たちが、それらの持つ文化的文脈を真に理解していたかは定かではない。

●プリミティヴィスムの作品たち

パブロ・ピカソ《女性の胸像》(1907年)

仮面のように造形され白く塗られた顔、単純化された胸部。その姿は彫像のようである。いととと氏はこれが好きな作品だと言っていた。私もエネルギーに満ちあふれているそのさまが好きだ。

ジョルジュ・ブラック《大きな裸婦》(1907-1908年)

ピカソへの応答を示す作品とされているそう。裸婦と布とは同様の筆触が施されていて、人物画なのに「もの」であるかのようだ。魂が抜けている顔をしている。

アンドレ・ドラン《立てる裸婦》(1907年)

首が落ちるマジック? ドランはフォーヴィスムの芸術家として有名だが、初期キュビスムの展開には重要な役割を果たしたとされる。アンリ・マティス《ビスクラの思い出》(1907年、出品なし)とともに1907年のサロン・デ・ザンデパンダン(アンデパンダン展)に出品されスキャンダルを起こした《浴女たち》(1907年、出品なし)は、キュビスムを思わせる幾何学的な分割が見られる。また画商、ダニエル=アンリ・カーンヴァイラーが1920年に刊行した『キュビスムへの道』では、キュビスムの「先駆者」としてセザンヌと並びドランの名が挙がっている。

3 キュビスムの誕生─セザンヌに導かれて

 ポール・セザンヌは1906年に没し、翌1907年には大回顧展が開催される。エミール・ベルナールによって発表されたセザンヌの発言の一節、「自然を円筒形、球形、円錐形に扱い、すべてを遠近法のなかに入れなさい」は有名だ。
 ジョルジュ・ブラックは1906年から1910年までセザンヌも作品の制作を行った地、レスタックに4回滞在し、彼はそこでセザンヌへの応答を示す作品を描いた。パブロ・ピカソも1909年に故郷スペインのカタルーニャ地方の小村、オルタ・デ・エブロを訪れ、プリミティヴィスムやセザンヌ的様式を融合した風景画や、恋人フェルナンド・オリヴィエの肖像を制作した。
 ところで、1908年にカーンヴァイラー画廊で開かれたブラックの個展を観た批評家が、彼の絵画は「キューブに還元されている」と評したこと(ジル・ブラス紙、11月14日)、1909年に別の批評家がブラックの作品について「キュビスム」という語を使ったこと(メルキュール・ド・フランス紙、4月16日)がキュビスムという呼称の来歴とされている。また次章で登場する「分析的キュビスム」に移行する前のキュビスムを「セザンヌ的キュビスム」と呼ぶことがある。本展でもそう紹介されているが、パブロ・ピカソ《アヴィニョンの娘たち》(1907年、出品なし)や前章の作品などセザンヌ的傾向がまだ薄く、プリミティヴな文化など他の影響が強い作品も含めた「プロト・キュビスム」という用語も存在する。こちらの呼び名のほうが、キュビスムの源泉をセザンヌに限ると誤解されかねない「セザンヌ的キュビスム」より好ましいように思われる。

●「キューブ」なブラックの作品

ジョルジュ・ブラック《レスタックの高架橋》(1908年)

セザンヌを思わせる筆触と余白が見られる。この作品には同名の別バージョンがあり(図録p.52、fig.1参照)、こちらと比較すると展示作品の方が限定された色彩を用い、幾何学的に描かれていることが分かる。また展示作品右上に認められる一筋の縦線は、fig.1では具体的に描かれている工場の煙突を恣意的に示すものであると指摘している文献もある。絵の具が垂れてるだけだと思ってた……。

●人物画……なのか?

パブロ・ピカソ《裸婦》(1909年)

こちらは東京展では撮影できなかった作品だ。空、山、人物すべてが幾何学的に構成されている。鉱物か機械のようなそれはとても裸婦像には見えない。

4 ブラックとピカソ─ザイルで結ばれた二人(1909-1914)

 ふたりはこの時期、緊密な共同実験によりキュビスムの造形言語を生み出した。紙を貼り付けるパピエ・コレなど、コラージュの技法もこの実験から生まれた産物のひとつである。
 私はこのセクションが大好きだ。はじめてキュビスム展に来たとき、特に衝撃を受けたセクションがここ、ピカソとブラックの分析的キュビスムと総合的キュビスムが展示されているところだった。特に分析的キュビスムの時代は色彩よりも造形が優先されているため、シックな色調でかっこいい。
 総合的キュビスムでは紙や砂、おがくずなどの異物が絵画へと導入される。それは絵画なのか立体作品なのか? 我々がキュビスム絵画と対峙するとき、絵の中の世界を観ているのか現実の異物を見ているのか? 終わらぬ作品との対話、ふたりに弄ばれている感覚。この経験はきっと、日本ではいまここでしか味わえないだろう。

●分析的キュビスム(1909-1911、図録に依拠)

パブロ・ピカソ《ギター奏者》(1910年)

人物像は直線や円筒によって「分析」され、その姿は解体されているかのようだ。かろうじて頭や腕の位置と、どこかに座しているであろうことがわかる。幾何学的に構成されてはいるものの、線はところにより曖昧にされていて、閉じた図形はあまり見られない。

ジョルジュ・ブラック《ヴァイオリンのある静物》(1911年)

もはやヴァイオリンの存在は、中央右手に見える「カール」のみによって暗示されている。いくつか認められる円筒と球が、それぞれ花瓶や果物などを表しているのだろうか。空間はブラックがフォーヴの画家であったころの名残を思わせるように、白い点描で強調して表現されており、暗い静物やテーブルの部分が浮き彫りのように見える。130×89cmとけっこう大きい作品であることから迫力満点で、さらにこのシックな色合いも合わさってとてもかっこいい。本展で一番好きな作品だ。

●総合的キュビスム

パブロ・ピカソ《少女の頭部》(1913年)

記号的な目鼻、やけにリアルな頭髪。人物の頭部なのに木の板のようなものとその影がある。そしてなぜか画面中央下には鳥が描かれている。本当に不思議な絵だ。

ジョルジュ・ブラック《果物皿とトランプ》(1913年)

いろいろな書籍に図版掲載されている印象。真上から見たような丸いテーブルに、果物やトランプ、文字が見える。鉛筆や木炭により描かれているところが多く全体的にモノクロではあるが、ヘラで描かれた木目の騙し絵とトランプのハートの色がいいアクセントになっている。下部の木目は引き出しを、そのなかの円い描き込みは取っ手を表しているらしい。

ジョルジュ・ブラック《ギターを持つ男性》(1914年)

いくつもの面の重なりによって画面が構成されていることがわかる。男性の前にはテーブルがあり、その上にグラスが置かれているように見える。なんと絵の具にはおがくずが混ぜ込まれており、絵の表面がボコボコしている。

5 フェルナン・レジェとフアン・グリス

 キュビスムの重要な画家と言われるふたり。彼らははじめ展示会(サロン)に出品していたサロン・キュビストであったが、のちに画商カーンヴァイラーと契約し、ピカソやブラックと同じギャラリー・キュビストになったという特殊な経歴を持つ。

●フェルナン・レジェ

フェルナン・レジェ《婚礼》(1911-1912年)

新郎新婦を取り囲むように人々が、そして街並みが見えるが、遠近感が消失しているためとても不思議な構図となっている。円筒状に図式化したことから、レジェの様式は「チュビスム」と呼ばれたそう。

●フアン・グリス

フアン・グリス《ギター》(1913年)

青い色彩と、帯状に分割された画面構成がかっこいい。左上の窓にはパピエ・コレにより人物画が貼り付けられている。音声案内では、この貼り付けられた世界が現実なのだろうか、といった問いかけがされていた。

6 サロンにおけるキュビスム

 ピカソやブラック(そしてレジェとグリスがのちに加わる)が画廊で展示していたのに対して、サロンにて作品を発表していた芸術家たちをサロン・キュビストと呼ぶ。彼らはサロン・デ・ザンデパンダン(アンデパンダン展)やサロン・ドートンヌを主な活動の場としていた。
 1911年のアンデパンダン展において、彼らは会場の41号室にキュビスム作品が集団展示されるよう画策した。サロンの画家、アルベール・グレーズとジャン・メッツァンジェは1912年、『「キュビスム」について』という理論書を刊行する。また、同年10月のサロン・ドートンヌの数日後には、自分たちでサロン・ド・ラ・セクションドール(黄金分割展)を開催し、32人の芸術家による200点以上の作品が展示された。このようにキュビスムの発展や知名度の向上には、サロン・キュビストたちが担った役割も大きかった。
 一方キュビスムはその発展とともに揶揄や非難の対象となる。1912年のサロン・ドートンヌの第11室(キュビスム展でも紹介されている)にキュビスム作品が展示されたとき、それを非難するパリ市議会の政治家が現れ、この問題をめぐる政治的論争がされることとなった。本セクションでは各サロンのカタログや『「キュビスム」について』などのほか、キュビスムを嘲っているような当時の資料も展示されている。

1912年10月のサロン・ドートンヌ、第11室

●撮影可能だった作品は1点のみ

ロジェ・ド・ラ・フレネー《腰かける男性》(1913-1914年)

男性像は幾何学的に構成されているが、現実に即しているであろう陰影が施されているため人形のようにも見える。手前にある埋める前のマンホールみたいなものと、背景の色面はなんだろう……。三角定規みたいなものが見えるから画家、建築家、設計士、測量士といった職業の人物なのだろうか。

7 同義主義とオルフィスム─ロベール・ドローネーとソニア・ドローネー

 1912年10月の第1回黄金分割展において、詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールは公演を行い、キュビスムを「科学的」「物理的」「オルフェウス的(オルフィック、詩的)」「本能的」の4傾向に分類した。オルフェウス的キュビスム(オルフィスム)にはロベール・ドローネー、フランシス・ピカビア、マルセル・デュシャン、フェルナン・レジェの名が挙がっており、アポリネールはここに純粋芸術の可能性を見た。一方ドローネー夫妻は独自に「同時主義(シュミルタネイスム)」という概念を提唱した。
 オルフィスムと同時主義が指すものはよく似ているように感じられる。ただし同時主義はキュビスム展でも説明がなされているように、単なる色彩論ではなく「異質なものを同一画面に統合する方法」でもあった。
 初めてキュビスム展へ行ったときに、4章と同じくらい感銘を受けたのがこの7章の展示だ。色彩を抑え、いくら細かく分析しても決して捨象しなかったピカソとブラックに対して、ドローネー夫妻は色彩やかに、かつ抽象的な傾向を示すようになる。全く正反対の彼らだが、新しいものを作ってやるぞという信念の強さは同じくらい感じ取れた。

●ロベール・ドローネー

ロベール・ドローネー《パリ市》(1910-1912年)

彼自身の作品である都市やエッフェル塔の連作を思わせる町並みと塔、アンリ・ルソーの自画像《風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)》(1890年、出品なし)からの引用が明らかに認められる橋と船、そして古典的な主題である「三美神」がキュビスムのような幾何学的構成により同一画面に描かれている。エッフェル塔の竣工は1889年であり、それはドローネーがこの絵に取りかかる20年ほど前のことだ。しかしキュビスムの時代においても、その姿は近未来的なものと映ったのではないだろうか。過去と現在、そして未来。時空間を超えたものをひとまとめにした本作は、267×406cmというその大きさも相まって、文字通りの大作だ。

ロベール・ドローネー《円形、太陽 no.2》(1912-1913年)

なにかしらの形象が認めれた《パリ市》に対して、こちらの作品はほとんど抽象画だ。太陽という題が授けられているためこの円はその形を表しているとも捉えられるが、どちらかと言えば太陽を象徴する記号のようである。

●ソニア・ドローネー

ソニア・ドローネー《バル・ピュリエ》(1913年)

とても抽象的だが、よく観察すると手を取り合って躍る男女の姿が認められる。色彩がダンスホールの活気を伝えてくれているようで、なんだかとても楽しげだ。

8 ピュトー・グループ

 ピュトー・グループと呼ばれる面々には、モンパルナスのグループやデュシャン兄弟など多くの人物が含まれる。彼らはジャック・ヴィヨンとレイモン・デュシャン=ヴィヨンが住んでいたピュトーのアトリエに、毎週日曜日に集まっていたそうだ。

●目が合う

レイモン・デュシャン=ヴィヨン《マギー》(1912年、1948年鋳造)

幾何学的なデフォルメ、単純化された輪郭はキュビスム的だ。私はこのなんとも言えない造形が好きである。

●かっこいい

ジャック・ヴィヨン《行進する兵士たち》(1913年)

連続写真からの影響が指摘されているが、この絵のなかにはいったい何人の兵士が描かれているのだろうか? 幾何学的な図式によって構成された画面は、鉱物の断面かのようでとても美しい。線による分析は人と背景とを分け隔てなく幾何学に還元しており、人物像の全体をうまく見出すことができない。馬のような形象がある気がするんだけど気のせいかな。

●ちょっとおもしろい絵

フランティシェク・クプカ《挨拶》(1912年)

この作品に対して、いととと氏がパプリカとズッキーニみたいだと言ったためそう見えてしまうようになった。

9 メゾン・キュビスト

 第11室の問題が起きた1912年のサロン・ドートンヌでは、「メゾン・キュビスト(キュビスムの家)」も出品された。レイモン・デュシャン=ヴィヨンによる2階建ての建築模型が展示され、その1階部分のインスタレーションも制作された。アンドレ・マール、そしてピュトー・グループやマリー・ローランサンらが展示に加わった。「メゾン・キュビスト」は新しい時代のため、前衛を装飾芸術へと取り込む試みであった。

レイモン・デュシャン=ヴィヨン
「メゾン・キュビスト」建築正面(模型)
「メゾン・キュビスト」1階

正直内装はあまりキュビスムっぽくない。

 建築や装飾芸術としてのキュビスムはチェコで成果を残すこととなる。「チェコ キュビスム」と調べると、カクカクした建築や家具などがたくさん出てくるので試してみてほしい。キュビスム建築、いつか見てみたいなぁ。

10 芸術家アトリエ「ラ・リュッシュ」

 ピカソが一時期住んでいた、モンマルトルの「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」と同じく重要なキュビスムの拠点。それはエコール・ド・パリと称される芸術家が集った場所としても有名な、モンパルナスのアトリエ兼住居「ラ・リュッシュ」。本展に作品が展示されている芸術家のなかで、ここに入居していたことがある者にはマルク・シャガール、アレクサンダー・アーキペンコ、アメデオ・モディリアーニなどの名が挙がる。第一次大戦前のこの場所は、外国人芸術家たちにとってキュビスムの発見と成熟の場となった。

●ちょっと怖い

マルク・シャガール《ロシアとロバとその他のものに》(1911年)

この作品は図録において、「量感の断片化はまだ部分的であるとしても、伝統的な遠近法に捉われない[原文ママ]空間の解放は、伝統的なユダヤやロシア的なものを参照したこの作品に、夢のような詩的ヴィジョンを与えている。(引用)」と解説されている。つまりキュビスムの様式によって遠近法から解放され、「夢のような詩的」である視覚効果を得ているということだ。しかし、シャガールが「参照した」モチーフたちの背景をよく知らない私には、ここに描かれている情景が悪夢にしか見えない……。鮮やかな色彩と共鳴している幾何学には確かに詩情を感じるため、なんだかんだ好きな作品だ。

●深緑からこんにちは

アメデオ・モディリアーニ《赤い頭部》(1915年)

多視点的に構築された鼻梁とその周辺の造形はキュビスムの様式を想起させるが、モディリアーニらしいアーモンド型の目の特徴がすでに認められる。

●不思議な造形……

アレクサンダー・アーキペンコ《女性の頭部とテーブル》(1916年)

正直なにがどうしてこの造形になったのかよく分からないため、図録をそのまま参照しよう……。「テーブルの片隅に静物とマンティーリャを被り扇子をあしらった頭部が寄せ集められた、いかにもキュビスム的な作品である。(引用)」
???? 難しい、よく読み取れたな……。

11 東欧からきたパリの芸術家たち

 レオポルド・シュルヴァージュと1910年代の彼のパートナー、フランソワ・アンジブー(エレーヌ・エッティンゲン)、そしてエッティンゲンのいとこであるセルジュ・フェラは、いずれも旧ロシア帝国領に生まれた画家である。(エッティンゲンの出生に関してはイタリアなど諸説あるらしい) エッティンゲンとフェラはアポリネールと親交があり、彼が18号から編集長になった文芸誌『レ・ソワレ・ド・パリ』に出資、編集者を務めるなどしてその運営を助けた。1919年に「黄金分割」は協会として刷新されたが、その立役者はグレーズ、アーキペンコ、そしてシュルヴァージュの3人であった。1920年の第2回黄金分割展にはロシア人芸術家も含まれていた。

●腸かな?

エレーヌ・エッティンゲン《無題》(1920年頃)

7人の顔が縦長の三角形の構図で組み合わされているさまは、まるで消化器官のようだ。図録によれば、この絵はシュルヴァージュ、アポリネール、フェラ、ローランサン、エッティンゲンなどを含む集団肖像画である可能性が指摘されているらしい。おもしろい絵だと思う。

●精緻で構成的な絵

レオポルド・シュルヴァージュ《エッティンゲン男爵夫人》(1917年)

彼のパートナーであったエッティンゲンが中央にいるが、椅子の座面ではないところに腰をかけているかのように見える。敷き詰められた建造物は、ロベール・ドローネーの都市の連作─彼らに親交があったのかはわからないが─を想起させる。しかしシュルヴァージュが描く都市はより構築的で、それでいて装飾的だ。パターン、人のシルエット、静物が風景のなかへと慎重に配置されたそのさまは、彼の卓越した統合力を雄弁に物語っている。

●ボコボコしてる

セルジュ・フェラ《静物:グラス、パイプ、ボトル》(1914-1915年)

総合的キュビスムの影響を思わせる砂という異物や文字の導入、そして色彩を記号化した点描。彼はその様式をもって、非模倣的ながらも日常を切り取って描き出すことに成功している。

12 立体未来主義

 このセクションではロシアの前衛運動、「ロシア・アヴァンギャルド」の画家の作品が展示されている。キュビスムが知られる以前から、ロシアには民衆芸術から着想を得た「ネオ・プリミティヴィスム」が存在した。ミハイル・ラリオーノフとナターリヤ・ゴンチャローワはその代表的な芸術家とされる。
 「立体未来主義」はキュビスムとイタリア未来派を受容し生まれた傾向である。また1913年には、ラリオーノフによって「光線主義(レイヨニスム、ルチズム)」が創始された。本展において出品はないが、ネオ・プリミティヴィスムと立体未来主義を経由して「絶対主義」を確立した、カジミール・マレーヴィチもまた有名なロシア・アヴァンギャルドの芸術家であろう。
 ロシア以外においても、キュビスムの美学は1910年代初頭から半ばまでには国際的な広がりを見せている。9章で述べたようにチェコでは建築や装飾に影響を与えた。1913年にはアメリカで「アーモリー・ショー」が開かれピカソやブラック、レジェ、グレーズ、ロベール・ドローネー、デュシャン兄弟がキュビスム作品を展示したほか、同年モーガン・ラッセルとスタントン・マクドナルド=ライトはドローネー夫妻の「同時主義」に影響を受けた抽象絵画運動、「シンクロミズム」を提唱した。1914年のイギリスでは、パーシー・ウィンダム・ルイスが『ブラスト』紙において「ヴォーティシズム」を宣言、この運動にはキュビスムやイタリア未来派の影響を受けた芸術家も参加していた。このようにキュビスムは世界的に参照され、それを乗り越えようとした多様な試みを生むことになる。 

●躍動感がすごい

ミハイル・ラリオーノフ《散歩:大通りのヴィーナス》(1912-1913年)

キュビスム的な顔の造形、未来派を思わせるダイナミズムの表現はまさに立体未来主義の名にふさわしい。光線主義的な針状の幾何学も、その動感の強調に寄与しているように思われる。女性はご機嫌に(あるいは怒りに身を任せ)、傘を振り回しながら大股で歩いている。

●トゲトゲしてる

ナターリヤ・ゴンチャローワ《電気ランプ》(1912年)

近代の機械をキュビスム的に描くことは立体未来主義の、そして放射状に拡がる光は光線主義の美学をそれぞれ提示するものである。紫と黄色の対比が印象的な詩情を生んでいる作品。

13 キュビスムと第一次世界大戦

 1914年に勃発した第一次世界大戦は、キュビスムにも多大な影響を及ぼした。ブラックの従軍によってピカソとの共同実験は終焉を迎え、ドイツ人の画商カーンヴァイラーは亡命を余儀なくされる。レイモン・デュシャン=ヴィヨンは戦地で患った病により1918年に死去する。
 またキュビスムの造形言語は戦争にも利用される。ジャック・ヴィヨンやアンドレ・マール、ロジェ・ド・ラ・フレネー、アンドレ・ロートらはカモフラージュ部隊に配属された。輪郭を解体し背景へと溶け込ませる迷彩は、対象を解体するキュビスムと構造上で類似していたのだ。
 しかし戦争によって、フランスにおけるキュビスム芸術の潮流が途絶えたわけではない。非交戦国出身のピカソやグリス、女性画家など、国内に留まって制作を続けたものもいた。

●緑が印象的な作品

パブロ・ピカソ《若い女性の肖像》(1914年)

よく見ると点描を施した上から緑を塗り重ねている箇所があり(いととと氏が見つけた)、構図に対する画家の苦心を思わせる。この絵の各部分を表したいくつもの切り絵によるヴァージョンが残されているらしく、構成への努力が垣間見える実に精緻な作品である。点描はきめ細かく、壁紙であろうコラージュ風のパターンもまた美しい。ここでは総合的キュビスム初期には抑えられた、色彩や装飾的要素が存分に解き放たれており、鑑賞者はその抒情的な旋律に包み込まれる。

●美しい……

フアン・グリス《朝の食卓》(1915年)

テーブルの上には新聞のほかグラスなどの食器、コーヒーミルが認められる。テーブルと壁を表す木目のトロンプ・ルイユ(騙し絵)は床か暖炉を思わせる白い面の下で繋がっているようにも見える。開かれた窓すらも、グリスのタブローのなかではひとつの面に過ぎない。青い空には影が落ち、光源の所在も曖昧だ。

14 キュビスム以後

 1918年、アメデ・オザンファンとシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(ル・コルビュジエ)により「ピュリスム」が宣言される。これはキュビスムの歴史的正統性を認めたうえで、その理論を踏み台にし、より合理性を追求するものであった。一方このころのキュビスム芸術は、画家ごとの個性はあれど実験的な難解さを避けた、平明な構成へと向かっていた。
 両大戦間に見られた古典主義とレアリスムの傾向は「秩序への回帰」と呼ばれる。しかしこれは、単に古典を参照したり再現的な表現に帰することを言うのではない。古典主義と一口に言っても、古典の模倣や再解釈、あるいは新しい規範を生み出すなどその潮流はさまざまあり、それはレアリスムも同様であった。
 パブロ・ピカソは古典主義的な傾向を示したとされる時代に、《3人の音楽師》(1921年、出品なし)のような総合的キュビスムと言えるであろう作品を描いている。ピュリスムも一次大戦後のキュビスムも、古典やレアリスムを再解釈し、あるいは新たなるそれらを打ち立て、キュビスム的な言語と調和させていったのだろう。

●ボコボコしているが……

パブロ・ピカソ《輪を持つ少女》(1919年)

与えられた題に則した、「輪を持つ少女」の姿を一目で認めることができる。キュビスム的に構成された身体表象とは対照的に、少女の後ろにある鏡はかなり写実的である。油彩に混ぜられた砂は、画家の手によって再現的な様式との見事な調和を見せている。キュビスムの手法は、こうやって伝統になっていったのかもしれない。

●丁寧だ……

ル・コルビュジエ《静物》(1922年)

閉じた線による輪郭、陰影によってモチーフそれぞれのヴォリュームが保たれている。描かれているのは開かれた本、2本のワインボトル、パイプ、ギター、グラス……後ろの半開きになっているものはなんだろう? 幾何学的な図式は対象の分析や再構築のため(あるいはその結果)というよりは、「型」のような役割を果たしているように感じる。とても几帳面に記された「jeanneret」の署名は、キュビスムで恣意的に導入されていた文字記号のようだ。ただしそれは意味性の戯れとして動作するものではなく、この時代に生きた画家の名そのもの─キュビスムとピュリスムとを繋ぎとめる鋲である。

●解説不可能!

フェルナン・レジェ、ダドリー・マーフィー《バレエ・メカニック》(1923-1924年)
再編:ウィリアム・モーリッツ
映像:13分48秒

まったく同じ映像はないがYouTubeで類似のものは転がっているため観てみてほしい。16分ほどの尺の動画を1.25倍速すると、キュビスム展で上映されていたものに近くなる気がする。よくわからないがなぜかクセになる。

──キュビスム展観覧おわり──

村上隆展へ

 京セラ美術館でキュビスム展と同時に開催されている、「村上隆 もののけ京都」展へも立ち寄った。正直に申し上げると、いまの私には早かった。現代アート難しいなぁ……。
 以下の作品はなんだか印象的で、気になった展示のひとつだったため掲載する。 まったくもって琴線に触れなかったわけではないので、気が向いたら村上氏についても調べてみたい。

作品名が分からなくなってしまった……

昼ご飯タイム

 京セラ美術館を出て昼食を摂ることになったのだが、近くには安価に済ませられそうな場所がない。そのため電車に乗り、近くに某イタリアンのファミレスがある駅まで行くことに。
 ふたりともペペロンチーノ+セットドリンクバーの500円コースを注文し、食後には図録をめくりながら足早に感想戦をした。なぜ足早か? それは京都国立近代美術館と古書店にも行くことになったからだ! ひとりだったら疲れで挫折していたと思うので、昼食後も行動することを提案してくれたいととと氏には感謝したい。

京都国立近代美術館へ

鉄斎展は都合により観ず!

 かつての「キュービズム展」の巡回先であった京都国立近代美術館。京都市京セラ美術館と道を挟んで向かいにある。
 目的は企画展ではなく、同館のコレクション展だ。キュビスム関係の作品や資料が見られるとの前情報を得ていた。結論から言うとキュビスム展並みに興奮した。

─コレクション展入場─

●新収蔵作品!

アルベール・グレーズ《キュビスム的風景、木と川》(1914年)

2023年度の新収蔵作品らしい。美術館のパネルでは「分析的キュビスムから抽象的表現へ移行する過渡期に描かれた。イタリア未来派とオルフィスムを摂取したグレーズの新たな段階を示す絵」といった解説がなされていた。確かにドローネーに通じる色彩があって美しい!

●なあにこれ

パブロ・ピカソ《静物─パレット、燭台、ミノタウロスの頭部》(1936年)

よく分かんないけどめちゃくちゃいいなこれ……。とてつもなくエネルギッシュだ。この絵のポストカードが欲しかったけどなかった。明らかにキュビスムの時代より後の作品だが、ミノタウロスの頭部には多視点的要素の平面的再構築が認められる。また光の表現は光線主義との対話が行われた可能性を見出せる。キュビスムの言語は彼のなかで生き続けていたのだ。

●図版として何度も見たことがあるぞ!

パブロ・ピカソ《レオニー嬢》(1910年)
パブロ・ピカソ《テーブル》(1910年)
パブロ・ピカソ《レオニー嬢》(1910年)
(長椅子に座ったレオニー嬢)
パブロ・ピカソ《修道院》(1910年)

いずれもマックス・ジャコブ『聖マトレル』(1911)の挿絵のための版画だ。書籍の図版において、特に《レオニー嬢》は何度も目にしていた。実際に見られるとは!

●すげええええ

アルベール・グレーズ、ジャン・メッツァンジェ『キュビスムについて』(1947年、版画ヴァージョン)

『キュビスムについて』は1912年の刊行後に、版画を収録したヴァージョンが出ている。アーティゾン美術館の「マリー・ローランサン」展でその外観だけ見ることができたのだが、こちらでは中身の一部が展示されていた。嬉しい!

ブラックいいね!

●etc.
 キュビスムが主の記事なのでここでは取り上げないが、西洋近代美術作品選(キュビスムの企画展示)以外もひととおり観てきた。充実してたな~。

─コレクション展観覧おわり─

古書店に立ち寄る

 国立近代美術館の観覧後、とある古書店へと向かった。所狭しと書籍が並んだ本棚の群れを眺めていたら、探求書のうちの1冊をみつけて購入してしまった。その読書感想文は後述する。

晩ご飯タイム

 昼ご飯を食べたファミレスに戻り、ミラノ風ドリア+セットドリンクバーの500円コースをふたりで注文する。結局、いととと氏はこのあとも2時間以上行動を共にしてくれた。

お別れの時間

 京都駅に戻り、いととと氏は鉄道で、私は夜行バスで家に戻る。お疲れさま&ありがとうございました!!!

待ち時間、そして夜行バスに乗る

 京都駅前発東京方面行のバスを待つ間、セブンイレブンでお土産ノルマを達成。後は1時間近く乗り場の周辺をうろうろしていた。乗車してからはトイレ休憩のたびに目が覚め、満足に睡眠をとれないまま朝5時半前に池袋に着く。そして朝マックを食べ、楽しい京都遠征が終わった。

一番安いセット

『立体派の画家たち 美学的省察』を読んで

 総括へと入る前に、古書店で購入した本の紹介をしておこう。

京都の古書店で買った本:
『立体派の画家たち 美学的省察』、ギヨーム・アポリネール著、江原順・小海永二共訳、昭森社、1957年

外函にピカソ画のアポリネール像の数々が
本体にはボロいけどパラフィン紙が残ってる!

 この書籍は『Les Peintres Cubistes、Méditations Esthétiques』(1913)の訳文、そして訳者のひとりである江原順氏の「アポリネール覚え書」から成り立っている。

この書籍の邦訳版だ!

 ひととおり読んで、やはりギヨーム・アポリネールは詩人であったのだと強く感じた。キュビスムの画家たちを称揚するための象徴的、幻想的、宇宙的、あるいは四次元的なメタファーを孕んだその散文は、美術書というよりは抒情詩のようであった。実際考察や理論より詩的な文章の割合が高く、logicとlyricのあいだに次元的な内容の乖離があり、一読ではなにを言っているのかよく分からない箇所も多々ある。
 それでも彼の興奮はひしひしと伝わってくるし、この詩情に心動かされた人々がいたであろうことは想像に難くない。おもしろいし謎の説得力があるんだよなぁ。もちろん私も感化された。本書のなかでもとくに好きな一節はこれだ。

  典型というこの幻影をつくるのが、芸術の本性であり、社会的な役割である。
[中略]
 この幻影〔典型〕は、わたしにはまつたく自然なものにみえる。芸術作品は、造型という観点からみて、ある時代がつくる、もつとも有力なものだからである。人間はこの〔幻影の〕エネルギーからのがれられない。そして、このエネルギーが、人間にとって、時代の造型の基準になるのである。だから、新しい絵画を嘲笑する人びとは、自分自身の姿を嘲笑しているのである。なぜなら、未来の人間は、最も生命力のある芸術、つまり新しい芸術をつくる芸術家たちがのこすであろうさまざまな表現にしたがつて、今日の人間を思いえがくだろうからである。

『立体派の画家たち 美学的省察』、p.22より引用
太字は引用者による

アポリネールやキュビストたちが生きた時代より「未来の人間」である私は、キュビスムという過去の芸術のなかにエネルギーを感じ、彼らの生きざまを思い描いている。アポリネールは人々が芸術に向けるまなざしの同時性と時間の超越性を、そして「新しい絵画を嘲笑する」行為の愚かさを説いているのだ。
 (一応)詩を編む者の端くれとして、この熱にほだされたまま筆を執ったような力強い文はとても刺激になった。この訳書はキュビスムの資料としても、詩人の大先輩の言葉選びを知る詩作としても素晴らしいものだった。

さいごに

 国立西洋美術館のキュビスム展に通っていたときより多くの本を読み、図版ではあるが作品との対話を重ねてきた。またこの展覧会をきっかけとして美術館に行くようになり、キュビスム以外の芸術もこの目で観察してきた。累計7回目の訪問となったこのたびのキュビスム展では、はじめてこの芸術に触れたときの感動を思い出したほか、自身の知識量の増加と考察力の向上を感じ取れてとてもよかった。キュビスム展は何回行っても楽しい! あと京セラ美術館はとても趣がある建物だった。その周囲には風情のある街並み、そして川沿いの桜並木があった。キュビスムづくしの1日だったが、私なりに京都旅行を満喫してきたことは言うまでもない。

京セラ美術館1階 北回廊と南回廊の間?
かっこいい
平安神宮の鳥居

 そして10時間以上にわたり、この小旅行に付き合ってくれたいととと氏には心より感謝申し上げる。彼は開催間もなくの西美のキュビスム展に行き、私にその魅力を教えてくれた人物のひとりだ。この出来事がなければ私はキュビスム展に行かなかったし、美術史への興味すら持たなかっただろう。ここ半年くらいでアートに関する価値観が大きく変わったのだが、それはいととと氏とキュビスムによるところが大きい。そんな彼とともに改めてキュビスムと対話し、感想を言いあうことができたのは至福の時間だった。
 ……文字数が「キュビスム展に6回行った話」より多くなってしまった。語ろうと思えばまだまだいけそうだが、このあたりで筆を置くとしよう。ここまでおつき合いいただき、誠にありがとうございました。

参考文献(刊行年順)

●『立体派の画家たち 美学的省察』、ギヨーム・アポリネール著、江原順・小海永二共訳、昭森社、1957年
●『SD選書46 キュビスムへの道』、ダニエル=アンリ・カーンヴァイラー著、千足伸行訳、鹿島研究所出版会、1970年
● 『キュービズム展』、東京国立近代美術館編集・発行、1976年
●『近代の美術 56号 キュビスム』、八重樫春樹編、至文堂、1980年
●『キュビスム』、フィリップ・クーパー著、中村隆夫訳、西村書店、1999年
●『岩波 世界の美術 キュビスム』、ニール・コックス著、田中正之訳、岩波書店、2003年
●『キュビスム芸術史』、松井裕美著、名古屋大学出版会、2019年
●『キュビスム展─美の革命』、日本経済新聞社編集・発行、2023年
●『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい キュビスム』松井裕美著、東京美術、2023年

おすすめの動画

note「キュビスムについて─キュビスム展を観に行こう─」より、一部編集ののち再掲載

●山田五郎 オトナの教養講座
動画2本 ※期間限定公開
前編(リンク)

後編(リンク)

 山田五郎氏による解説動画であり、前後編に分かれている。前編ではパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックのキュビスムが扱われる。後編ではフェルナン・レジェとフアン・グリス、そしてサロンのキュビストたちの動向から、モダニスムの話題まで広範な歴史をたどる。

●「アートと出会う」現代アート専門番組【MEET YOUR ART】
動画1本(リンク)

 国立西洋美術館館長の田中正之氏みずから、キュビスムについて解説してくださる。

関連リンク

いととと氏による西美のキュビスム記↓

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