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異国では無くなってしまった異国

この国に住み始めて、30年近く。                    
一番最初に来たのをプラスしたらもう40年近く・・・・
思えば近くて遠くにきたものだ・・・

そしてここは私が生まれた母国じゃないけれど、異国でも無くなってしまった、と最近特に感じるようになった。

当初からホームシックになるような大きなカルチャーショックというのはほとんどなかったけれど、それでも数々の「えっ!?」「信じられない!」な体験はあった。

例えば・・・・

  • 週末は特定のお店以外閉店(40年近く前)。映画館とファーストフード店くらいしか開いていなくて、メインのデパートも閉店。スーパーは開いていたと思うけれど、かなり早い時間に閉店していたと思う。

  • 交通機関が定刻通りに来ない、キャンセルは当たり前。(これは今もあまり変わっていない)
    ある時は「やけに加速してるな」と思っていたら、車内アナウンスで「加速しすぎで停車駅を通過してしまいました。でも戻れないので、次の駅に向かいます」と。  「そんなことってありなのか?!」と思ったけれど、乗客が顔を見合わせて、苦笑。怒る人は誰もいなかった。まあ、お昼過ぎであまり急ぎの人はいなかったからかもしれないけど。

  • 仕事に対する責任がいい加減。
    支払いを待っているのが分かっていても、客層を見て店員同士のおシャベルをやめない。(これは今もあるけど)
    修理を頼んでも大幅な遅刻やキャンセル、なんて当たり前。(これも今もあるけれど)かなり驚き、憤慨した。

  • 銀行口座の名前が違っていても、即訂正なんかしてくれない。何度言っても間違った名前で訂正されてくる。そのまま放置するしかなく、訂正は銀行口座を閉める時に初めて、真剣に取り組んでくれた。 


でもそんなふうに思っていた時は

「こんな時、日本だったらこうはならない!」
「日本ではこれはあり得ない!」と無意識で日本と比べていたから。
日本ではない国に、日本の基準を持ってきていたから、だった。


他にも色々あったと思うけれど、今はもうほとんど全てのことに慣れてしまった。それは自分の年齢の半分以上をこの場所で生活してきたから自然なことかもしれないけれど。

人は慣れていく、環境に。
最初は違和感があって、時間がかかっても、生活していれば慣れていく。慣れてしまう。良くも悪くも。

日本を最初に出た一番の理由が、温泉のように緩く慣れ親しんでしまった環境にいる自分が「このままじゃ嫌だ!だめだ!」と思ったからだった。

でも今この異国の地に住んで、そんな感覚になっている。
まだ言葉だって完璧じゃないし(こんなに長く住んでいるのに、まだこの程度しか理解できないのか、話せないのか、とよく思うくらい)それでも、普通に、普通に生活することには困らない。日常会話、病院での受け答えくらいは一人で理解することもできるし。
毎日多かれ少なかれドラマ(生活の上での色々な出来事)も乗り越えて今まで生活してこれた。

移動の時なのかな・・・・               移動先は母国なのかな・・・
若かった時温泉だった母国は、もう私にとって異国化している。生まれた国だけれど、生活しなくなって時間が経ちすぎてしまっていて・・・
日本人的な常識を経験する年齢で私は日本にいなかったから、その日本の常識が身についてない。
学ぶものが沢山ある、ついていけないことも沢山ある、理解できないことも沢山ある、異国で生活するような、母国になるのだろうか。

今日も電車に乗って仕事に行き、仕事をして休憩をとり、また仕事に戻り、電車に乗って帰ってくる。
こんな毎日が数日続く。                 異国だけど、もう異国じゃない私の通常の1日が始まる。












そんなことばかりじゃなかったのに。
笑ったことも沢山あったし、楽しかったことも沢山あったのに。
いい思い出よりも、嫌な思い出の方が記憶に残る、と聞いたことはあるけれど、
過去の辛い思いや出来事を、”に持ち込んで生活しない”
悲観的な性格ではないのだけれど、過去の辛い出来事の比重が重く、大きいからなのかな、と。それか単に過去をいまだに引きずっている、潔くない、性格





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