【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第19話-春、修学旅行前夜〜紗霧

 修学旅行前夜の夜を、紗霧は自室で過ごしていた。行かずに家で本を読んで過ごすわけにはいかないだろうか?
 同じ時期に開催された、一年生の林間学校はあんなにも楽しみだったのに。そうか…あの頃は、あの二人が一緒だったから。
 北村貴志と山村裕。私を好きだって言ってくれた二人が。
 ペパーミントのタブレットを口に含んで大きくため息をつく。最後のひと粒がなくなってしまった。コンビニは近所にあるが、買いには行かない。行けない。怖くて買いには行けない。ペパーミントの香りのため息を吐き出しきったら眠ろう。そう決めて彼女はアルバムを開く。笑えた日々の林間学校の写真を眺めるために。

「なあ…キャンプの晩御飯ってバーベキューかカレーって誰が決めたんだ?」
 思わぬ裕の一言が話し合いを振出しに戻した。
 林間学校の夕食は、合宿施設が用意したコースから選択して事前に連絡するシステムだった。現地に行くと材料が揃えられていて、後は生徒たちで調理する。そのメニュー選びを班で話し合った結果、最後に多数決をしようという、まさにそのタイミングだった。
 メニュー候補は、カレー、バーベキュー、鍋。誰も鍋には触れようとしなかったことへの一言。裕からすると何気ない一言だった。
「俺、鍋いいなあって思ったけど、空気が変になったら嫌だから黙ってた」
 坂本が裕の意見に合わせて紗霧が頷いた。
「確かになんで鍋?って思ったけど、手間で言えばカレーと変わらないし、後片付けは圧倒的に楽だよね」
 紗霧の言葉を拾って、貴志が全員の意見をまとめ始める。鍋が良いと思う理由、駄目だと言う理由。それらをスラスラとリスト化してまとめ上げていく。それは他のメニューでも同様に行ったことだった。
「なんかキャンプってイメージなかったけど、鍋って野外調理に凄く向いてるんだね」
 貴志はそう言いながら、全員の表情を確認する。嫌そうな顔をしているメンバーはいない。自分で口火を切っておきながら、一番反対したのは裕だった。バーベキューで思いっきり肉を噛みちぎりたかったらしい。材料費は同じなんだから、そんな巨大肉出てくるわけがなかろう…。
 紗霧が感心したのは、貴志の場をまとめる能力だった。
 恋は盲目で、何でも頷くだけだった女子からも、ちゃんと反対意見を聞き出し、まとめていた。反対意見を他のメニューに当てはめて、鍋でなければ問題がなくなるのか具体的に表層化させて検討していく。そして最後に口説き文句。
「せっかく皆でやるんだから、特別なことしたいよね。
 みんながやらない事の方が思い出に残ると思うんだ」
 これで意見がまとまった。貴志の班は全員一致で鍋料理となったのだった。

 貴志の人をまとめる資質は、他の場面でも発揮されていた。自分の意見を言うものの、議論の中であっさりとそれをひっくり返す。感情的にはならずに人の意見をしっかり取り入れながら色々なことを決めていく。
 話し合いの後、班長会議を終えて教室に戻った貴志は、残っていた作業に取り掛かる。今日まとめた意見をPCに清書して、見やすい資料に変えていくのだ。締め切りまでには一週間残っている。翌日に全員に配布して、了解が得られなければ改訂して提出する。全員が不満や不安なく、林間学校をいい思い出に変えられるよう、最大限の努力をしようとしていた。
 学校で作業を終わらせようとしていたのには、もう一つ理由があったのだが。

 カラカラと静かな音を立てて扉が開かれる。個別指導から戻った紗霧が顔を覗かせた。わざわざ教室で残業した理由が帰ってきたのだった。個別指導を終えても夕暮れが追いついてこない程度に、日は長くなっていたり
「お疲れ様」
 PCの画面から視線を紗霧に向ける。しかし視線に紗霧の顔が収まることはなく、すぐに目をそらしてしまった。班長としての役割がとれてしまえば、やはり照れくさい。なにせ生まれて初めて、世界一かわいいと思った女子。その相手が目の前にいるのだ。
 空よりも一足先に貴志の頬が染まった。
「北村くんも…こんな時間まで頑張ってるんだね。班長さんお疲れ様です」
 紗霧が自分の席に腰掛けた。すなわちそれは貴志の隣の席である。
 PCを覗き込む。どうやらスケベな画像を見ていたわけではないらしい。まじめに班長の仕事をこなしている。
「北村くん、大丈夫?無理してない?」
 紗霧が心配の声を上げると、「もう少しで終わるよ」と静かに貴志が答えた。
「それもあるけど、そうじゃない」
 貴志が隣の席に目を向けると、体を貴志の方に向けて紗霧がまっすぐにこちらを見つめていた。眉間に力が入っている。
「班長だからって、周りの意見に合わせすぎたら心が保たないよ。
 北村くんの意見があるなら、ちゃんとそれは通さないと」
 北村貴志のリーダーシップは、自分を犠牲にしすぎている。紗霧はそれを心配していたのだった。
「みんなの林間学校を良いものにしようとしてくれてるのは、わかるよ。
 でも北村くんも班の一人なの。みんなが楽しくても、北村くんが楽しめなくっちゃ、それはみんなの林間学校じゃ、なくなるんだよ」
 静かに、しかし力強く紗霧が想いをぶつけていく。議論の最中に貴志が切り出した意見が、そのまま通ることはほとんどなかった。きっと色々と我慢しながら班をまとめてる。
「大丈夫だよ、ありがとう」
 それだけ言って資料の続きを打ち込む貴志。ピアノを弾くように滑らかな手つきで文字をタイプしていく。そして奏でるリズムがすぐに止まる。「よし、終わり!」そう言って貴志がPCの画面を紗霧に向けた。どうやら文書が完成したらしい。
「みんなが黙ってしまうと話が進まないから、後から不満が出やすい話は、とりあえず否定しやすい意見を出して議論を加熱させた」
 どうやら初めから曲げること前提の意見らしい。決めることが多いので、空気の読み合いで議論が膠着するのを防止するためらしい。そしてPCの画面を指し示して続ける。
「ここなんかは俺が勝手に決めた所。これは読んでもらって同意を得ようと思うんだ」
 よく読むと揉めそうなところは話し合い、特に議論が必要ない場所は、議題に挙がることなく資料にまとめられている。
 他の班が明日のホームルームまで話し合いをもつれ込ませている中、貴志達の班は早々に議題をすべて消化していた。
 ホームルームの議論は、生徒の自主性を育成し、グループワークのスキルを向上させる事が目的だった。貴志はその課題を、紗霧も気づかないレベルでこなしていたようだ。
「コレで明日みんなからオッケーが出たら、ホームルーム時間は丸々自習に使えるよね」
 パタンとノートPCの蓋を閉じる。
「俺は林間学校楽しみだよ。それを俺だけの楽しみにしたくないんだ」
 そう言って笑う貴志の顔は、とてもまぶしく見えた。紗霧は思わず目を背けてしまう。貴志の光に吸い込まれてしまいそうで、怖かった。
「私にできることあったら教えてね。本当はみんなでやるべき事なんだから、抱え込まないで」
 そう言ったものの、それは班としての言葉なのか、それとも…。
「じゃあ…今度国語と英語で教えて欲しいところがあるんだ。文法の解釈がしっくり来なくて」
 そっち?肩透かしを食らったようだが、よく考えると北村貴志が人を頼る姿を初めて見た気がした。
「まだ暗くないから、今日は大丈夫かな?
 送るよって言うと、また怒られそうだもんね」
 そう言って貴志が立ち上がる。続いて紗霧も立ち上がり二人で教室を後にした。玄関で「気をつけてね」と手を振ると、貴志は家とは違う方向に歩き出す。貴志が学校帰りに買い出しを済ませて、夕食の調理をしていることは山村から聞いていた。その分他の生徒たちより忙しいのに、彼は班長の仕事も、勉強もみんなより先に先にと頑張っている。
「今日は怒らなかったのに…」
 貴志には聞こえないように、小さな小さな声でそうつぶやく。その声が風に溶けていく。空がオレンジに染まり始めて、紗霧の顔を照らした。
 四月半ばの風は少し暖かく、紗霧の髪を優しくなびかせた。その風よりも少し、ほんの少しだけ胸のあたりが暖かい。
「今度っていつなの?」
 王子様でなくなるのは、いつなの?紗霧の問いかけが風に乗って貴志に届くのはもう少し先の事だった。
 貴志の姿が小さくなり、点となり、完全に見えなくなるまで見送ってから、紗霧は校舎を後にするのだった。

 修学旅行のしおりに目を向ける。あの頃は修学旅行も貴志と行くものだと思って疑わなかった。1組にいられる成績を維持すれば、同じクラスにいられたはずなのだから。
 結局学校にすらいられなくなったけど。林間学校で作った木工細工のフクロウを指で小突く。
 ミントタブレットは完全に溶けてしまい、ため息は生ぬるくて、苦い。
 明日の自由行動。夕方の横浜中華街。奇しくも同じ日に、まさか思い出の中の人も同じ場所に訪れることなど、今の紗霧には知る由もなかった。

 裕の瑞穂への想い。理美の貴志への想い。紗霧と貴志のお互いへの想い。
 夜が明けると修学旅行が幕を開ける。たった一度の、中学生活の修学旅行が、始まろうとしていた。

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