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やさしい言葉はどこからくるの。

noteでみなさんのご投稿を何氣なく拝見していると、目にしたとたん、涙があふれてしまうようなやさしい言葉に出会うことがあります。
心に届くより先に、体がふるえて涙があふれる、という感じです。

やさしい言葉が届くって、すごいですね。
その瞬間に、「自分の色」が、体の輪郭からほんのりですが別の色に塗りかえられる……そんな氣持ちになります。
そして塗りかえられたあとには、自分をいっそう好きになっている氣がするのです。

そういうことを感じるとき、わたしはしみじみ、「人は言葉でできているなあ」と思います。
わたしはわたしの言葉でできている。そして、周りの人が発した言葉を、その自分に重ねて進化していく。

世界を構成するすべての素粒子は、同時に波でもある。
それは量子物理学でどんどん明らかになっていく、世界の仕組みの一部です。
わたしたちの体を構成する無数の細胞、細胞を構成する無数の素粒子──それが波であるのなら、その集合体であるわたしたち自身も、疑いようなく波である、ということになります。
普段それを意識することはあまり多くないかもしれませんが、誰かの言葉に心と体がふるえるとき、「わたしは波である」ことをはっきりと感じます。言葉は間違いなく、わたしをふるわす振動であるからです。
だから、受けとった瞬間にわたしがかわる。届いた言葉の振動がわたしの波に重なって、わたしは少しだけ形をかえる。

noteを始めてからというもの、みなさんの記事を読むのが楽しくて仕方のない理由を、あらためて思いました。
みなさんの書かれるものを、わたしはたぶん波として受けとっています。
もちろんわたしだけでなく、どなたでも波として受けとっているわけですが、その解釈や感じ方は人それぞれですので、どんなふうに受けとっている氣がするか、ということは、十人十色だと思います。
わたしは、比喩ではなく感覚として、本当に波で受けっとています。
言葉の持つ音の振動だけでなく、たぶんその言葉を発せられたときのその方の心の動きまで含めて、スマホの画面に開かれた記事は、それをさざ波のようにわたしの心に運んでくれます。
その波を、自分の波に重ねる毎日が、今はとても愛おしいのです。

本を読んだり、音楽を聴いたり、絵画を鑑賞したり、スポーツを観戦したりすることも。
たぶん、波の受けとり方。
だから、わたしたちは、それに影響を受けるし、感動する。心と体を、物語が、音楽が、絵が、スポーツが、ふるわせてくれるから。

さて、そうして多様な振動でわたしを塗りかえてくれるみなさんのご投稿。感銘を受けたたくさんの言葉のなかからいくつかを、どうぞ紹介させてくださいね!


ひとつめは、寿(ことぶき)@介護エッセイ・元お笑い芸人さんのご投稿。

初めましての自己紹介を
何度もした。
その度に自分を
好きになった。

これは、介護のお仕事をされている寿さんが、認知症の方々とのふれあいのなかで紡ぎだされた言葉。
【全国老人福祉施設協議会第14回 介護作文・フォトコンテスト キャッチフレーズ部門】に応募され、見事【最優秀賞】を受賞されています。
実は、わたし自身、長く寝たきりの認知症の身内がいます。この言葉の描く風景が、どんなにやさしく日常を切りとったものであるか、しみじみと味わいながら……その波で、わたし自身を塗りかえさせてもらいました。
やさしく清々しい言葉にあふれる寿さんのお部屋。どうぞ下のバナーから、訪れてみてくださいね。↓↓↓


ふたつめは、枝瀬泰@先生はスゴイ!さんの記事から。

こういう時だからこそですね、
知恵のある人間は、知恵を出そう。
力のあるやつは、力を出そう。
汗をかけるやつは、汗をかこう。
金のあるやつは、金を出そう。
私何もないんですってやつは、元気出そう。

これは、東日本大震災の2日後に、歌手の松山千春さんがラジオで話された言葉だそうです。
年初の大きな地震の少し後に、枝瀬さんが投稿された記事に紹介されていたもので、わたしだけでなく、励まされた方が多かったのでは、と思います。
何か大変なことがあったときも。そうでない日常でも。
そうだ、元氣をだそう!わたしにもそれならできる!(なにしろ元氣も「波」ですからね!)
流れ過ぎてしまうラジオの言葉を、こんなふうに残されて、noteにご投稿くださった枝瀬さんに感謝。引用部分だけでなく、枝瀬さんご自身が書かれる言葉も、とても力強いですよ!↓↓↓


最後は、PTAかいちょーさんさんのご投稿から。

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」

マーガレット・F・パワーズさんの「Footprints」という詩をご紹介されたものです。
こういう言葉にわたしの感想などは邪魔になるだけですが、「ともに在る」ことの素晴らしさを伝える言葉の振動が、大きな波になって、わたしの心を洗ってくれる氣がしました。
PTAかいちょーさんさんのご投稿は、いつも幸せパワーにあふれています。何氣ないご家族の日常を投稿されることが多いのですが、(こういうふうに生きていらした方は、絶対いい人だ!)と思わせてくれる、不思議な魅力を持っています。癒されたい方はぜひ。↓↓↓

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
これからも、やさしさと個性のあふれるみなさんのご投稿、楽しみに拝読させていただきます。



追記
こちらの記事に、2週にわたってふたつのコングラボードが届きました。スキをくださったみなさま、記事にご協力くださったみなさま、本当にありがとうございました!↓↓↓

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