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ダニー・ネフセタイ「国のために死ぬのはすばらしい?」高文研 イスラエルからきたユダヤ人家具作家

イスラエル空軍での徴兵生活を終えているユダヤ人から日本を見たとき「何が見えたのか?」。キーワードは「帰還不能点」。「越えてはいけない限界点が何なのかを見極めよう」ということらしい・・。

その対象は「原発依存化」「軍事依存化」「右傾化」・・俺はゴリゴリの原発反対派ではないが、大いに頷ける点も多かった。

世界各地に散らばっていたイスラエル人たちは建国後、シオニズム運動によって<アラブに住んでいたパレスチナ人を傷つけながら>「約束の地」に移住を始める。。そこには「イスラエルの正義」しか存在せず、パレスチナ人が何人死のうが家を失おうがおかまいなしだった。

筆者も当然の如く「愛国少年」だった。小さいころから「捕虜になるな、最後まで戦い続けよ」「国のために死ぬのはすばらしい」というマサダとテㇽハイの教訓をたたきこまれた。100万人のパレスチナ人を殺し、追い出していくことは正義の戦いだと当然の如く考えていた。かつての日本のように・・。

イスラエル空軍退役後、バックパッカーでアジア旅行へ。東の果て日本もその旅程に含まれていた。その後、縁あって日本留学を果たし偶然参加したパーティーである日本人女性と出会い、1984年に結婚した。

趣味であった家具造りを専門職にするための学びを日本で続け、これも縁あって神奈川県秩父山奥の空き家を改装して「木工房ナガリ家」を建てた。さらにその地に自作のログハウスを1999年に建て、家族と生活した。

そんなダニーさんがイスラエルの「正義の戦争」の誤りに気付いたのは2008年~2009年に起きた「ガザ地区攻撃」だった。大量の民間人虐殺が行われたのだ。この時、「イスラエル自体が一線を越えてしまった」と感じたらしい。それまでは対話のテーブルを設けて話し合いでしようと努力してしていたが、「帰還不能点」を越えてしまった。日本国内で母国を非難する講演活動をする中で、母国の人たちからかなり「売国奴」「国賊」といった非難の嵐が吹き荒れたらしい。

その延長線上に3.11があった。「国家の暴力と嘘」があまりにも露骨になったのが福島原発事故をめぐる国の対応だった。調べれば調べるほど完全に人災だったということが明らかになったくる。

東京電力は福島原発建設に関わって来たGEから提案されていた海抜20メートルラインを運転コストのために断り海抜10メートルにまで下げた。これだけでも大いに問題であるが、その上放射線のデータが公開されたのは被爆後という杜撰さだ。(しかし、結局何の責任も取らさないのが日本の司法・・)

正直俺はあまり「原発反対」をゴリゴリに進める事には賛同しないが、民主、自民と続く原発事故の処理や右傾化、無関心について大いに不満があるから、うなずける部分が多々あった。

この本のメインテーマではないが、ここでも「メデイアの暴力」が紹介されていた。つまり「変わった外国人」「日本文化を愛する外国人」だけを映したいマスコミはダニーさんの一番言いたい「原発依存化」「軍事依存化」「右傾化」へのメッセージはきれいにカットし、「取りたい場面だけ」を放映したらしい。(「やっぱりな!」俺も体験済み)

私達のまわりには「放置してはいけない『帰還不能点』」がいくつもある。今イスラエルは海外(特にドイツ)に移住しようとする人が増えているらしいが日本もそんな方向にいくのではないだろうか。他人事ではなく自分事としてまた考えていきたい。

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