【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第22話-春、修学旅行1日目〜裕①


 親友の初恋がどのように終わったのか、裕は知っている。誰よりも近い場所でそれを見てきたから。それがどんな辛い別れだったのかを。
 だから貴志が無表情かつ冷酷な仮面をつけている意味も知っている。それが看破される事は大きな問題だった。
「貴志のミスじゃない。ただあいつの観察力がバケモノなだけだよ」
 仮面自体には問題はない。ちゃんと相手の嫌がる言葉を選んで、ちゃんと冷たい態度で接して、ちゃんと相手が近づいてこれない距離感を保っている。看破されるまでもなく、そもそも相手の興味を失うように行動できているはずだ。
 しかし、本当にそうか?例えばミーティングと称したお茶会ではどうだ?いくら貴志の家だったとは言え、率先してコーヒーを入れる姿はどう映る?
 福原は何気ない普段のそういう側面を、逃さずに見ていたと言うことなのか?
 前髪をくしゃくしゃにかき上げて、頭を抱える貴志の表情は困惑の色に染まっていた。キリッとした目元が涙をこらえるように歪んでいる。裕は貴志の肩に手を置いた。
「お前から時々、本来の優しいところが滲み出てるのは否定しないよ。コーヒー豆をオレたちに合わせて変えてた事とかな。
 それは瑞穂にもバレてしまってるかもな」
 瑞穂の観察眼には驚かされる事が多い。瑞穂本人は自覚がなく、ただ勘がよく当たる程度にしか感じていないらしいが。
 貴志と同じ班になろうと思った理由を、瑞穂は分からないと言っていた。ただ貴志の悪態に違和感があったのだと。
「着ぐるみ…怖い言葉だな」
 もう2年近く嫌な人間を演じて、周りを遠ざけてきた。文字通り、今貴志が周りに対して取っている態度は「着ぐるみ」そのものなのだ。裕は親友の言葉にそっと頷いた。

 なあ貴志…。そう前置きをして、裕が切り出した。
「オレ、瑞穂が好きだ。
 お前の態度に対してすら、ちゃんと内面を見ようとする。
 そんな瑞穂が好きなんだ」
 戸惑いから一転、貴志の表情が柔らかさを取り戻す。親友の真っ直ぐな想いにゆっくりと頷いて耳を傾けた。それを応援したいと心から思う。
 しかし裕の言葉は、思わぬ方向へ流れていくのだった。
「もし…瑞穂がお前の仮面を全部引っ剥がしてしまって、お前が本心をあいつにさらけ出してしまえるようになったら」
 そこで裕は言葉を区切る。続きの言葉が喉元まで出かかってはいるが、吐き出せないのだ。それは本当ならば言いたくない言葉だから。
 もしも貴志が自分の意志で、瑞穂に本心をさらけだすとしたら、その時は瑞穂の気持ちはきっと、もう…。それでも。
「それはそれで良いと、オレは、思うんだよ。
 その時はもう、自分を苦しめて生きるの、やめろよ」
 裕の肩が震えている。これから告白しようと思っている少女。世界で一番かわいいと思っている少女。その瑞穂が貴志を好きになってくれる事を、心のどこかでは望んでいる。
 彼女なら、貴志を縛り付けている後悔や罪悪感も、それごと愛してくれるんじゃないかと思えるから。根拠はないけれど、なぜかそう思えるから。
「オレは今日、瑞穂に告白する。ちゃんと好きだって伝える」
 裕の声が震えている。肩も声も震えを抑えられないでいる。
「笑っちゃうだろ、怖いんだぜ…オレが。どんな時でも笑って済ませる山村裕さんがだ」
 かすれた声で強がって見せる裕に、貴志が微笑んだ。二年前と変わらない涼やかで優しい笑顔だ。
「今は周りに俺しかいない。無理に笑う必要はないよ」
 貴志の声は穏やかだった。低く曇らせたいつもの声ではなく、二年前の涼しいそよ風のような声。親友同士の時間をゆっくりと風が包みこんで流れていった。

 貴志も裕の笑顔の仮面を知っている。家ではまだ小学生の弟と妹を支える頼れるお兄ちゃん。学童保育へのお迎えも裕が行っている。弟たちに寂しい想いをさせない、楽しいお兄ちゃんであるために、両親に心配かけないために笑顔でいる。
 学校では下世話な冗談を繰り返し、周りの空気を柔らかくする。同時に裕が明るく振る舞えば振る舞うほどに、周りは貴志を無愛想で嫌なヤツだと仮面の部分しか見なくなる。
 裕の笑顔が光となって、貴志の影をより深めているのだ。
 貴志と二人の時なら、どちらの仮面は必要ない。貴志の前でだけは笑わない自分でいられる。
 裕だっていつもへらへらと笑っているわけではない。笑顔の下で悔しい思いや、悲しい思いを噛み殺している事だってある。ただそれは見えないだけなのだ。
 出会って間もない頃にはすでに、貴志は裕のそんな所に気づいていたけれど。
「裕がどれだけ、紗霧の事を大事に思ってくれてたか、俺は知ってる」
 親友同士、同じ女子を好きになった。それを知った時、二人の協定が生まれた。
 坂木紗霧の幸せを一番に考える。
 裕だって紗霧を想っていたのに、すでに固まっていた紗霧の気持ちを、大切にしてくれた。好きな人が自分ではない、そんな相手に向ける好意。それを目の前で見せつけられながらも、貴志と紗霧の交際を応援してくれた。
 その時も笑顔の下で裕は泣いていたのに。全ては坂木紗霧の幸せのためだった。
「俺はお前には幸せでいて欲しい」
 貴志は裕に訥々と想いを伝えていく。
「お前が無理して笑わなくても、一緒にいられるような…。そんな相手が出来たら本当に嬉しいと思う」
 いつまでも紗霧の呪縛に裕を付き合わせていたくはなかった。紗霧が去ってしまった責任を、裕が感じる必要などないのだから。
「なあ貴志、オレの勝率ってどのくらいだと思う?」
 告白の成功率を聞く裕の目は真剣だった。
 普段は鋭い裕の直感も、自分のこととなると曇ってしまうらしい。

 シロフクロウの柵を見つめながら裕はゴクリとつばを飲み込んだ。知恵の象徴とされるフクロウは、裕を導いてくれるのだろうか。
 それとも貴志に紗霧への想いを断ち切れる知恵を授けてくれるのだろうか。
「正直なところ全くわからないな。
 知ってるか?俺、王子様って勝手に呼ばれてたけど、付き合った相手は一人なんだよ」
 紗霧に告白した日、貴志の膝は震えていた。紗霧以外にそこまで思い詰めた相手はいない。
「知ってるか、おれはゼロ人なんだぜ」
 裕が歯を見せて笑う。そして貴志の肩をぽんぽんと叩いた。
 告白という意味では裕は今日が二回目となる。紗霧と、瑞穂。
「前は坂木さんが、すでにお前と付き合ってたから、気持ちだけ伝えれば良かったんだけど…」
 それも止むに止まれぬ状況で仕方なく告白したのだった。届かないとわかっている想いを告げるのは、裕にとっても辛い事だった。
 今回も届かないかも知れない。それ以上に怖いのは…。
「気持ちを伝えることで瑞穂が嫌な思いをしないか、それが怖い」
 それは二人が築き上げてきた屍の数だけ経験している。紗霧が去った後に、貴志に群がってきた女子達。その告白のたびに、どれだけ不快な気持ちになってきたか。
 裕も貴志の隣で同じ気持ちを味わってきたから。向けられる好意すべてが、相手にとって嬉しいなんて事は絶対にない。
「裕の気持ちが不快ってことはないよ。
 でなきゃ一緒に帰ったり、呼び捨てにしたりしない。
 だから俺はいまだに北村くんのままだ」
 貴志の言葉はけして慰めではなく、これから決死の告白をしようと覚悟を決める親友への手向けだった。
 しかし裕は気づいていたのだ。
 理美が罰ゲームで貴志を「貴志くん」と呼び始めた時に、瑞穂が便乗しようとしたのは冗談ではなかったと。あの時瑞穂は少しのためらいの後に、いつもより声を張りながら言っていたから。
 瑞穂の貴志に対する感情が少しずつ動き始めていることに。裕は気がついてしまっていたのだ。
 そしてもう一つ大変なことにも気がついてしまった。
「貴志、ごめん。話し込んでたら、こんな時間だ」
 時計を見るとすでに集合時間5分前だった。瑞穂から裕に、理美から貴志に、もう何件も通話着信が入っていた。
 二人は顔を合わせて、仮面をつけ直す余裕すらなく全力で走り出したのだった。

 その一分後。他の中学の生徒たちがシロフクロウの柵の前に現れた。
 一人の女子生徒が他の生徒に断りを入れると、柵の前には女子生徒だけが残った。手には木工細工のフクロウが握られている。
 自分の大好きだった人が、好きだと言っていた、知恵の象徴であるフクロウ。彼女は集合時間ギリギリまで、たった一人のままそこから離れようとしなかった。

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