レバーと春巻

「PTSD」、心的外傷後ストレス障害について

生きていて危険な場面に直面した際に
その体験の記憶が自分の意志とは関係なく
フラッシュバックのように思い出されたり
悪夢に見たりすることが続き不安や緊張が
高まったり、辛さのあまり現実感が
なくなったりする病気ですと
厚生労働省のホームページより。

私が精神的に滅ぼされてきた人生だとは
言いつつもそれを自覚し始めたのは
実はこの数年の間によるものだ。

親父の影響で洋画が好きなのだが
ここで1つ例を出したい。
「ランボー」という作品だ。

アメリカのワシントン州にある田舎町、
ベトナム戦争の帰還兵だった
ジョン・ランボーがかつての戦友を訪れたが
なんと戦争による後遺症で亡くなっていた。
失意の中で町を彷徨っていると町の保安官が
声を掛けてくるが悪態をつくランボーを
少々無理矢理に捕らえてしまう。
尋問中にも悪態をつくので過激な尋問やらを
しているうちにランボーは戦争時代の
トラウマが蘇ってしまい…………という話。

この映画を見て驚いたのはランボー自身が
作中の地獄絵図を招いたという所だ。
大抵のアクション映画は分かりやすい「悪」が
登場してドンパチしたりカーチェイスしたり
懲戒善悪物が多かったからだ、
子供心に何してんだ?と主人公ランボーを
小馬鹿にしていたような気もする。

だけども私自身歳を経ていくにつれて
ランボーの気持ちを理解出来てきた。
とても重々と……

PTSDを発症してしまう人の要因は主に
強姦被害に合ってしまった女性、
両親の虐待や不仲だった家庭の子供、
上司のパワハラを受けたサラリーマンや
酷いいじめを受けてきた学生達など。

私の場合はPATMという体質により相当な
経験を経てきた、裏切られたり家の物を
取られたり親と兄妹とすらも不仲だから
仲間はいなかった。

家に押し掛けられて確かに断ればいいのだが
学校外は基本教員らの管轄外だ。
平気で数人で押し掛けられた事もあったから
断わろうにも学校内での虐めも増えるし
学校から出れば付きまとわれるので
入れる他なかった。

そんな刑務所中学を出ても地獄で
家から最寄りの駅には当然中学の同級生が
居るわけだし急に写真を撮られて
去られる事もあった。

当初咳をされてドキッとする感覚が
段々とビクッとして緊張状態となり
集中できなくなる。
恐らくPTSDも私は発症していたのだ。

結局他人なのだ、部外者と一括りにしても
気のせいだよとしか言わない人、
虐められてるのを無視する傍観者、
意気揚々と「参加」してくる奴、
良くも悪くも知らずにデリカシーのない行為
として「咳」をする人間。

そうなると家族でさえ咳したり鼻を啜ったり
されると視界がぐにゃりとして「立ちくらみ」が起きてしまう。本来安らげるはずの家で
非日常のような緊張感を強いられてしまう。「虐めてきた奴」と「部外者」が
完全にイコールとなってしまう。

事件の被害者になってPTSDとなった人は
とても辛いというのは私だから分かる、
だが少なくともトラウマを起こした加害者は
逮捕されているはずだ。

だが残念なことに私を虐げてきた連中は
逮捕されては居ない、集団でボコボコに
されて街の歓楽街に逃げ込んで、紛れて、
見失った……。
いじめを受けてPTSDを発症した人は
恐らくこんな感じで生きてるはずだ。

1対不特定多数の人間という構図は
当然マイノリティになってしまうし
人間不信になるのも頷けてしまい
余裕もなくなって過激な行為に走る、
風が吹けば棺が売れる訳だ。

色んなマイノリティを救うために
選挙には行かなければならないが
若い子はソシャゲに夢中になるのが
大人だという歪んだ考えが育んでしまった。

それにどんな党に投票しても何兆円もある
借金がこの国にはある、返しきれても
また借金して暮らさなければならない。

やはり海外に出向く日本人が増えるはずだ、
「もう一人の私」は果たして居るのだろうか?



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