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『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』の物語考察【#4】

「世代間に紡がれる希望の光」〜ケイトの物語〜

前回やすのさんの記事では、ランドル自身が、育ての親であるジャック・レベッカ、そしてランドルの産みの親であるウィリアムとローレルという4人の人生を知り、それぞれの人生を理解をしてゆく過程が描かれていました。その過程で、自分と親たちへの「許し」が起こり、それにより「不完全な存在であることこそが完全な人間性である」という自己受容という癒しをもたらしたことが書かれています。このドラマは、世代から世代へ様々なテーマが描かれているのですが、そこにはトラウマという傷もあるけれど、それがあったからこその「トラウマ後の成長」という、人生に深みと豊かさをもたらすことも描かれているドラマです。今回は、ケイトの人生をご紹介しながら、3世代に受け継がれた才能の開花と希望という光について理解を深めて行けたらと思います。
(注:ドラマのネタバレが含まれる記事です)


関係性を通して起こる癒しと自己確立のプロセス

ケイトの人生

ケイトは、ジャックとレベッカの間に生まれた一人娘。ケヴィンとランドルと一緒に3つ子として育てられました。彼女は、小さい時から体型が太めの女の子。学校では太っていることが原因で仲間外れや、意地悪をされる経験がありました。そんなケイトが36歳になり、摂食障害をわずらい、キャリアもままならず、パートナーもできず、思い描いていた人生とは違う道を歩んでいる自分に深く失望しているところから彼女の物語はスタートします。

憧れの母・レベッカとの関係性

家族の中で女性はレベッカとケイト。レベッカにとって自分の分身はケイトであり、ケイトにとってレベッカは1番身近にいる、女性としての理想やロールモデルでした。憧れの眼差しでレベッカ見つめる幼いケイト。彼女にとってレベッカの言葉は心深く影響するものでした。

幼少期のケイトの日常は、ケイトの体型を気にしていたレベッカによって、食事管理をされながら過ごしています。そのようなレベッカの不安は、いつしか自分は母親の期待に答えることができないという落胆となり、ケイト自身の自己肯定感の低さに繋がっていったのではないかと思います。

ケイトの体型に不安を感じていたレベッカでしたが、もちろん、それだけが親子の関係性ではありませんでした。レベッカは小さなケイトにピアノを教えたり、歌を歌ったりする様子も描かれています。しかし常にレベッカと自分自身を比べてしまい自信を失うケイト。歌を歌うことにもプレッシャーを感じていました。ケイトは心の奥に無力さを感じていました。

安全基地の父・ジャックとの関係性

ケイトにとって父・ジャックは安心できる存在でした。ジャックはケイトのそのままを受け入れ、常に励ましてくれる存在。食べ物に厳しいレベッカに、そこまで気にすることはないと言うのもジャック。ケイトが落ち込んだ時に話を聞き、常に励ましてくれるのもジャックでした。

二人の関係性はとても近しいもので、ケイトは父の様子を一番敏感に感じる子供だったと思います。父がケイトを気にして、心配したり励ますのと同じように、ケイトも父の微かな表情や様子を感じ取っては、時折気にする様子も見られます。

ケイトは高校になり、将来の進路に音楽への道を希望していました。そんな矢先に家が火事になり、家族全員無事ではあったものの、ケイトが可愛がっていた犬が家に残っていました。その犬を救いに戻ったジャック。犬は無事救出できたものの、ジャックは煙を吸いすぎたせいで容体が急変し、命を落としてしまいます。父親の死はケイトの中で深い罪悪感となり、そこから自分自身をどこかで責め続けてゆくことになります。

父・ジャックの死は、ケイトだけではなく、ピアソン家の共通する最大の痛みの体験でした。長い間、全ての家族メンバーが、ジャックについて目を向けることができず、みんなにとってジャックは、理想化されたヒーローである父親でした。そのような思い出の中でそれぞれが生き、またその理想化が、ケイト含め、深い喪失の悲しみを無意識的に見ない方向へ向かわせていたのかもしれません。

ケイトの自立と成熟

家族という関係性の中で
家族というのは、様々な役割を担う個人によって構成されています。家族療法では、家族を一つのシステムと見なし、それぞれの家族メンバーが、家族全体のバランスやホメオスタシス、すなわち全体の安定性を維持する役割を果たしていると考えます。そのようなバランスは、家族の変化、また予期しない問題や障害により、家族のダイナミクスに変化が生じ、家族成員の役割や形が再編成されたり、それぞれの成長が促されたりと変化してゆきます。

ケイトの出発
36歳になったケイトは自分と向き合うきっかけとなるトビーと出逢います。2人の出会いは、摂食障害のサポートグループのミーティングでした。二人は意気投合し、何度かデートを重ねながら自然と関係性は深くなってゆきます。そんなトビーと付き合いはじめた当初のケイトは、兄弟であるケヴィンの個人的なアシスタント的な役割を担っていました。ケヴィンは当時、キャリアに悩んでいました。そんなケヴィンにケイトは、何かあれば電話に出て話したり、すぐに彼の元に駆けつけたりと、ケヴィンを最優先にしていました。そんな間に入ってきたトビー。ケイトの人生はここから徐々に変化をしてゆきます。

大きな最初の変化は、ケヴィンとの関係性を変えることでした。そこから更には、父・ジャックの死後、歌うこともなかった歌を再び始めるのです。それがケイトの自立への道の第一歩であり、ジャックの死から止まっていた時間が再び動き出す時となったのです。

人生でやり残した課題と関係性の修復

人生に現れる悩み、葛藤は、人生でやり残した課題に向き合うきっかけになることがよくあります。36歳になったケイトは、摂食障害やうつ、ケヴィンとの依存的な関係性の中で変わることなく滞っていました。彼女の時間が流れ出すと、今まで見る必要のなかった課題に直面することになります。

ケイトの場合、歌を歌い始めたことで自分の自信のなさを含めた、過去の辛い記憶が徐々に表面化してゆきます。しかしその表面化は、ケイトが自分自身との繋がりをもう一度修復する機会をもたらしました。

またケイトが変わり始め、ケヴィンとの関係性のダイナミクスが変わったことで、それは、勿論、ケヴィンにも影響します。ケヴィンはその後アルコール依存の問題が表面化し、それがのちに家族全員が父親の死に向き合うこと、また家族それぞれがお互いの関係性を見直す大きな流れとなってゆくのです。

心理療法では、関係性で失敗しないことよりも関係性の修復をとても価値のあるものだと捉えています。人生で現れる課題や葛藤に向き合い、そして修復を繰り返すことで、自分自身や相手との繋がりは深まってゆきます。このような体験そのものが、自己信頼を高め、相手との信頼関係を作ってゆく一つのプロセスとなるのです。また、そうしたプロセスを通過する事そのものが、私たちの人間性を深めてくれるとも言えるでしょう。

母との関係性

ケイトがトビーにサポートされ、歌を歌い始めた時、最初に表面化したのは、ケイト自身の自信のなさや自己肯定感の低さでした。それはレベッカとの関係性の中で傷ついた心が徐々に表面化するきっかけになります。

人は完璧ではありません。レベッカも完璧な母親ではありませんでした。
レベッカ自身、自分の母親との関係性の中で常に不安を抱えていました。(『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』の物語考察【#2】参照)その不安はケイトの体型を常に心配するレベッカを通して、また父親に愛される”美しい母親”像として、ケイトの心に影響していました。

ドラマでは、ケイトの人生にトビーが現れてから、ケイト自身が今まで見ようとしてこなかった心の葛藤が、新しい人生の体験とともに現れ始めます。そこでようやくレベッカと向き合う事となり、そこから様々なぶつかり、居心地悪さも体験しながら、二人の関係性の傷は修復され、関係性は深まってゆきました。それと並行してケイトの自己信頼や自己肯定感を取り戻してゆきます。

自信を取り戻しつつあったケイトは、音楽を教える仕事に応募するのですが、学位を得ていなことが理由で仕事を得ることができませんでした。そんな時もトビーは、今が学校へ戻るチャンスなのではないかとケイトを励まし、ケイトは学校への入学を決めるのです。

父の面影

ケイトは父親ジャックを失った後、そのことに向き合うことができずにいました。そしてジャックの影の側面でもある、アルコール依存の問題はどこかで見えなくなっていました。

ケイトにとってジャックは常に頼れ、安心でき、また楽しい父親として心に残っていました。そのような安全基地である父親のような場所を求めていたケイト。やすのさんの記事にもビック・スリーがパートナに求めたものにも書かれていますが、ケイトの中にある父親をトビーに投影し、トビーもまたその役割を積極的に担っていったのだと思います。

このようなケイトの心の奥深くにある、ジャックの死に対する深い罪悪感は、トビーとの関係性を深め、パートナーとして彼の気持ちのケアをすることで、徐々に癒されていったのかもれません。あくまでも推測ですが、トビーとの関係性は、無意識の領域では、父との再会でもあり、父との繋がりを取り戻しながら、死から動けなくなった心を溶かしてゆくような癒しになっていたのかもしれません。

父の死と中絶経験

ケイトには、家族にも誰にも言えない秘密がありました。それはケイトの中絶体験です。それはトビーとケイトが二人目の子供を養子に迎えるプロセスの過程で浮かび上がります。

ジャックの死後、自分がどこに向かうのかもわからず、心の拠り所を探していた18歳のケイト。彼女が出会った男性との恋愛関係は、自分を大切にするようなものではありませんでした。相手は、その日・その瞬間楽しければ良いと言うような刹那的で地に足のつかないような人物。父の死後、自分を責め続けていたケイトは、自分を大切にしないような相手をどこかで選び、その相手と一緒にいることで、無意識的に自分へ罰を与えていたのかもしれません。自暴自棄になっていた時期だったとも言えるでしょう。そのような相手との間に赤ちゃんができてしまったケイト。そして中絶する事となるのです。父の死にも罪悪感を抱いていたケイト。その後も子どもの死、という体験を重ねていたのです。

ケイトにとって、その頃の自分を思い出すことは、父の死も、心の奥にしまっていた罪悪感にも向き合うことになります。その気持ちは、あれほど仲の良い兄弟にも話していなかった事なので、ケイトにとっては本当に重く辛ことだったと思います。この過去に向き合う事は、ジャックの死後、罪悪感に打ちひしがれ自分を傷つけていた自分と向き合うことだったのではないでしょうか。ケイトはその頃からずっと抱えていた心の苦しみに、ようやくここで区切りをつけることになります。

辛い過去の体験や感情に向き合うとき、レジリエンスが必要です。レジリエンスとは、回復力・立て直す力とも言いますが、それは辛さや苦しみを感じる力、受け止めることができるキャパシティとも言えます。ケイトはトビーと結婚し、また障害を持つ息子を育てる中で、トビーと一緒に乗り越えてきた経験が、誰にも話せなかった辛い経験に向き合うレジリエンスを育てていったのだと思います。人はそのレジリエンスと一緒に、癒しと回復へとむかうのです。

結婚・出産・離婚と再婚

ケイトの人生は、トビーによって動き出しました。カップルにもよりますが、二人それぞれの成長がどこへ向かうのかによって、関係性の向かう先も変化してゆきます。

トビーとケイトは子どもが産まれた後から、徐々に二人の問題が表面化してゆきます。カップルの難しさは、一人の問題がパートナーシップに影響されるだけではなく、二人の課題が浮かび上がってくるところです。

ケイトは最初の息子ジャックを育てているときに、盲学校のアシスタント教師として採用され、ケイトのキャリアは順調に進んでいました。自分のキャリア、また目に障害を持つ息子をエンパワーし、自立する力を育てることでいっぱいになっていました。自分の人生、また母としての責任でいっぱいだった時期です。そのためケイトは、トビーに気持ちを向ける余裕もありませんでした。

トビーはというと、息子ジャックの障害をなかなか受け入れられなかった時期もあり、また父親としての責任や不安を強く感じていました。それでもなんとか乗り越えてきたものの、二人の子どもを育てている時には、失業中でした。主夫になったトビーですが、彼は自分のキャリアに焦りを感じ始めます。この時期、トビーは自分のキャリア人生、そしてそこに共なう父親としての責任感でいっぱいになっていました。

その後トビーは仕事復帰に向かい、とても良い条件でサンフランシスコでの再就職が決まります。しかしその仕事についたトビーは、週の半分はケイトや子供たちと離れて暮らさなければいけなくなるのです。そこから二人の歯車はさらに狂いはじめます。二人は何度も関係性の修復を試みるものの、溝は次第に深まり、久しぶりに過ごす時間でさえも言い合いが増えてゆきます。

二人の歯車が合わなくなった時
ケイトとトビーのような問題は、カップルが子供を生み、二人の家族のスタイルが確立される過程で、多くの人が通る道です。二人は夫婦でもあり、また父親・母親でもあるのですが、それぞれ仕事のキャリアも含めた個の人生もあります。家族、仕事と、二人の期待、価値観、欲求がより複雑に絡み合うと、ストレスも高くなります。そのような時期は、過去からの置き去りにした課題や問題が出現しやすい時期でもあります。

余談ですが、日本社会では、個人の人生よりも家族、役割が優先されるために、近年は離婚は増えてきたとはいえ、まだまだ欧米に比べると、父・母の役割より、自分を優先させることを”よし”としない傾向も見られます。しかし夫婦間で起こっている問題は同じで、子供が産まれた後から、パートナーシップが大きく試されることは日本でも決して珍しいことではありません。

ケイトとトビーは、家族を守りたいという想いは同じでした。しかし別居生活は二人を疲弊させてゆきます。そのため二人は、家族がもう一度一緒に住むことが良いだとうと考えていました。しかしそれぞれの道も歩み始めた二人。ケイトは自分のキャリア、そして何よりも息子がようやく家や周辺の土地に慣れ始めたこともあり(目が見えなくても、歩けるような訓練を重ねていました)、トビーの仕事のあるサンフランシスコへに引っ越す決断ができません。そんな時、正規の教師のポジションに空きができ、盲学校の同僚のフィリップが、応募するように勧めるのです。

また同じタイミングで、トビーが今の仕事を決める時に、実はケイトたちの住むLAでの仕事のポジションにも受かっていたことをケイトが知り、ショックを受けます。ざまざま迷った後、ケイトは最終的にサンフランシスコへはいけないと告げます。結局トビーは、家族との時間、ケイトとの関係性を優先し、サンフランシスコでの仕事をやめLAに戻る選択をしました。一見、ここで家族の問題が解決したようにも見えますが、実はここが二人の更なる大きな分岐点になります。

その後一緒に暮らし始めた二人は、仕事に子育てに奮闘するのですが、トビーはケイトから、ことあるごとに子育てについてダメ出しをされる事が増えてゆきます。その上、LAでの仕事には、さほどやり甲斐と楽しさを感じていません。次第にトビーは、ケイトからは自分の気持ちや現状を理解されていないと感じ、苛立ちと寂しさに耐えらなくなってゆきます。一緒に住むことで家族の問題を解決するはずが、以前にもまして喧嘩や議論が増えてゆく二人。その結果、ケイトとトビーは最終的に別れの決断をします。

別れがもたらすもの

別れは誰にとっても辛いものです。しかし別れは人を成長に向かわせることもあります。ケイトとトビーの別れの原因は、二人の根本的な関係性のダイナミクスに大きな変化があったことが推測できます。

トビーは、幼少期から孤独感を感じていました。彼は両親の喧嘩をききながら育ち、最終的にはシングルマザーとなる母親のもとで育ちます。1度目の結婚にも失敗し、それが原因で過食や鬱も患っていました。

ケイトとの生活で、気がつけば喧嘩ばかりし、声をあげてしまうトビー。そんな自分に失望をしていましたが、心の中の孤独感は消えません。両親のような道を歩まないように、自分の気持ちは飲み込み、必死で家族やケイトを優先していきたトビー。彼はどこかで孤独にならないために、自分の声を抑圧し、相手に合わせてきたのかもしれません。

またトビーは、ケイトの父親・ジャックを意識していました。ケイトも、付き合い初めから、父親をトビーに投影していたことは少し前でもお話ししましたが、トビーがケイトの父親的な役割を自ら積極的に担っていたことで、二人のニーズ(ケイトは父のような相手を、トビーは孤独を避けるために相手中心に生きること)がピタッとあい、二人の関係は深まっていったのです。

上手くいっていた時は、ケイトに求められ、彼女を支えることで、彼の心の奥にある孤独感は満たされたのだと思います。しかしそこに孤独感を満たされるものがなくなれば、自分がしてきたことは、どこかで我慢となってゆきます。二人がまた一緒に暮らし始めてから、トビーの不満や葛藤が大きくなっていったのだと思います。

またケイトはケイトでサンフランシスコで働くトビーに違和感を感じていました。サンフランシスコで二人だけの時間を過ごすケイトとトビーですが、そこにはすでに大きな溝がありました。サンフランシスコでのトビーは、スタイリッシュでかっこよく、また彼のケイトに対するエスコートも、実にスマートでした。トビーは自分のやりがいに向かって頑張り、同時に家族を喜ばせたかったのですが、トビーが家族のためにしてあげたい事は、ケイトが求めていたものではありませんでした。そしてそれはケイトが好きだったトビーの姿でもなかったのです。サンフランシスコでケイトが、昔のトビーを懐かしむシーンにそれがよく映し出されています。

カップルはそれぞれが個でもあります。お互いの成長に共なう変化によって、別々の道を歩む決断をすることも自然なのです。また様々な出来事が起こる中で、相手を中心とした自分ではなく、それぞれの自分らしさが出てきた時に、違いがよく見えてきます。そこをどのように二人で乗り越えてゆけば良いのでしょうか。

乗り越える、というのは、何も別れを選ばず、一緒にいる事だけが解決方法ではありません。たとえ別れになったとしても、関係性の形としての結果は、どちらが良い・悪いではないのです。それはこの二人を見ていればわかるのですが、自分の心に従い、お互いが乗り越えた先に、新たな関係性の繋がりが開かれてゆくのです。

このような視点を持てば、相手との関係性を、婚姻関係という枠だけで図ることはできず、むしろその枠組みが、人の成長を止める可能性もあるのではないでしょうか。自分の人生を生きる時、相手と私はどこまで誠実に正直になれるのか?その問いは、婚姻関係ある・なしに関わらず、常に私たちの目の前に課題としてやってくるのです。

トビーの成長
離婚の書類にサインをする前のトビーは、「二人の物語がこんなふうに終わることは嫌だと」と言います。ケイトともう一度やり直そうとで話すのですが、ケイトは無理だと分かっていました。そして離婚の書類にサインをした当日、別れ際にケイトは、『私たちの結婚が終わっただけで、二人の物語はこのように終わるわけではない』と伝え、最後に『なるべくして一緒になり、別れるべくして別れたのだ』と落ち着いた様子で話します。ケイトは、それがいつか見えると思うとトビーに伝えるのですが、当時のトビーにはそれは見えませんでした。

その後の二人は、二人の子供を育てる親としての関係性が継続してゆきます。トビーは二人の子どもたちの良き父親であり、ケイトにとっては良き子育てパートナーとしての関係は続いてゆくのです。そしてトビーも新たな人生を歩みはじます。

そこから数年が経ち、トビーはケイトに、離婚の書類にサインをした日の会話について話します。当時のトビーには見えなかった二人のその後の物語は、ようやく彼にも見えるようになったのです。トビーはケイトと別れたことによって自分自身に向き合い、それが彼を成長させ、二人は新たな関係性へと変化していきました。一つの関係性の形が終わるのは、とても悲しい出来事ではありますが、この二人の、変化した先にある新たな関係性には、穏やかさと深い愛を感じることができます。

ケイトの人生・才能の開花

人生に深く向き合ったからこそ運命が動き出す。長い間、時間が止まっていたとしても、それはいつからでも動かせることができ、多くのサポートを得ながら、人は自分自身と繋がった時に、自分の才能を発揮するのだと思います。

ケイトの人生は、トビーとの出会いの中で、父親的なサポートを得たことから人生が動き出しました。その間にいくつもの過去に置き去りにされた課題に向き合いながら、また新しい経験を通して乗り越えていったのだと思います。そのようなプロセスの過程で、ケヴィンとランドルだけではなく母・レベッカの存在も大きく影響していました。ケイトがトビーのいるサンフランシスコではなく、LAに留まり、教師のポジションを応募することにしたのも、レベッカから言葉は大きく影響していると思います。

アルツハイマーを発症したレベッカは、自分がわからなくなる前に、ケイト、ランドル、ケヴィンに大切なことを伝えます。レベッカは、自分の病気のことで、子供達が自分たちの生活を小さなものにしないこと、小さなステップでもいいから人生に挑戦し動いていくよう、恐れなく進んでいくことを強く望んでいると伝えます。そして、もしもレベッカのパートナーであるミゲルが先に亡くなった場合に、そこからのレベッカのケアに関する指示や決断は、ケイトに任せたいと伝えたのです。そのことはケイトにとって、自分が母親に信頼され、また認められる体験となったのではないでしょうか。そんなケイトは、自分の欲求を抑圧し、トビーに自分を合わせるのではなく、正規の教師のポジションに応募することを決断するのです。

ケイトはトビーと別れた後、一緒に働いていた盲学校の同僚であるフィリップと仲が深まってゆきます。ケイトの人生を見ると、成長に伴いパートナーが変わってゆくことが見られます。もちろん、安易にパートナーを変えることが問題解決にはなりません。自分を見つめることがなければ、パートナーを変えても、必ず同じ問題が表面化します。しかしケイトとトビーのケースは、より自分に合うパートナーに出会うために大事な学びがあり、二人は出会うべくして出会い、別れるべくして別れていったのだと思います。

またケイトのその後は、盲学校の一教師から、修士課程を取り、音楽プログラムを構築するまでになるのです。レベッカがなくなる直前の頃には、自分のプログラムを世界中教えるために動き回る生活を送るようになっています。レベッカのアルツハイマーがゆっくりと進行する中でも、ケイトとレベッカの絆は深まり、同時にケイトの才能はどんどん開花され、レベッカの言葉通り、恐れなく前に進んでいったケイトの成長した姿を見ることができます。

世代間の癒しと希望

ケイトとトビーの息子であるジャックは未熟児で生まれました。また目に障害を持つ子どもでした。そんな彼は、トビーとレベッカ二人の喧嘩にも敏感に反応はしますが、二人からの変わらない愛情も深く感じていました。トビーは、音がよく聴こえるジャックに子供用音楽セットを買ってあげたり、またケイトもとても根気よく、音楽やリズムで、ジャックに道を教えたり、そしてレベッカはケイトに頼まれて、ジャックにピアノを教えたりと、ジャックの人生は常にエンパワーされ、深い愛情と音楽で溢れていました。そんなジャックは後に、レベッカ、ケイトの音楽の才能を3世代後に開花させたのです。

ジャックの才能の開花は、何も彼から始まったわけではありません。そこには、レベッカ自身の母との問題、そしてケイトが受け継いだ、レベッカとの母娘問題があります。しかしケイトが世代間に続く親子の問題や、人生に降りかかる様々な体験を乗り越えてきたからこそ、ジャックの才能を開花させることができたのだと思います。ケイト自身の癒しと成熟なくして、障害児を根気強く、自立を促し、エンパワメントをする育て方はできませんでした。またケイトがジャックを心から愛すことができたからこそ、彼女の音楽教師の道も開かれていったのだと思います。それが更に相乗効果となり、息子ジャックの成長を促すものとなったのだと思います。

トラウマは世代間にも伝播すると言われていますが、トラウマ後の成長や、癒しの希望と光も世代間に受け継ぐことが可能なのです。だからこそ、自分がやり残してきた課題へ向き合うことは、世代間に続く問題に向き合うことにもなり、個人の癒しだけでなく、世代間の癒しと次世代への可能性を開くことになるのです。

かつてレベッカは、歌手になるという夢を持っていました、またケイトは音楽学校を目指していた時期がありました。二人とも様々な理由で夢を実現させることはできませんでした。また二人の人生には悲しい出来事も、様々な葛藤もありました。ケイトには多くの酸っぱいレモンのような体験はありましたが、それを甘いレモネードに変えいくことができたからこそ、息子のジャックに受け継がれていったのだと思います。

酸っぱいレモンをレモネードにするために

レベッカとジャックが三つ子の一人を失い、悲しみくれていた時、当時の担当医師が自分の経験を踏まえて、ジャックにこう話したエピソードがあります。

「こう考えたいんだ。あの子を亡くしたことで、他の大勢を助ける道に私は導かれたんだと。また、こう考えたいんだ。君も年老いた時に自分の経験を若者に語るだろうと。人生が差し出した酸っぱいレモンをレモネードに変えた経験を。そうなれば君は病院から3人とも家に連れ帰ることができる。予定とは違うがね。有意義な話か老人のたわ言か。だが伝えたかった。」

『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』

この言葉が、ランドルを引き取るジャックの決断となるのです。そこからジャックとレベッカ、そしてビッグ・スリー(ケイト、ケヴィンとランドル)の物語は始まりました。それぞれが数多く酸っぱい人生経験を通して、自分を見つけ出していき、彼らの人生は酸っぱいままではなく、レモネードとなってゆきました。物語を通して感じるのは、時に問題から目を背けることはあるけれど、そこに誰かがいてくれたおかげで、自分自身に勇気を持って向き合うことができるということです。それがあってはじめて癒しが起こり、人は成熟・成長へ向かう事ができるのです。

「どんなに酸っぱいレモンでも、レモネードを作ることができる」

『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』

ケイトにように、直接の親子の修復は現実的には難しいことはありますが、親子の課題は、私たちの身近な関係性の中に現れます。直接、親子の修復が行われなくても、今・ここに現れる課題や葛藤を見つめることは、未解決だった過去からの傷を癒すことができる機会でもあります。自分の辛さや悲しみに向き合いながら、自分自身を許し、また自分の願いや希望を育てながら「私はこのままの私でよい」という自己信頼や肯定感を育ててゆくことは可能なのです。このような自分との紡ぎ直し、そして相手との関係性を深めてゆくことは、いつからでもできるのです。人生には遅い、ということはありません。そのような姿は、ドラマの中に出てくるピアソン家を支えるパートナーや周囲の人々の人生にも、物語を通して見ることができます。

また物語には、ピアサポートだったり、個人やカップルセラピーに通う場面が出てきます。本来、心理療法というものは、自分自身を見つめ、酸っぱいレモンをレモネードに変えるための勇気とサポートを得ながら、自分自身に向かう場と時間だと思っています。病気や症状をターゲットにするのではなく、もう一度、自分自身と繋がり直す場所でもあり、悲しみ、辛さ、嘆きを癒し、自分の中の可能性を再発見する時間だと思っています。そのようなプロセスを通して、私たちの人生をいつからでも酸っぱいレモンをレモネードに変えることができ、表面化した問題や症状は、ケヴィン、ランドル、ケイトのように自然と変化してゆくものなのです。

物語の終わりに出てくるケイトは、シーズン1に出てきた、自分の体型を気にして小さくなっているような女性ではありません。10年という時間の中で彼女がどのように変化していったのかは、物語を見ながら、彼女の姿をぜひ、実感してみてください。

バトンタッチ

今回で『 THIS IS US/ディス・イズ・アス 』の物語考察はここで終わりとなりますが、ケイトの人生は実に様々な可能性を示してくれるものだったなと思います。しかしこのドラマは、あくまでも西洋の文脈、それもアメリカの文化、その歴史や社会的背景が影響し構成された物語です。そこでふと日本で生まれ育った場合の個や家族の在り方は実際にどうなのだろう?という疑問が浮かびました。もちろん、文化を超えた一人の人間としての普遍的なものはあるのですが、文化、歴史や社会的背景は、個や家族の成り立ちに大きな影響を与えます。しばらくアメリカの文脈で見ていた個人や家族ですが、今度は日本の文脈の中での日本的なアイデンティティの形成、人との繋がり、家族を探りたい!もっと知りたいと思い始めました。その辺りを次回、やすのさんに是非聞いてみたいと思います!

参照:
・『THIS IS US/ディス・イズ・アス』シーズン1〜6
・What ¨This Is Us¨ Can Teach Us About Family Dynamics
https://www.psychologytoday.com/us/blog/the-gen-y-psy/201710/what-is-us-can-teach-us-about-family-dynamics  
参考:
Jung Platoform, Your Individuation 2024 (Course): Apply Jungian concepts for your personal development. https://jungplatform.com/

Photo by Le Petale Studio on Unsplash


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