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探究こそ自由であれ

自己決定が幸福度に影響すると言われています。
世の中にいくつもある選択肢の中から、自分で選択することの大切さ。
失敗したとしても他責にせず、自分でなんとかしようと考え、道を切り開き、失敗ではなくそれを点として自分自身の人生のストーリーに書き換えていきことができる。

教育、とりわけ探究学習が必須になってから、テーマや方向性を学校現場ではない外から作られていく怖さを感じるようになりました。
世の中、自治体が抱える様々な問題。
それを早い段階で子どもたちに知ってもらう、考えてもらうことで解決につながるというロジック。

キャリア教育も自分のキャリアを早いうちから考えようという意図があるので同様ではあるのですが、
非認知能力を育んで、考える力、どんなことがあっても生きられる汎用的な力を育てるのと異なり、特定の分野にフォーカスして政策として進めていく専門性の学びとはちょっと違うのかなという気がしています。

自由の中で育つもの。
私は佐伯胖先生の「根源的能動性」という話が好きです。
生まれた赤ちゃんは誰に言われたわけでもなく、生まれてくる。指を握る。自分の中から湧き上がる意思があるが、成長とともに周りの意図を汲んで、行動するようになる、という発達の段階を聞いてなるほどなと思いました。

佐伯先生がお勧めしていた國府功一郎さんの「目的への抵抗」もとっても面白かったです。
目的へ抵抗することってできているかな、人間らしくいられているのかな、と考えさせられます。

目的を設定すると、そこから外れる行動は悪とされがちです。
これはソフトテニスの指導をしている自分にすごく当てはまります、よくわかる感覚です。子どもが練習中にふざけるとどうしても叱ってしまいます。
しかし目的を設定しない自由の中であれば、最低限のマナーはありますが、意思が認められる空間になる。
そして、自由だからこそ何をしたらいいのかわからなくなり、そこから自分の意思に気づける。

探究学習はネガティブケイパビリティを身につけることも大切です。
言われてやる。用意されてやる。制限されながらやる。
逆境の中で学ぶこともあります。

まだまだモヤモヤと、ネガティブケイパビリティの中で私の探究の探究は続いていきます。


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