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2022年アドベント第1週 信仰と希望と愛 『ピスティスに生きる』Ⅰコリント13章13節

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2022年11月27日 礼拝

Ⅰコリント
13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

はじめに


クリスマスまであと1ヶ月を迎えました。いよいよアドベントですね。キリストの御降誕を待つこの期間、御子イエスに思い巡らすときでしょう。クリスマスまでの間、私たちは心静めて穏やかな気持で神を待ち望みたいものです。計4回のアドベントの礼拝において、『信仰と希望と愛』というテーマでメッセージをしていきたいと思います。アドベントの第一回目は、『ピスティスに生きる』というテーマで語ります。
どうか、私たちの心にゆたかな神のみこころがとどまりますように。

アドベントをむかえる


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Ⅰコリント
13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

新改訳聖書第3版 いのちのことば社

アドベント(降誕節)をむかえるにあたりまして、みなさまは何が大切かと考えたことがありますか?

イエス・キリストの御降誕を祝うこと、クリスマスツリーや飾りで彩る。等々あるかと思います。形で入ることは決して悪いことではありませんが、形だけにとらわれて、中身を忘れては困りますね。

私たちが問われているのは、クリスマスらしくすることではなく、心の充実です。心が満たされてこそ、アドベントを迎えるにふさわしいことではないでしょうか。

ピスティス


ところで、満たされることに必要な一歩は、信仰です。Ⅰコリント13章13節では、信仰ということばは、ギリシャ語本文で πίστις(ピスティス)と書いています。このピスティスということばは、単に信仰という意味ではなく、

by S. Hermann / F. Richter  via Pixabay

πίστις,n {pis'-tis}.
1)何事も真実であると確信すること、信じること。1a) 神に関するもの 1a1) 神が存在し、万物の創造者であり支配者であり、キリストを通して永遠の救済を与える者であるという確信 1b) キリストに関するもの 1b1) イエスがメシアであるという強く歓迎すべき確信または信念 1c) キリストを通して神の国の永遠の救済を得るという確信。1c) キリスト教徒の宗教的信念 1d) 神またはキリストへの信仰から生じる、信頼(または確信)という主要な考えを持つ信念 2) 忠実、誠実 2a) 頼りになる人の性格

The Online Greek Bible

信仰ということばの意味するところの幅広い概念ではなく、より限定的な意味を持つということです。

『 イエスがメシアであるという確信または信念 、 キリストを通して神の国の永遠の救済を得るという確信』ということが、ピスティスの本来の意味になります。

こうした視点で、最初のアドベントの記事を見ていくと最初のクリスマスへの理解が深まります。

最初のアドベント


さて、世界で初めてのアドベントの恵みにあずかった人は僅かでした。多くの人は、メシアの誕生がいつであるのかを知っている人はほとんどおりませんでした。

聖書によれば、アドベントを迎えることができたのは、イエスの母マリヤと夫のヨセフ、ザカリヤとエリサベツ夫妻、東方の博士たちに限られていたようです。

マタイによる福音書
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

新改訳聖書第3版 いのちのことば社

正しい人

彼らは、『正しい人』として紹介されていますが、新約聖書で正しいということは、正しい行いをしている人を言うのではなく、神の御心に生きる人という意味になります。

神の御心に生きる人というのは、自分の利益や欲望を満たすことではなく、神が望まれることに満たされている人を指します。つまり、イエス・キリストに満たされていく、聖霊に満たされていくことを求めるということです。

彼らは、聖書に書いてあることを忠実に守るだけでなく、その忠実さは心に表れていました。自分が楽しようかとか、人が見ていなければ…といったうわべだけの生き方ではありませんでした。神に対する愛に満たされて、自分を律していたということです。

救い主を信じていた人々

ルカによる福音書
1:41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。
1:44 ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。
1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
1:46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、
1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
1:48 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。

新改訳聖書第3版 いのちのことば社

ユダヤ人の救い主への待望は、歴史が始まると同時にありました。救いの約束というのは、罪の歴史と軌を一にしてます。人が罪に堕ちるやいなや神はすぐにも救いの道を開いてくれました。原始福音とも言われる創世3:15には、最初の救い主の預言があります。

また、神がアブラハムに語りかけたなかに救い主の預言があります。(創世12:3,17:7等)メシヤが与えられるという約束と、そのメシヤ待望への信仰は、イサク、ヤコブ、ユダ…モーセへと受け継がれていきます。
最初は、アブラハムの個人的な信仰であったことが、ヘブル人の確立に伴って、選民イスラエルの信仰へと育まれていきました。
イシュマエルではなくイサクが選ばれ、エサウではなくヤコブが選ばれていくという神の選びの中に、神のご計画が表されていきます。

初代の王サウルが退けられて、後に立てられるダビデ、その子ソロモンの時代にイスラエル王国は理想の王の型を見ることとなり、また、ソロモン王国の繁栄は、天国の荘厳さを予表しました。しかし、その後は王国の分裂や捕囚といった苦難が続き、国が滅んでいく過程を辿っていきます。ちょうどイエス・キリストがお生まれになった頃は、イスラエルは、ローマの属国となっていました。ですから、ユダヤ人にとってローマからの政治的解放の救い主の誕生の機運が高まっていました。

当時のユダヤ人の圧倒的多数は、政治的解放といった、神の御心にかなう待望をしていなかったとはいえ、まことの救い主の到来を告げる福音書の著者は、信仰深い少数の選ばれた民がいたことを告げています。それが、イエスの母マリヤと夫のヨセフ、ザカリヤとエリサベツ夫妻、東方の博士たちでした。

幼子のような信仰をもとに

 聖書の示す真の救い主は、政治的や経済的な救いではなく、政治や経済といったこの世からの救いであり、かつ霊的なるお方であること、現世利益に基づく誤った選民主義を打ち砕く、全世界の救い主でした。

そしてこのことは、賢い者や知恵ある者には隠されて、幼子たちに現されたというところに神の知恵があったことは言うまでもありません。

ルカによる福音書
10:21 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。

このクリスマスを迎えるアドベントにあたって、私たちは何を思うのでしょうか。家の飾りつけ、年末年始の行事、大掃除…忘年会等々、気忙しいことで私たちのスケジュールが埋まっていないでしょうか。
最初のアドベントに存在した人々のほとんどは、救い主の到来を信じてはいましたが、その救い主は、政治的、貧しさからの解放や、今ある状況からの救いが信仰の目的でした。彼らのスケジュール帳には『まことの救い主』が欠落していたのです。

つまり、自分たちのことで頭がいっぱいでした。救い主の到来を待ってはいても、たとえ神を信じてはいましても、神の御心と救い主の到来に心が満たされていた人はごくわずかでした。

信仰とは、自分のやるべきこと以上に、神に信頼することです。心をイエス・キリストで満たすことです。アドベントの第一の週として、自分の信仰をまず見つめ直すこと、イエス・キリストに心満たされるように祈ることから始めていきましょう。