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Yes,but..からYes ,and..の政治文化へ

 ここ10年コワーキングスペースを岩手にという事で活動してきた中で、意見を主張する能力以上に、交渉する力・意見を調整する力というものを誰しもがつけていく方がいいと痛感して学習していった事がある。その中でもこの論法は素晴らしいと思ったのが、「Yes,but...」と否定するのではなく「Yes,and...」と続けて主張を肯定しつつ意見を述べていく論法。というよりも、その意識。決して自分でも実践できているかと言われればそうでもない事が多いが、この意識を持つことで相手への安心感は確保できるようになってきたし、広まることで日本の議会政治が改善できるのではと考える事が多くなった。

 安倍元首相が遊説先で銃殺される事件が起きてしまった。主張の対立による殺人は許されるべきではないしあってはならないが、少なくとも国家地方海外関係なく議会政治の場に「Yes,and...」で相互に主張し合う"文化""風土"づくりや、議員個々人で主張を理解しその上で自分や周囲の意見と照らし合わせて調整していく能力や意識を議員研修の席で培っていたら、多少なりとも未然に防ぐ事ができたのではないかと思う。それが伝わっていたら、マスコミも民間企業にも波及して、良質な民主主義が保たれていた可能性がある。国会議員も地方議会の議員もfacebookの友達には結構いて、活動報告や政治指針の主張を投稿している様子を見ることはある。けれども、少しでも対立会派の主張に対して自分の主張と折り合わせた見解を示したという投稿はなく、頭ごなしに反対の見解を否定する投稿も見ることはある。それを見ていると残念だし、特に選挙区の議員であれば次の選挙で入れたくないなという思いになる。

「暴力で政治が変わるとすれば、民主主義の崩壊。我々は暴力に屈しない。」と主張するのは間違いではない。この意見だって当事者からすれば「理想論で非現実的だ」と言われるかもしれない。とはいえ、政治における質問時の言葉のやりとりや、反対や不満、理想像の主張だけの一点張り、「Yes,and...」のような建設的な議論がなされない議会の状況、言論の自由が確保されている環境への甘えを持っているだけでは、悲劇がまた繰り返される可能性が高いと思う。

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