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『チーズと文明』を読む−第3章「貿易のゆくえ−青銅器とレンネット」 人の交わりと技術の発展が相互作用して歴史はつくられる

「文化の読書会」での対象本は、チーズから文明を読み解いていく「チーズと文明」。今回はその3回目。

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【概要】
この章でも自分の頭の整理のために時代と出来事の流れの整理からスタートしたい。

BC6,000
黒曜石や銅が中央アナトリア(トルコ辺り)で発見、各地で取引
→銅石器併用時代に
ヨーロッパに作物品種改良、牧畜、酪農を伝播
BC4,000
銅が1813℃で溶けることが分かり劇的に発展、道具等開発
BC3,000
精錬技術の発達により合金、特に青銅が開発
→青銅器時代に
メソポタミアの都市ウルクも急速に発展し金属は装身具や農業器具としても需要が増加し、金属を車輪に巻いた車両にる運搬も発展。メソポタミア・アナトリア・エーゲ海へと物資(チーズも)・技術・文化・宗教・政治制度が伝わる。
ヨーロッパ中央部の気温が低下し、農業が厳しくなる。鋤を牛に付けて曳かせる農耕法が伝わったことで森の合間の空間は農耕地へ変化。また高山地方で樹木限界線が下がり、こうしてできた土地は家畜の放牧に適した。
BC1,400 
レンネット凝固による保存性の高いチーズができる
BC1,200 
アナトリアで鉄の精錬
→鉄器時代へ
BC1,185
 ペリシテ人がカナンに入植
BC1,000
 レパントの町アシュドッドまでチーズが海上輸送された記録

またチーズの表記の種類を見ても、レンネット凝固を用いた乾燥した固い保存が効くチーズが製造され始めていた。チーズは儀式用のみならずエネルギーと栄養を兵士に供給できる食品としても重宝された。
保存が効き、価値が高いということは貿易にも向く。海上輸送の厳しさに耐えるチーズがそれに適した陶製の保存用容器も開発されて、それに入れて運ばれた。この陶製容器は20世紀に木の樽や金属容器に代わるまで使用された。塩漬けにすると保存が効くということも発達していたと思われる。

青銅器時代のエーゲ文明でもチーズは田舎の人々の食料品としても、神殿の礼拝用と支配者層向けの食品にもなった。ヒッタイト人からミケーネ人に伝わったと推測される。

この当時の北欧は新石器時代だったが気候の変化と牧畜等の伝播もあって、農業に加えて高地と平地で季節ごとに家畜を移動させながら放牧する仕組みが根付いた。このようにして酪農とチーズ製造文化はケルト語族にも浸透した。

鉄器時代に入ると道具や武器も優れていて安い鉄が広がり、大草原地帯からは馬や二輪戦車なども入ってきた。それにより、軍事力を手にしたエリート層は軍人貴族階級となって格差が広がった。民衆の反乱や侵略等でミケーネ人たちは各地に広がり、遊牧民も侵入して混乱している中、アナトリア起源のペリシテ人がBC1,185年にカナンに入植して領土拡張を図っていった。交易網も発達させて繁栄を続けた。しかし、この後新しく勃興してくるイスラエルとの歴史も始まっていく。

【わかったこと】
人の大移動には自然風土の変遷がもたらす食料確保の問題が絡んでくる。一定の数の人がまとまって移動することで、その集団が持つ固有の文化・宗教(支配・統治のための構造)も広がっていく。それに伴い、チーズを始めとした加工技術を要する食べ物を長持ちさせるための技術も発達するし、新しく生まれてくる金属の技術もふんだんに応用していく。
このあたりはもちろん、自分たちにとって都合が良いものであるほど、この作用は高まる。さらに言えば、人の基本的欲を満たすものであるほど、より多くの人に伝播し、影響の相互作用は強くなる。食べ物はまさに、欲の中の基本中の基本であり、チーズは都合の良さも持ち合わせていた「両用食材」とも言えるだろう。

あとこれだけ技術が様々に変化していき、新たな素材も生み出されていったにも関わらず20世紀まで基本は陶器だったというのが驚きだ。それだけ陶器という素材は一定の域にまで達した究極の普遍性をある時期に確保したのかもしれない。

全くの蛇足だが、このあたりの話を読んでいて「転スラ」に出てくるこちらのシーンを思い出した。


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