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かぞくのにっきで家庭に変化が。

うちは配偶者、母、私の3人暮らし。父は11年前に他界している。

3人暮らし10年が経ち、特に揉めまくったり喧嘩をする事もなくなってきた我が家だが、私は持病があり殆ど外出は出来ず家で療養中の身ではあるが最近は歩行も1時間は普通に出来るレベルまで回復しているので今年は桜を見に行きたい。

そんな日々で、些細な幸せを見出す事を全力で楽しんでいる日々の中…ふと家族で交換日記をしてみようと思った。配偶者も私もそれぞれ自分用の日記を持ってはいるのだが、中身を見る事はないので母を巻き込んで交換日記を始めた。1月某日から日記は始まった。

かぞくのにっき

ルールは特になく、単純に私の独断で「義務化」した。
手のひらサイズで日付がなくいつでも書ける気楽さが良いと思い「BREATH DIARY」をロフトで2冊購入した。

名前の通り呼吸をするように書ける素敵な日記帳だった。

色は3色展開で私は店頭で気に入ったベージュを購入。その時にさすがに店頭ラス1まで我慢した「おぱんちゅうさぎ」のほぼ日手帳のカバーも購入してしまった!!

母は経営者なので普段はあまり口数は多くない。よく笑う人ではあるが口数が少ない分、話した時は謎に面白い人だ。ただ日々誰かと話をする職業柄、休みの日は無表情で無言で過ごせる日帰り温泉へ1人で行ったりするような人で、私が母と直近で出掛けたのは昨年12月に珍しく3人で日帰り温泉へ行ったきりだ。

一般企業のサラリーマンの配偶者はおしゃべり。私と同じ量話すタイプで、10年前に婚姻届を出しに行く時にバスを待っている間の小一時間「STARWARS」の解説をされた時に実を言うとやや引いた…ここまでこの人おしゃべりだったっけ?という位には見た事のない映画の解説や解説や解説(笑)が得意な人で、それなりに勉強熱心で手先が器用で色んな物を手作りする。

母と配偶者はここ数年は私を家に置いて日帰り温泉へ行ったり私が先に寝ても一緒にドラマを観ていたり、私が入院した際は見事な連携をしてくれたりと円満だ。それでも何か、日々へのエッセンスが足りないと思う私は我儘だ。だが「かぞくのにっき」を設けた。

母は最初は「え〜」と困惑していた。過去の日記を読み返したら「みィからコーラ買って来てと言われた!しね!!」で終わっていたらしい。コーラを頼んだら殺意を抱かれていたとは…怖すぎだろ……。

しかしそんな母は翌日には日記を書いていたのだった。

かぞくのにっき(母)

母もだが私もたくさんお世話になった方が亡くなって1年が経っていた事を日記で知った。人の死とはあっという間だなと思った。それと昨年勝手に転職した配偶者の出勤時間の変化は実は我が家では私も同じく、朝起こすべきか起きるのを待つべきか…といった感じで一時期はまんじりともせずにいた日々が続いていたが、今のところ遅刻はないがヒヤヒヤする。私は昼夜が逆転してまるで夜勤の人のようになっている。

頼むから自力で必ず起きてくださいよぉ!!!

こんな想いを日記に綴ったりもした。配偶者は「かぞくのにっき」を読んで笑っていた。ちなみに母は配偶者の字と私の字の見分けがつかないらしく、配偶者を「N」私を「M」と表記するように言われたので以降はページの上に書くようになっていった。

かぞくのにっき(母→配偶者)

ある日は家の愛犬「タロ」の話題が母→配偶者の順で書かれていた。ちなみに母の日記のシールは一体いつ何処から持ってきているのか見た事がない。我が家で「サイコパスの犯罪にやたら詳しいから本人がサイコパスなのでは…」と言われている母の謎は深まるばかりだ。

だが、我が家には変化が起き始めていた。

口数の少なかった母が「ねえねえ日記読んだ〜?」と楽しそうに言うようになった。それがきっかけで配偶者や私は母に「日記読んだよ!あの話さあ…」といった感じで日記の話題で会話が弾むようになった。そして前回のnoteにある通り、私がぬいぐるみを作った日の母の日記。

かぞくのにっき(母)

ぬいぐるみィ1号を作った時の母は本気で私をナメていたようだ。翌日にはひよこのぬいぐるみを作り、いざ日記を書いてみたら私の手は線維筋痛症が再発したのかと思うレベルになっていた。

かぞくのにっき(私)

ひっでぇ字だなぁ!!と言われるかと思ったが、何故か労いの言葉を貰った。これもほんのちょっとした変化だ。金銭的な話もたまに出るのでそれはさすがに載せられないが、配偶者が母へいくら生活費を渡したのか、車検代が幾らだったか、収支報告もなされている。そして2月に入る頃には文章の中に「ありがとう」が増えた。

普段から「おはようございます」「おやすみなさい」「行ってらっしゃい」「おかえりなさい」「ありがとう」「ごめんなさい」は守っている我が家だが、やはり言葉より文字に残すとより印象に残る。ダウナー系の母が最近ちょっとシャキッとしているのも日記の影響かもしれない。以前は「1人の時にしか日記は書かない」と言っていたのに今日は私とコーヒーを飲みながら日記を書いていた。

インターネットを知らない母が「今日やることリスト」を書いていた。凄い…。配偶者は主に仕事から帰ってきて直ぐに日記を読み、それから日記を書く。配偶者も「ありがとう」が増えていた。昨年、私の入院中に突如として転職をした配偶者に私は当初は「まあ…お給料が増えるんなら良いんじゃない?」とは言ったもののその翌日には「なんで相談してくれなかったんだよ!」という怒りに変わり初めて2週間ほど顔を合わせないような生活をした事があった。

喧嘩という喧嘩はしないが、似た者夫婦と言われたらそうなのだと思う。私はADHDで、配偶者はASDかのグレーゾーンという発達障害的な言動が多い。会話もなんとなく客観視すると発達障害者の会話のようでもあるし、そうでもない日もあるが、私はよく他者から(働いていた頃)は天然系と呼ばれていたし、配偶者と私は傍から見ると「ちょっと話がくどい人」でもある。

そんな不思議な組み合わせの夫婦は案外多いようだ。発達障害は遺伝する。父はADHDど真ん中だったのではないかと今になって思う。我が家は子供を持たない選択をせざるを得ない状態に追い詰められた過去があるので、子供がいない。別に子供が嫌いなのではなく(寧ろ好き)子供が100%発達障害当事者として誕生する事も危惧しての決断だった。

色んな事があった10年目というキリの良い年から始めた「かぞくのにっき」は家族の絆を深めるものになりつつある。家の全員、こんなにハキハキしていたかぁ?と思うほどハキハキと話すようになった。そしてほぼ毎日、家に引きこもり状態の私の心境も変わっていった。ぬいぐるみ作りも恐らくそうだし、お小遣い生活なのに配偶者にプレゼントをしたところで「現物還元やん」と不貞腐れていた私だが(ひねくれ過ぎ)それで良いじゃないかと思うようになった。

かぞくのにっき(私)

バレンタインのプレゼントはまだ秘密だが以前彼が欲しいなぁ…としんみりと言っていた物で、なかなか手に入らない為、再販待ちをしていたものだ。私も欲しくなりお揃いにする事にした。結構な勇気が必要だったが幸いにもご快諾をいただき、お揃いに出来たのだ。さあ、喜べ、喜ぶんだ(間違いなく喜ばれる自信あり)

てか、私の字ってめちゃめちゃ汚いなぁ…。

殴り書きのような字で筆圧も激強なので以前勤めていた某クリニックでも「○○さんの筆圧はバン(カルテに後から挟む書類を挟んだバインダー)に穴開きますねぇ」と苦笑された事がある…学生時代のノートを見つけて読み返した時は正直、自分でも「読解不能」だった。書いた本人が読めないレベル…当時は読めていたのだからこれでもマシになったのだろう…。

こんな字の変化や文章の変化、そして意識の変化と感謝の気持ちの新しい伝え方で家族には確実に変化があった。母は1日2ページも書いていたりする。夕飯の何が美味しかったか、次は皆で何を食べるか等も書いてあったり、私がプレゼントをした物を母が部屋にディスプレイした日には「部屋に来て見て!!」と書かれていたり。配偶者も私も母の部屋に見に行き、斬新なディスプレイの仕方に笑った。

よく笑いよく食べよく話す家族。健全な家庭の何気ない日々…数年後にこれを読んだらきっとまた笑いが起きるだろう。思い出は心の中(記憶)にとどめておく人も多いだろうし、それはそれで素晴らしい宝物。我が家は記憶力が衰え、漢字も誤字の増えた母の記憶保持の為に役立っている(気がする)

紆余曲折を経て我が家の在り方がまた変化しつつある。私も苦手だった温泉へ行ってみたりぬいぐるみを作ってみたり、色々とチャレンジしていくようになった。母は休日は午前中から1人で買い物へ行ったり服を新調したり楽しそうだ。配偶者も以前より意見よりアドバイスをくれる人になった。良い変化は良い気持ちをもたらす。

これからも家族として私たちは変化し続けていくのだろう。

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