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半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語⑯

さらば、わが青春の職場

さて、
よく働き、よく遊び、よく旅をしました。
旅の思い出は、きれいな景色とか、美味しいグルメとか
も、ありますが
私の旅の一番の思い出は
一緒に旅をしてくれた友人や
旅先で声をかけて頂いた方
助けて頂いた方
そういう方たちとの触れ合いです
それらがたまらなく好きで
たくさんの元気をくれます!
 
普段の暮らしの中でのちょっとしたお出かけも
私には、一人では出来ない事ばかりです。
バス停でバスを待っていると
「今日はいいお天気ですね~」
「そうですね、バスで出かけられて助かります」
「タクシーは結構高くて」
「そうですよ、バスのほうがいいですよ」
「いまはね、よくしてくださるから、どんどん利用すればいいんですよ」
と、年配のご婦人
 
バスに乗るときは、
運転手さんが
「お待たせしました、どちらまで行かれますか?」
と話しかけながら、スロープをセットして乗せてくださり、他のお客様には車いすのスペースを空けて頂きます。
降りるときにも
「お待たせしました、お気を付けて」
「また、ご利用ください。」
と言ってくださいます。
そういうふれあいがたまりません。
電車でも、レストランでも、ショッピングでも、美術館や映画館でも
どこへでも行きます
私が外へ出る勇気の源です
 
あ、そうそう
10年間よく働き、(7年間は共働きで)
少しですが貯えができました。
さあ、どうしよう
普通に
「家でも建てようか?」
ということになりました。
「若い頃の借金は買ってでもしなさい」
と誰かが言っていた気がして、
無謀にも「35年マイホームローン」を組み
バリアフリー対応、完全注文住宅を建てたのです
35年働く悲壮な覚悟をしたのは夫だけでした。
私はというと、またまた
このまま働き続けるのはちょっと違うかも…
と心密かに作戦を練るようになっていました
このころには、仕事はある程度任せていただいて、
主任という役割もさせて頂いていました。
経理をしながら、庶務さん、栄養士さん、用務営繕さんのお仕事も
一緒に考えさせていただいたり
生意気なことを言ったり、いい気になったり、
例によって調子に乗ったりしながら働いて
10年余りが過ぎようとしていました。
 
「このままずっと働いていくのかな」
「あと何十年働くんだろう」
と考え始めていたころに
支援学校時代の車椅子の同級生が赤ちゃんを出産しました。
ご実家に伺って、その幸せそうな友人と友人のお母様にお会いした時
「いいなあ~」
「うらやましい~」
と心から思ったのです。
 
で、はい、その通りです。
 
仕事でこんなに頑張れたんだから、今度は自分のために頑張れるはず
妊娠、出産は期限がある、期限が切れてから
「やっぱりやってみればよかった」とは思いたくない
やってみてだめだったら仕方ない、諦めもつく
よし、やってやろうじゃないか
 そして、
円満退職
マイホーム建築
姑との同居
妊活へと
 またまた普通の人生、普通のおばあちゃんになるために
挑戦がはじまります。

昭和63年(1988年)6月
11年近く働いた「わが青春の職場」に別れを告げました。
送別会をしていただいたときに、所長さんが
「〇子さんを今日まで地域からお預かりをしていました、
もうしっかり成長されたので、今度は地域にお返しするということです」
と言ってくださいました。
とてもうれしかったです、ありがとうございました。
 
「専業主婦?」
「え?住宅ローン大丈夫?」
 「まあ、どうにかなるでしょ!」
 


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