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日本人が知らない日本誕生の真相② 倭と隋の微妙な頓智外交


遣隋使が倭王について語ったこと

教科書では厩戸皇子(聖徳太子)が摂政だったとされる西暦600年。倭王が中国を統一したの皇帝に使者を送りました。これを遣隋使と言います。

隋の皇帝が倭から来た使者に対し倭王の様子について尋ねたところ、使者はこんな説明をしたのだとか。

倭王は、天が兄であり、日が弟です。まだ天が明けない時に出て、座禅しながら政(まつりごと)を聴きます。日が出れば、すぐに理務を停めて弟に委ねます。

それを聞いた高祖は「それは甚だ不合理(あるいは不義理)であるから改めるよう」訓令した。
以上、WIKI PEDIAより

さて。この意味がおわかりでしょうか?

<高祖>とは隋の皇帝ですが、不合理だから改めろと倭王に指示したそうです。何が不合理だったのでしょう。

座禅は体に悪いから椅子に座った方がいいよ。
起床時間が早すぎるとみんなに迷惑じゃない?
日が出てから仕事やめてんじゃねえよ。

そんなふうに「不合理」と思ったとしても、外交ルートではるばる倭国にその改善を促すなんてことはありえませんよね。

つまり、これは倭国がけしかけた謎々であり、皇帝にはこのナゾナゾの意味がわかったのだと思われます。
なぜなら、公式に「改善を訓令」するほどの重大事だと認識したのだから。

これは頓智(トンチ)みたいなもの。つまり、一休さんのごとく柔らかい頭で解釈した方が面白そうです。

倭王は天が兄で日が弟

」と「」は何を意味しているのか。
「日」は太陽のことでしょうね。では「天」とは何か。

「天」と「日」は別々の存在として扱われていますから、「天」は夜空を意味しているのでしょう。

天が兄」で「日が弟」だと言うのだから、その中間にいるのが倭王だということです。
で、それは何を意味するのか。

明けの明星」 つまり「金星」ではないでしょうか。
夜が明けて太陽が出てくる前に金星は地平線から昇ってきます。

つまり、金星は「天」と「日」の間にいます。
倭王は金星である>と言いたいのだとしたら、それは何を意味するのでしょうか。

「天皇」「天下」とかいう言葉があるように、権力者にとって「」は非常に重要な概念です。そして、「天」において一番偉い存在とは何か。

北極星ですね。夜空の星々は不動の北極星を中心に巡りますから、北極星は最高権力者である皇帝の象徴です。
しかし、金星は惑星ですから、ほかの星々とは違い、独自の軌道を巡ります。

しかも、金星は「明け方」と「宵(日没時)」に出現しますが、倭王は夜明けに太陽とともに出現するのだと主張しているので、「自分は日が昇るところ」にいるとも主張しています。

倭国の真意は

つまり、倭国は<皇帝の支配する世界には属さないで、日が昇る東方世界で独自に行動します>と主張しているわけです。

日が昇るところ」は「日のもと」であり、やがて「日本」へとつながってゆくでしょう。日本史上、いや日本人にとって、極めて重要な概念です。

これに対して皇帝が「問題だ」と思ったのです。倭王は皇帝の権威を尊重するにしても、その権威には服従しないで、東の方で自分なりにやっていきますと言っている。

隋帝国にとってこれは、世界の中心たる皇帝権力の否定であり、挑戦とも受け取れる重大な外交問題です。
ただしこれは、皇帝からの問いかけに倭王の使者が倭王の生活の様子について答えたにすぎません。

この使者は、あらかじめこう答えることを倭王から言い含められていたのでしょうか。それとも外交官としての独自の判断だったのでしょうか。

いずれにしても、倭国の外交姿勢を正式に語ってしまうと取り返しのつかない外交問題になりかねないので、あえて謎めいた表現にして皇帝の反応について様子をみたのです。実に巧妙な外交センスです。

これに対し皇帝が「改めろ」と抗議したことで、倭国は中国側の認識を探ることができました。
やはり、東の果ての倭国でも、独自路線は危険な賭けなのです。

倭国は独自路線を模索中

それで、皇帝の訓令に対して倭王はどう反応したか。
倭王はこんな手紙を皇帝に送りました。

日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無しや、云々

これをラップ調で現代語訳してみます。

オレ、東の天子。お前、西の天子。

メール送るぜ、最近元気かい~♪

これを読んだ皇帝はどんな気分だったでしょう。私が皇帝だったら、こう思います。

「コイツ、いつかぶっ潰す。」

けんか腰のような気もしますし、それほどでもないのかもしれず、そのあたりは私にはよくわかりませんが、なんとなく強気です。

ともかく、倭国は中華帝国との外交にまだ不慣れで、国際的な立ち位置を模索中です。

日本人にいま知っておいてほしいこと

かつて倭国が統一された中華帝国と外交関係を持っていたのは邪馬台国の時代までで、その後、中国の政権は南北に分裂し、古墳時代の倭王は中国の南朝に朝貢していました。

朝貢相手として南朝を選んだ理由についてはいずれ触れますが、南朝と仲良くしていた倭国は北朝から見ればとりあえず敵です。

分裂している中国は倭国に侵略する可能性がないという意味で、倭国にとって脅威ではなかったので気軽に付き合えましたが、ついに統一されてしまい、その力が倭国にも及ぶ可能性が生じてきました。

敵側であった北朝によって統一された中華帝国に対し、倭国はどう向き合うべきか。
選択肢はいくつもありますが、この課題が倭国の政治情勢に混乱をもたらし、その未来を左右することになるでしょう。

その「未来」には今我々が生きている現代の日本も含まれています。

日本人である皆さんには、今こそ「日本」の意味を知っておいてほしいと思ってこれを書いています。なぜなら、日本誕生当時と似たような状況が今起きつつあるからです。

今の中国も南北に分裂していますが、それが統一されたらどうなるか。
とにかく、私は謎の多い7世紀について時間をかけて語ってゆきます。


ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 <(_ _)>