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モチーフの共通項から語り手の思いを捉える〜年森瑛『N/A』を読んで〜


(2〜4分で読むことが可能です。)

 祖母の光線を浴びたそばから、まどかは自分から身体が離れていくような気がした。ピーラーで剥いたみたいに皮膚が剥がれ、肉がふわふわにほどけて、血管と神経の糸が広がって風に飛ばされて行ってしまう。吹きさらしになった大腿骨には片栗粉のダマに似た冷たくて透明なものが山ほどまとわりついて、そこから胴体へと色んなリボンが巻き付いて、祖母に流れる血を絶やさぬための、女の子型工場が組みあがる。煙突からはあたためたミルクのにおいが立ちのぼった。まどかの身体は、まどかとは関係なく大切にされる何かになった。

年森瑛『N/A』P42より

第127回文學界新人賞を受賞した、年森瑛『N/A』は生々しいエピソードが多く散りばめられた作品です。
今回はその物語の生々しさに対して、どうしてタイトルが無機質な「N/A」=Not Available/Not Applicable(該当なし、などの意)とされているのか。どうして無機質なモチーフによって主人公「まどか」の内面が描かれているのかを書いていこうと思います。


1.あらゆる枠組みへの拒絶の物語

まずはあらすじの確認です。
文藝春秋BOOKSでは下記の通り書かれています。

松井まどか、高校2年生。
うみちゃんと付き合って3か月。
体重計の目盛りはしばらく、40を超えていない。
――「かけがえのない他人」はまだ、見つからない。

優しさと気遣いの定型句に苛立ち、
肉体から言葉を絞り出そうともがく魂を描く、圧巻のデビュー作。

文藝春秋BOOKSより

主人公の「まどか」は人々が決めた「枠」に収まることができない自分と他者の違いを、強く感じて生きる高校生。
そういう「枠」によってしか物事を考えられない人を、バカにしていると言ってもいいくらい、「まどか」は嫌っています。

また「まどか」は「かけがえのない他者」という、恋人とも友人ともなんとなく違う関係の人を求めています。
付き合ってみようと提案を受け、年上の女性と交際を始める「まどか」はもちろん、その女性と「かけがえのない他者」になれるかもと期待している。だけれどそうはなれなくて、しかも女性は「まどか」には考えられない行為をしていて……。

簡単に書くと、このようなお話です。
「枠」は誰しもが何かを認識するとき、また行動を起こすときに無意識に従ってしまう考え方のようなもの。
そんな「枠」に「まどか」は「該当しない」。それが今作の大きな筋と言えるでしょう。
どこか人間らしくも、機械的にその内部に収まるか収まらないか判断しているようにも思われる「枠」を中心に、物語は進んでいきます。


2.デジタルに評価できないはずの人間


この作品において特筆すべきは「まどか」の語りです。
「まどか」は「枠」の機械的・人工的な部分を嫌っている気配があります。それは、次のようなシーンからも明らかでしょう。

 沈黙を埋め尽くす勢いで翼沙は喋り続けていた。店内は相変わらず音で溢れていて、このテーブルだけで急速に終末時計の針が大回転しているなど誰も思いもしなかった。二人の間に置かれたスマホ、その検索履歴には『LGBT 接し方』『友達 レズビアン』『友達 同性愛者 配慮』と並んでいるに違いなかった。普段の会話のような、渡すつもりのない言葉や、偶発の言葉もなく、うみちゃんと付き合うときにまどかも調べた、見たことのある、用意された言葉だけが翼沙から運ばれてきて、まどかは渡されたものを受け取るしかなかった。

年森瑛『N/A』P60より

しかしながら、本作を読んでいると、冒頭の引用や下記のシーンからも分かるように、「ピーラー」「片栗粉」などの工業製品や「女の子型工場」など、どうにも機械的・人工的な表現が目立ちます。

 今日一日、まどかは擬似的な恋の舞台装置と化していた。毎年のことだ。女の子たちが代わる代わるやってきて、時には真っ赤な顔で友達に支えられながら渡してくる。だが恋愛感情ではない。翼沙のいう推しへの感情に近い、というのはおこがましい気もするが、似たようなものだ。(後略)

年森瑛『N/A』P77より

何故「まどか」は機械的なもの・人工的なものによって、自身の嫌な気持ちを語るのでしょう。
今作では他に「ジェンダー」(と今作でそう呼ぶべきかは難しいところですが)の問題が多く登場します。頻出する「ジェンダー」と機械的な描写が、何らかの関係を持っているのでしょうか。

「まどか」は作中で、恋愛はきっと楽しいものだと沢山の人から言われたり、女性が好きな女性として周囲からみられたりと、様々な「枠」に押し込められます。
そしてそのことに「まどか」は納得していない。

ではなぜ「まどか」は「枠」の中に収まることができない、「該当なし」となってしまうのか。
それはひとえに、「枠」がデジタルに、即ち1か0か、有か無か、黒か白かで語られてしまうものだからと言えるでしょう。そこに途中段階はなく、ゆえに恋愛ではなく「かけがえのない他者」を求める=世間とずれている(1か0かで語ることができない)「まどか」の居場所も、「枠」を基準とした社会に存在しない。
「まどか」は別に、同性愛者ではありません。男性と付き合った経験もあれば、自らの女性性を殊更に否定しているわけでもない。

しかしながら、そんな「まどか」を外部の人間が見たとき、「まどか」は「異性愛者ではなく」「同性愛者の女性」として見られてしまう。
また「まどか」は血が出ることを嫌い生理を止めようとして食べることを制限します。目的がきちんとあるにもかかわらず、ここでも「まどか」は「拒食症」の「女の子」として見られてしまう。

「まどか」にとってはすべて違うことだけれど、それを口にしない限り、誰も「まどか」の真意を理解することはできない。
周囲の人々はただ、「まどか」について対して機械的にどんな属性が当てはまるか、当てはまらないかを勝手に断定してしまうだけ。

そのことへの忌避、1か0かではないのだという「まどか」の深層意識が、機械的・人工的な描写に表れていると考えられないでしょうか。

作品のテーマを考えれば、描写はもっと生々しいものにしても良いと思われます。
機械的・人工的なものに終始する特別の理由がない。

小説は日記とは異なります。個人的な日記であれば、そこには意味のないこと、特別の意図がない言葉が含まれます。
しかしながらこと小説に関しては、理由なく言葉が紡がれることはありません。

なぜその表現が使われているのか。別の表現だって可能なはずなのに、わざわざ選ばれたのは何故か。
このことを考えられるようになる、即ち文章を読んでいて、ある言葉の選択に違和感を覚えられるようになると、小説を読む楽しさがより高まるはずです。

『N/A』について考えるとき、「まどか」の語りが急に機械的・人工的な比喩を多く採用することには、このような違和感を感じられます。
また他にも、今作には着目すべき点が幾つもあります。
もし少しでも面白いと思っていただけたら、そういう違和感に注目して、是非作品を読んでみてください。


年森瑛『N/A』


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
面白いと思っていただけたら幸いです。
またこの作品がどう読めるのか知りたい、というご要望がありましたら是非コメントをください!
感想や要望、お待ちしております。

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