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こころを病んだ君へのLove letter!

私は、現在でも統合失調症ですが、今は寛解状態です。

理由はいくつかありますが

①良い精神科医に出会った事
②精神科医療に積極的にコミットしたこと
③分子栄養学を知らない間に実践していたこと
④WRAP元気回復行動プランでリカバリーを学んだこと
⑤お薬の中断をしなかったこと
⑥主治医が減薬に積極的に関与してくださったこと
⑦健康にいいこと運動に積極的だったこと
⑧沢山泣いたこと
⑨様々な人生経験を積んだこと
⑩心理カウンセリングを受けたこと

以上10個のポイントが挙げられます。

私は、医師の人格を見る目が肥えていたので、精神科医は、カウンセリングが中心ですが、カウンセリングにとことん向き合ってくださった主治医に感謝します。そして精神科医の指導力も魅力的だったです。

精神保健指定医でしたが、入院中は、減薬に積極的だった主治医でした。

現在でも25年以上お薬の変更がなく、3種類の向精神科薬メジャートランキライザーと睡眠薬1錠です。

日中の気分を安定させるお薬と、眠りに入りやすいお薬だけです。

私は入院中にサプリメントを病棟に持ち込んでいました。それは、マルチビタミンのサプリメントとミネラルのサプリメントです。

サプリメントは、現在では、nature madeの大塚製薬のスーパーマルチビタミンandミネラルをほぼ毎日飲んでいます。

これは、ロードバイクに乗り出した27歳ぐらいから、飲み続けていて、たまに、プロテインも飲みます。牛乳は、高校生の頃は、1日に低脂肪乳1L飲んだりしました。

そして、蜂蜜が自然食材では、最高レベルの栄養素のある糖分だと分かり蜂蜜とレモンと塩とを水で解いて、経口補水液の様に飲み続けました。

WRAP元気回復行動プランは作業所から参加の機会を与えられ、自分の普段の生活態度を見直すいい機会でした。

深い内省により、自分を表現する手法を学ぶことができました。雑記帳をつけたり、WRAPの元気回復行動プランを自分用に立ててWordでまとめています。

お薬の中断はなくて、最初のうちはイヤイヤ飲んでいましたが、家族に強制されていました。

最初の主治医は、私の一言だけで、お薬を変えたがる医師でした。話しが噛み合わないので、レポート用紙に手紙を万年筆で書き、主治医はカルテに貼り付けていました。長い間、主治医になる医師ほど、患者に対して高圧的になります。

"良い精神科医との出会いでほぼ精神状態が変わると言いたいです!"

自動二輪車を廃車にして、ロードバイクに乗り始めた事は、私にとってアスリートにはなれないけど、日常の生活の中に、自転車移動が常々関わっているのです。

そして、運動はストレス発散や、リラックス効果、気分爽快感が得られます。

また、メンタル的に強くなるのと、多少の怪我でも回復力は良くなるのです。

運動して良く眠れるのです。精神状態の安定には、先ずは睡眠を充分にとることが要です。

こころを病んだ人は、人生で沢山泣いています。私も最初から順調な闘病生活ではありませんでした。

中学三年生の頃、母さんから、将来のことを聞かれて、タクシーの運転手になるわー!と叫んでしまい泣いたことや、母さんはタクシーの運転手って誰でもなれるのはアカン!と怒鳴られました。

16歳、少年の思春期の頃に、入院患者のおばさんから、「お兄ちゃんもキチガイか?」って言われて号泣したことや、まだまだ思春期外来が無くて、大人社会に放り出された若い頃、悔しくて悲しくて泣き弱った経験をしました。

病気が安定したのは、主治医が2人目の主治医になり、減薬に積極的な医師との出会いがキーになりました。

若い頃、失恋で泣いたことも2回あります。職員の女性が大好きになりました。作業療法士さんの女性と、心理士さんの女性です。

心理士さんの女性には、通院患者リバビリテーション事業のリハビリ活動で相談役になって下さり、情が入り込み好きになりました。

女性心理士さんとの関係は、最後まで絡れました。自動二輪車で、女性心理士さんの家まで、休日にバイクを走らせて、家まで行ってしまいました。

翌日は、前の主治医に怒られて泣きながら診察室を出ました。

その心理士さんは、私の担当者を外れて、目線を合わせるのも、辛い状態でした。

女性心理士さんも、僕を無視しているのか、怒りが治らないのか、口を利くこともなくなりました。

私はそれから、生涯独身者を通そうと思いました。

キリスト教、カトリック教会のカルメル会修道院で青年のための黙想会に参加させて頂きました。

それから、少しだけ周囲の人が、優しくして下さいました。

私は泣ける映画を好むようになりました。ダンサーインザダークなどが好きで泣ける映画です。

若い頃は、若さのエネルギーもあり、特に恋愛感情について、無分別な行動をしてしまいがちです。

私には辛い経験でしたが、何をしたら、嫌われるか分かった良い経験でした。

そして20歳頃、男性心理士さんによる家族カウンセリングを受けました。3、4回母と私が同席して、父さんは仕事で毎回欠席でした。家族の問題を話しを聴いて下さいました。

印象に残っている事は、私が中学生の頃下痢気味でしたが、姉さんの女友達が、学校に行く時、姉さんを家まで迎えに来ていました。

姉さんは健常者ですが、家の構造上、母さんが玄関で待っている姉さんの女友達を、寒いから中に入りや!と姉の友達に言って、玄関先の中とトイレは近くで、誰がトイレの中に入っているか、トイレを出たら分かるようになっていました。

下痢や小便の音を女性に聞かれたくない年頃なのでトイレの中で、大変嫌な思いをして、トイレからも出られない状態でした。

心理士さんは、「家の構造が分かるなぁ」「この年頃の児童は便の音を異性に聞かれたらどんな気持ちになるか、お母さんは分かりますか?」と言われて、母さんは、「分からないです」と言いました。

また、家族カウンセリング後半には、私の今望む事は、「友達が欲しいです」と言いましたが、心理士さんは母さんに、「若い子供が友達が欲しいという事を母さんが理解してあげないのは子供がどんな気持ちになるか分かりますか?」と言われて、母さんは、「分からないです」と言い家族として、何か絶望感を私は感じました。

私は友達に飢えていました。

病気が安定するって、お薬だけではなく患者さんの人生経験や、成功談や失敗談、喜んだり泣いたり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだりしながら成長して行く過程において治る、寛解して行くと思います。

そして、病気が寛解したと感じることは、作業所に7年間メンバーとして勤めて成果を出した40歳代〜50才代になって初めて寛解したと実感しました。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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