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危機の時代にあって Ⅰペテロ4章8節

Title by Peter H via Pixabay

2022年11月20日 礼拝

Ⅰペテロの手紙
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

はじめに


前回の講解では、Ⅰペテロ4:7において信徒に向けて、ペテロは、『万物の終わり』が到来したと述べたことを語りました。当時のローマ帝国内では、天変地異や、皇帝ネロの治世といった社会情勢の悪化を見ますと、終末期を予感させる事件に満ちていたことがわかります。

信徒は、イエス・キリストのお生まれは、約束のメシヤの到来であり、預言の成就でした。それゆえ、新約の教会は、明確に「終わりの時」に生きているとの意識を持っていました。

こうした、終末観を持ったクリスチャンたちは、時代の様子を見て、主イエスの再臨は近いと考えていたようです。危機に脅かされつつも、主の再臨を待ち望む希望の中に生きるクリスチャンに向けて、ペテロは、大事なことを伝えていきます。前回は、祈りの確保が中心でしたが、今回は困難な時代に最も大切なものとは何かをペテロは語っていきます。

愛しあうこと


4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

キリスト教において、何がもっとも大事なこととして教えられていることと言えば、愛であることはまちがいないでしょう。

愛はキリスト教の本質であり、旧約聖書、新約聖書の中心です。その愛とうのは、ギリシャ語では、アガペーの愛です。ギリシャ語では、愛を表す言葉として、主に4つの種類があります。

古代ギリシャ語における愛の分類

古代ギリシャでは、「愛」という言葉には4つの種類があったそうです。
次のようなものです。

エロス(eros)
エロスとは、本能的な愛、肉体的な愛、主に男女関係における愛のことを指します。 求めるかのような男女の間の恋愛を表す愛の概念です。

フィリア(philia)
フィリアとは、友人の間の友愛のことを意味します。 友人の間での友情、信頼や結束、連帯感などを表す概念です。

ストルゲー(storge)
ストルゲーとは、親子や兄弟の間の家族愛のことを指します。 血縁に基づいた強い家族愛を表す愛の概念です。

アガペー(agape)
アガペーとは、無条件の愛、無償の愛を意味します。 キリスト教的な自己犠牲をいとわない博愛主義を表す愛の概念です。

https://motivation-up.com/know/4love.html

聖書の愛はアガペー

イエス・キリストはこうした4つに分かれる愛の中でも、旧約聖書を引用し、愛はアガペーであると言いました。

マタイによる福音書
22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

新改訳改訂第3版 いのちのことば社

アガペーの愛が旧約聖書の神学の核であり、イエスの宣教の中心であることを明らかにされました。

使徒パウロも同様です。愛の賛歌と言われているⅠコリントの手紙13章の中で

Ⅰコリント13:1、8
「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
(中略)愛は決して絶えることがありません。」

新改訳改訂第3版 いのちのことば社

と述べてアガペーの愛こそが、絶対的であり、永遠であることを強調しています。

クリスチャンの愛

クリスチャンのなかにある愛は、アガペーの愛であるべきです。ギリシャ語に出てくる他の3つの愛は、そのいずれもが、自己愛や利己愛に行きつくものです。アガペーの愛は、そうした自己愛や、利己愛とは異なり、

アガペーの愛は、「愛される価値のない者を愛する愛」という意味になります。愛する側の態度は、「あなたは愛する価値がある」と認めることにあります。しかも、愛する相手に価値はないとしても、愛する側は、そうした相手を計ることなしに、たとえ、私たちが人々の目に価値のない者として映ってたとしても、神は私たち一人一人を尊重し、「価値ある者」と認めてくれるという意味なのです。

人間は、常に自分にとって損か得か、必要か必要でないかで、愛する、愛さないを決定するのですが、神は、好意・嫌悪、要・不要、損・得といった価値判断で愛しているのではないのです。神にとっては、すべての人を愛しており、すべての人の価値というものを認めてくれているということです。

Ⅰテモ 2:4
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

新改訳改訂第3版 いのちのことば社

アガペーの愛を知る者として

キリストを信じる者は、この無価値の自分を愛してくれたという神の愛を知っています。
ですから、私たちは、アガペーの愛を知る者として召されているという特権をいただいています。

しかも、神の愛(アガペー)(は、キリストによる十字架の死による救いと、キリストを信じる人の救いの確かさという点において明らかにされています。

つまり、信じる一人ひとりが、神のアガペーの証拠だということです。
神は人類の救いのために慎重にお考えになり、綿密な計画によって御子イエス・キリストを救い主としてお立てになりました。
また御子を信じる者たちをあらかじめ定めて下さったのです。

エペ
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

新改訳改訂第3版 いのちのことば社

そして私たちにイエス・キリストを信じる信仰を与えて下さり、その信仰に基づいて神は御自分の約束を誠実に果たされます。
こうして、私たちの罪を赦し、神の子としての祝福にあずからせて下さっています。

アガペーは不可能か

アガペーの限界

東洋における愛の概念について見ていきますと、次のように要約されます。

作家伊藤整(せい)によれば、「他者を自己とまったく同じには愛しえないがゆえに、憐(あわ)れみの気持ちをもって他者をいたわり、他者に対して本来自己がいだく冷酷さを緩和する」というのが東洋的な知恵のあり方で、この考えから、孔子の「己の欲せざるところを人に施すなかれ」という教えが出てくるのだという。他人を自分と同じに愛することの不可能が自明の前提になっていて、そこから相互に相手を哀れみ、いたわりあう愛が生まれてきたというわけである。

コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)「愛」

私たちは、キリストが私たちに示してくれた十字架の愛という完全なアガペーを前にして、たじろぐばかりで、受けた恵みに感謝しかないと言わざるをえないという思いを抱くばかりではないでしょうか。

そうした意味では、伊藤整が示した東洋的な愛の概念のほうがわかりやすいですし、実践し易いものです

。ところが、キリストが示したアガペーは、

マタ 22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

新改訳改訂第3版 いのちのことば社

他人を自分と同じに愛することは無理であるとした、人間の限界を肯定した生き方から超越して、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』と命じます。

なぜ、キリストが、そのようなアガペーを命じたのでしょうか。
どう考えても人間の本性を考えたら不可能であるアガペーを命じたのは、
イエス・キリストが十字架に進んで従い、その死によって、自己を犠牲にしたことで、真の愛をキリスト自らが示したことにあります。

そうした絶対的なアガペーの愛が、十字架によって示された以上、信じる者には、不可能と思われる厳しい生き方を命じられたのです。

命じられたからといって

しかし、命じられたからといって、自己を犠牲にするまでのアガペーを行うというのは苦行に近いものがあります。愛を行いなさいという言葉は同意しつつも、実践ができないのが実際の姿ではないでしょうか。これが、行いによる信仰の限界です。いくらクリスチャンらしく愛を振る舞ったとしても、心において憎しみや嫌悪がある限りは、アガペーをまっとうはできません。

アガペーを可能とするもの

愛は、行いではありません。それは、キリストへの信仰と信頼にあります。
神の愛を受け入れた者は、神の愛の新しい契約の中に生かされます。

ガラテヤ書2:20
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

新改訳改訂第3版 いのちのことば社

人は生れたままの状態では、神を知らず、神から離れ、悪を行い、神に敵対する罪人ですが、(ロマ5:10.参照ルカ19:14)、神に愛され救われた者は互いに愛し合うべき存在として、変えられているのです。
(Ⅰヨハ4:11)

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません」(Ⅰコリ13:4以下)と言われている通りです。
キリストを信じ、受け入れた者には、聖霊によって新しい愛の人格が可能となるのです。

それが、聖霊の働きです。キリストを信じる者には、聖霊が私たちの人格の中心に存在するようになります。この働きのゆえに、私たちは、命じられてできるものではない、アガペーをいただくものとなり、アガペーをこの生かされた生あるうちに行うことができるようになるのです。

アガペーを困難にするもの

マタイ24:12
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

新改訳改訂第3版 いのちのことば社

キリストによって、もたらされたアガペーの愛は、ペテロが活躍した時代、迫害や天変地異といったもので、心乱された人たちに不安と恐怖に陥れたのではないかと思います。具体的には、前回の記事を見てください。

特に、皇帝ネロの迫害は、クリスチャンに恐慌をもたらしたのではないでしょうか。マタイ24:12にある愛というのは、「アガペー」の愛ですから、これは、すべての人々を対象としたのではなく、クリスチャンの愛が乏しくなってくるという意味であろうと考えられます。危機や迫害、終末期に現れてくる様々な出来事は、クリスチャンの心理面において相当なストレスを与えてくるということを示しています。ストレスにさらされたクリスチャンは相互不信に陥り、アガペーの愛から離れるようになります。

愛が冷めた教会

イエスが、マタイ24:12で語った言葉は、まさに、そのまま現代における教会の問題でもあり、教会員同士の不信やいさかいの原因になっています。

愛なきところに、罪の指摘が現れます。自分の罪を忘れ、人の些細な傷を見て、そこを攻撃するようになります。
ペテロの時代もそうだったのでしょう。度重なる迫害や、誤解といったものが目に見えない形で、心理面に影響を及ぼし、ストレスとなってクリスチャン同士が信頼できない、許せないという気持ちを起こさせていたのではないでしょうか。そうした、人々の心理を見て、ペテロは語ったのでしょう。

Ⅰペテロの手紙4:8
何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

新改訳改訂第3版 いのちのことば社

神の愛アガペーに立ち返ること、神に愛される存在でなかった者であったのに、罪赦された者以上に、今は、価値ある存在として認めてくださっていることを思い起こさせるためです。

私の罪によって、イエス・キリストがそのいのちを失い、私たちに与えてくれたことを思い起こさせてくれます。
どれだけ、大きな罪を赦してくれているのかがわかれば、私たちは、兄弟姉妹の罪を断罪するだけで終わらないはずです。
コロナという困難な時代だからこそ、支え合う、仕え合うそういう時代に突入しているのではないでしょうか。

イエス・キリストがまず私たちの罪を覆ってくれたからこそ、今、自分の救いがある。このことを忘れないようにしましょう。

レキシコン


8節

4:8πρὸ πάντων τὴν εἰς ἑαυτοὺς ἀγάπην ἐκτενῆ ἔχοντες, ὅτι ἀγάπη καλύπτει πλῆθος ἁμαρτιῶν:

πρός,p \{pros}
1) to the advantage of 2) at, near, by 3) to, towards, with, with regard to

πἀς,a \{pas}.
1) 個々の 1a) それぞれ、あらゆる、あらゆる、すべて、全体、皆、すべてのもの、すべて 2) 集団的 2a) あらゆる種類の一部分

ἀγάπη,n \{ag-ah'-pay}.
1) 兄弟愛、愛情、善意、愛、博愛 2) 愛の祝宴

ektenés: 引き伸ばされた、イチジク。熱心な、真剣な
原語: ἐκτενής , ές
品詞:形容詞
音訳: ektenés
音声スペル: (ek-ten-ace')
定義:引き延ばされた、熱心な、まじめな 会った:真剣、熱心。
ヘルプ 単語研究
1618 ektenḗs ( 1537 /ekから派生した形容詞、teinōを強化する「完全に」、英語の用語「緊張」と「緊張」の語源でもある「伸ばす」) – 適切に、伸ばす、つまり完全に完全にぴんと張った; (比喩的に)最大の可能性で、必要な結果が得られるように完全に拡張する傾向があるため、たるみがありません。

ἔχω,v \{ekh'-o}.
1) 持っている、すなわち保持する 1a) 身につけるという意味で手に持っている(保持している)、心を所有する(警報、動揺する感情などを指す)、速く保持する、持つ、構成する、巻き込む、みなす、として保持する 2) 持っている、すなわち所有している 2a) 財産、富、家具、道具、商品、食物などに関連するような外部の物事。 2b) 血縁、婚姻、友情、義務、法律などの絆で結ばれている人たち、または付き合いのある人たちに使われます 3) 自己を保持する、自己をそうであると見なす、そのような状態にある 4) あるものに自己を保持する、あるものにしがみつく、固執する 4a) 人や物に密接に結合している

καλύπτω,v {kal-oop'-to}.
隠す、ベールをかける 1a) 物事を知るのを邪魔する

πλῆθος,n {play'-thos}.
多数 1a) 多数の人または物 1b) 全数、全体、集合体 1b1) 民衆の多さ

ἁμαρτία,n {ham-ar-tee'-ah}.
264と同等 1a) 分担がないこと 1b) 的外れ 1c) 間違うこと 1d) 直道と名誉の道から外れること、間違ったことをすること 1e) 神の法から外れること、神の法を犯すこと、罪 2) 悪いことをしたもの、罪、違反、思考または行為における神の法の違反 3) 集団として、一人または多数の人が犯した罪の複合または総体 4) 虐殺、戒め・戒律を破ること 5) 虐殺をしたことないものないものはない。