正義の尺度は声の多数ではない

正義の尺度は声の多数ではない。-シラー

「周りの人たちが言っているから」
これが、いつの間にかあなたの中で、”世の中の常識””当たり前””正しい(正解)”の基準になっていませんか?

もしくは、「自分より権力がある人や影響力のある人がそう言ったから」
それが正しい、と、なっていませんか?


あなたの周りの何十人がそれを言おうと、それはその人たちが言っているだけなのですよ。
そして、例え世論がそれを言おうとも、それはただ単に、その文化、その時代の「流行り」でしかないのです。

ライト兄弟は、
「いま正しいことも、数年後間違っていることもある。逆にいま間違っていることも、数年後正しいこともある。」と言いました。

世の中に絶対の「正解」はありません。
何事も、見る角度によって、説明のしかたが異なるからです。
そして、「説明」というものは、言葉でできています。
言葉というものは、ひどく狭義の意味、しかも聞く人によって受け取り方の違う、必ず語弊を生む狭い狭いステレオタイプの言い方(表現)しかできません。
「言葉というのは、嘘しかつけないものだ」と言った人もいます。
まさにそうだと思います。
どんなに正しいこと、どんなに真実、どんなに真髄を説明しようとしても、言葉にできません。
言葉にした途端に、それは嘘になってしまいます。


あなたはそれでも、
「多数の声(言葉)」を、正しいものだと信じますか?

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