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自分のこと13 兄の話
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そろそろ終わるかなー。
書ききれてない補完はあるかもしれないけど。
さて、家族内では最後ですかね。
とは言っても、接点あんまないんだよな。
幼少期は、兄と歳が離れていたのもあり
兄が連れてくる友人に混じりたくてくっついていくことはよくありました。
長男は可愛がってくれましたが、次男はどことなくウザそうにしてました。まあ男の集まりに女児が混ざってると面倒なんでしょうね。
母の胎に道
自分のこと12 母の話
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母の話を書くと長そうだなぁ。寝そう。
今の企業を辞めるにあたっては、自死する前に書かないといけないなではあるのですけどね。
さて書いていきましょう。
母は父と比べれば貧乏ぐらしをしていたそうです。
父は食べ物とか人脈に困ったことは無いと聞いていますが、母はちょっと入り組んでいて
物心がつく前に祖父(実父)と祖母(実母)が離婚しており、シングルマザーだったようです。
女手ひとつで育て
自分のこと9 32歳
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乗り越えてしまえそうなほどエネルギーが返ってきてしまった。急いで書かないと。
私のこの遺言マガジンは、「乗り越えられない人」「乗り越えられなかった人」が言わずに死んだときの言葉を綴らねばならない。
私だけが立ち上がっても意味がない。
立ち上がれない人をどうしていくかの情報の集積にするべきだから
さて32歳です。厄年ですね。
(数え年が厄年数えになるので女性33歳になります)
今
自分のこと8 31歳
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さて、前厄も近付いてきていよいよ拗れてきますよ。でもまだ鈍子だったので、普通に生きてましたね。鈍感力ってこういうこと言うんじゃね。
さて、31歳は確か、労働できなくなったり猫が死んだりした時でしたかね。ちょっと前後するかもしれない。
3社目が私を解雇してすぐコロナが流行り始め、右肩上がりになっていた経営が一転、倒産寸前までいったそうで。
まあ2社目も私が辞めてから億単位の敗訴を繰り
自分のこと7 27歳~30歳
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さて、タルパもいるくせにアチラサマとも繋がりができて、頭の中が大混雑ですが。
すげえなこれ他人には聞こえないらしい。ちょっとだけ羨ましい(人数が多い分大体絶え間ないので、脳が疲れる)
聴こえること自体には不満はありません。
家庭は相変わらずでしたかね。
価値観は違いますが、だからこそ父は相談相手として最適だと思っていました。
友達みたいな関係ではないから、一々悩むなとかまたそれかみ
自分のこと6 26歳~ スピリチュアル
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社会人になった頃かな。
このへんは転機なので、古い付き合いでも性格が変わってしまう人が多く現れます。
私は社会からはみ出てでも、一番近くを守りたかったので、その転機には出会いませんでしたかね。
働く傍らで、要支援2くらいかなの母を介助したり、相変わらず生きる気欲を失いかける母を支える日々だったと思います。
昔(私が小学生くらい)は、生にしがみつく気持ちが少なからずあったので、クリス
自分のこと3 19歳~24歳
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大学時代は特筆することあんまないですが。
小学生から高校生までいじめにあってましたから、母には2週間ほど友人の心配をさせたかなと思います。
まあ「頑張って!」で私からの信頼を失ってるので非常にどうでもよく。おひとりさまもこの頃は普通だったし。
何より「クラス」というものがないため(一番多い学科だったから入り切る講義室は数えられる)、グループになる意義はあまり感じませんでした。
ただ