見出し画像

青春は綺麗でないけれど~グレタ·ガーウィグ『レディ·バード』感想~

青春は綺麗でない。青春は華やかな学校や、華やかな生活ではない。青春は世界を震撼させる様な若い才能が見出だされる日々でもない。青春の只中にある処女が何の疑問もなく、清らかな身体であろうと望むこともない。

青春は、もっと露骨で生々しい。望んだ様な華やかさの代わりに、どうしようもない苦さばかりをくれる。美しい微笑ではなく、ニヒルにほくそ笑んでいる。

本作は、カトリックの高校に通う主人公·レディバードが17歳の高校生から18歳の大学生になる1年間を描く。

いつもレディバードは、手垢の付いた大人達の世界を嘲笑う。聖体拝領のウエハースをスナック菓子のように食べたり、カトリックで金持ちの美男子にセックスをせがんで断られたりする。いつも母親と喧嘩しながら本名を拒み、自らをレディバードと名乗る。何もない地元を飛び出したニューヨークの大学生活に夢をみる。余りにも庶民的なのだけれど、そこから逃れたくて堪らない痛々しい彼女の姿に、笑いが込み上げてくる。


けれども、レディバードの青春には、混濁した世界のどうしようもなさだけではない。切れようとしても切れることのない伝統的な日常への愛が同居している。

親、学校、仕事、信仰、地元といった伝統的な社会。17歳のレディバードは、伝統を否定して卑俗な世界の中に肩まで浸かっていく。しかし、本当にただ"卑俗なだけ"の世界の中で彼女は休むことができなかった。


18歳になって大学生になった彼女は、親の授けたクリスティンという名を生きようとする。彼女が対立し続けた母親。レディバードから見た母親は、全てを否定する存在であった。けれども、そんな母親も耐え難い記憶を背負いながら娘を産んだのである。

伝統の複雑な歴史を辿って、彼女がレディバードからクリスティンになった時、卑俗な世界を身体に内包しながら、己の不自由さを自由に生きれる人間になっている。


混濁した世界のどうしようもなさに足掻きながら、それでも離れることのできない場所。この世界は確かに多義的だけれども、離れられない場所を見つめ返していく。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?