見出し画像

【自己紹介】30代女性 キャリアの歩み -キャリアの育て方・決断の軸- (後編)

会社員10年目の女性 Conteです。
現在NY生活2年目の子なし夫婦世帯です。
日系大企業で部下無し管理職 & legalのバックグラウンドを活かしたキャリアを形成しています。

前編では、新卒入社3年目までの歩みをお話ししました。

今回はそのタイミングで訪れた試練の話から始めたいと思います。

新卒入社先での試練〜29歳での転職活動

順風満帆かのような日々でしたが、法務部内での異動に伴う人間関係をきっかけに体調を崩すようになります。
毎朝会社のお手洗いで30分ほど吐き気と戦っては自席に向かう、という日々を半年程続けました。

その時期に明確に感じたのは、"私はこの組織に末長くはいないだろう"ということ。
10数年後の組織・メンバーを想像したときに、
自分が前向きに仕事に取り組めている姿が全く見えなかったのです。

また、ちょうどその時期に結婚を考えており、
遠く無い将来に子供を産む可能性も考慮すると、
身動きがとりやすい今すぐに転職活動を始めるしかない!と気づき、29歳の時に動き出します。

心が疲弊した状態で仕事後に何社も面接を受けに行くのはしんどい時もありましたが、
"今すぐに現場から抜け出したい!"との一心だけで勇んで思わぬ方向に舵を切らないように、以下の思考・決断の軸を持ちました。

  • (次の職場在籍中に子供を産むことを想定し)育休・産休を現実的に取得可能な組織であること

  • 職種(専門性)を変えずに業種を変えること
    即ち、今回は専門性の軸を増やすのではなく幅を広げる方向を目指す方向で、将来の自身の市場価値を担保すること

  • 出産後の未来の自分へのスキル・能力貯蓄をしておくべく、子供を産む前にもうひと頑張り出来る チャレンジングな業務を扱えること

  • 現職の事業会社では、ビジネスが生まれ推進する"現場"に密着した仕事ができたので、
    次の職場では大局観やマネージメントの観点を得られること(ホールディングカンパニー等)

以上の軸を踏まえて、メーカーから総合商社の法務部へと転職しました。30歳になる直前のタイミングでした。

二社目: 総合商社 法務部

…転職後の生活がこんなに大変だとは想像だにしていませんでした。

まず、企業カルチャー及びそれを基底とするコミュニケーションの在り方が前職とは全く異なることに衝撃を受けます。
正直、"転職 失敗してしまったかもしれない"と入社数日で感じた程です。

その上、(自分が追い求めたものではあるものの、)メーカーと商社では扱う法分野や求められる視点が全く異なり、新人の気持ちで一からの学び直し。

全く即戦力にならない私に対するチームメンバーの落胆もひしひしと伝わってきて、扱いもそれなりのものになっていきます。。

転職後一年間は毎日「辞めたい」と思いながらも、
私一人の生活では無くなったこともあり、なんとか勘所を身につけようと必死に食らいつきました。

そんなストレスのせいか、気づけば転職1年後には体重が8kgも増加…!
毎日20時には仕事を終えるもののそれでも疲労困憊で、帰宅を諦め都内のビジネスホテルに宿泊することもしばしば。。

アメリカロースクール留学&研修

そんな中で突然の転機が訪れます。
転職後2年を終えたタイミングで、上司から米国ロースクール留学&米国会社での研修(計2年)の打診を受けたのです。

正直、全く予期していない打診でした。
というのも、「転職後のバタバタも落ち着いてそろそろ子供を(産んでもひんしゅくは買わないかな)…」と思っていたタイミングでしたし、
私には海外志向も無く、そもそも自分の実力不足をまだまだ感じていた為です。

そういった状況が"女性活躍"時代の流れとも相まって、「私が女性でなかったら、候補者に選ばれなかったのでは」と卑屈な見方をしてしまうことも正直良くありました。

「夫と離れて暮らすまでの価値を留学に見出せるのか?」そして
「私は子供を産めるのか?我が世帯は子供のいる人生を歩めるのか?」
という人生一大クエスチョンにこのタイミングで向き合うことになります。

正直なところ、子供の有無は私の体にかかっているところが大きい以上、貴重な体を留学に捧げることに前向きな気持ちになることはできませんでした。

しかし、配偶者は留学を勧めてくれ、更には休職し帯同してくれるとの申し出も。。
子供については、受精卵凍結等の治療をできる限りすることに決め、留学の内示を受けることにしました。

(この判断の背景として、当社組織の人材計画上、いずれかのタイミングで海外には行かざるを得ない状況が挙げられます。
ですので、「まだ身が軽い今のうちに海外に行ってしまうことで、将来の不意な海外赴任リスクをある程度回避しながらキャリアのサステナビリティを確保できるのではないか」、と考えたことも留学を後押しした一因です。
なんとも後ろ向きな判断ですが、出産適齢期の女性の考え方の一例として正直に記載しました。)

そうして、仕事をしながらの 1年間の大学院出願準備・不妊治療という慌ただしい日々が始まりました。

不妊治療ではどうしても体のタイミングに合わせて通院や自己注射が必要になりますので、業務時間に穴を開ける必要がでてきます。
男性上司ですとこの辺りがなかなかイメージしづらいと思うので、不安感を与えないよう丁寧に説明しました。

けれども最終的にはその上司から、チームメンバーに対して自ら説明をするよう命じられるなど、
本当にボーイズクラブの中で滅入りそうになりながら孤独な闘いとなりました。
(こういう世界を変えていかなければ…!)

出願準備にあたっても、高校の英単語試験の再試常連組だった私にはTOEFLの壁が待ち構えています。
それでも、不妊治療という1番のプライオリティに十分な時間を割けるようにとっとと出願準備を終わらそうという気概だけで、半年かけて106点を取得しました。

そうして、1年間で無事に受精卵凍結と大学院合格の結果を得て、2022年7月に夫と共にNY Columbia Law Schoolへと飛び立ちます。

そして2023年5月にロースクールを卒業し、7月にNY州の司法試験を受けた後、米国会社のlegal teamにて研修という名目で勤務をしています。

以上、長くなりましたが30代半ばまでのキャリアの歩みをお伝えしました。読んでくださってありがとうございます!

この記事が参加している募集

自己紹介

転職してよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?