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エガオが笑う時 第1話 笑顔のないエガオ(6)

「カゲロウくーん!」
 明るい声が聞こえる。
 私は、食べ終えたさらにフォークとナイフを並べ、少し温くなった紅茶を飲みながら声の方を見る。
 黄色のレインコートを来た黒色の大きな犬を連れた薄黄色のシャツに青いズボンを履いた50代前半くらいの女性が手に傘を差してこちらにこちらに近寄ってくる。
 肩まであるカールした金と白の混じり合った髪がとても綺麗だし、清楚で気品のある顔立ちだ。
「いらっしゃいマダム」
 彼は、口元に笑みを浮かべて挨拶する。
「こんにちはカゲロウ君」
 マダムと呼ばれた女性は、上品な笑みを浮かべて挨拶する。
 彼、カゲロウって言うんだ。
 私は、そんな事を胸中で呟きながら紅茶を飲む。
「こんな日もお散歩ですか?」
 カゲロウは、私と話してる時とはまるで違う丁寧な口調でマダムに話しかける。
「そうなのよ。おしっこは我慢出来ないからしょうがないわよね」
 そう言って黒い犬に優しい目を向ける。
「カゲロウ君のお店やってたら嬉しいな、と思って来てみて正解だったわね」
「いつでもやってるからいらして下さい」
 カゲロウは、そういうと厨房に向かい、私が触っているのと同じ白い円卓と椅子、スーヤンが黄色い大きな傘を持ってて準備する。
 彼女は、カゲロウが椅子と円卓を拭き終わるのを確認してから優雅に座る。
「お紅茶とチョコスコーン、この子にはお水とジャーギーをちょうだいな」
「畏まりました」
 彼は、小さく頭を下げて厨房に戻る。
 私は、厨房に行く彼を見る。そして視線を戻すとマダムと目が合う。
 彼女は、にっこりと微笑んで私に小さく手を振る。
 私は、何故か恥ずかしくなり、小さく頭を下げて、誤魔化すように紅茶を飲んだ。
「貴方、ここ初めて?」
「ふえ?」
 私は、思わず間の抜けた声を上げてしまう。
 話しかけられるなんて思いもしなかった。
 しかし、彼女は、そんな私の動揺なんてお構いなしに話しかけてくる。
「少し変わった格好ね。今時の若い子の間で流行ってるのかしら?」
 彼女は、視線を上から下まで動かして私を見る。
 私の格好はメドレーを除隊してからも変わらない。
 傷だらけ、凹みだらけの板金鎧プレートメイルに背中を埋め尽くす大鉈、今はびしょ濡れの外套を羽織っている。それを変とも恥ずかしいとも思ったことはないが、やはり品の良いご婦人が見ると変なのだろうか?
「変・・ですか?」
 変などと思っていないと思いながらも思わず聞いてしまう。
 しかし、マダムは、にっこり微笑んで首を横に振る。
「いいえ。個性的で可愛いと思うわ」
 可愛い?
 私が?
「鎧もいいし、髪もステキな金髪だし、何よりも美人さんね!羨ましいわ」
 マダムは、両手を組んで左に振り上げる。
 彼女の足元で黒い犬が目を輝かせている。
 何故か同じ顔に見えた。
 私は、違うと思いながらも今まで受けたことのない褒め言葉の数々に何と返してよいのか分からなかった。
「貴方、お名前は?」
「・・・エガオです」
 小さな声で名乗るとマダムはさらに目を輝かせる。
「まあ、名前もステキねえ!」
 マダムは、さらに笑みを深め、飛び跳ねそうなくらいに背筋を伸ばす。
「きっと貴方の笑顔もとてもチャーミングなんでしょうね!」
 エガオ・・・笑顔。
 私は、無意識的に頬に触れる。
 マダムの顔から笑みが消え、少し動揺するように顔が固くなる。
「あらやだ。私何か変なこと言ったかしら?」
「いえ、そんなことは・・・」
 私は、肩を縮めて否定する。
 しかし、彼女は心配そうにこちらを窺う。
 ああっこの人の笑顔消しちゃった。
 やっぱり私は"笑顔のないエガオ"なんだ。
 私は、マダムに謝ろうと口を開きかける。
「お待たせしました」
 いつの間にかカゲロウがやって来てマダムの前に紅茶とパンパンに膨らんだ黒い粒の輝く三角のお菓子の乗った皿を置く。
 あれがきっとチョコスコーンなのだろう。
 そして犬の前には水の入ったガラスの器と干し肉を細切れにした物を置く。
 マダムは、チョコスコーンを見て目を輝かせる。
「いつも美味しそうね!ありがとう」
 そう言うと腰に下げた鞄から小さな袋を取り出し、中から銀貨を数枚取り出してカゲロウに渡す。
「お釣りはいらないわ」
「お釣りというか貰いすぎです」
 カゲロウは、困ったように言ってお金を返そうとするがマダムはそれを制する。
「気にしないで。チョコスコーンとこの子のご飯には相応しい対価よ」
 マダムは、子どもを叱りつけるような強い、しかし穏やかな口調で言う。
 カゲロウは、仕方なくそれを受け取り、厨房に戻っていく。
 そこで私は、ようやく自分がお金を払ってなかった事を思い出す。
 お金・・こんな美味しいものを食べさせてもらったのに・・。
 私は、腰に下げた袋を取り、中を開ける。
 しかし・・・。
「うぅっ」
 私は、袋の中を見て思わず唸ってしまう。
 袋の中にはぎっしりと銀貨が入っている。
 しかし、どうやって払ったらいいか分からない。
 銀貨何枚出せばいいか分からない。
 こんなの小さな子どもでも分かることのはずなのに。
 私は、情けなくなって涙が出そうになる。
「わあ、お金沢山あるわね」
 耳元で甘い香りと柔らかい声がする。
 いつの間にかマダムが椅子ごと私の隣に座っていた。
 彼女は、チョコスコーンを齧りながら私を見る。
「貴方、どこかのご令嬢なのかしら?」
 ご令嬢?
 私がご令嬢?
「ちっ違います」
 私は、声を震わせて否定する。
 マダムは、眉根を寄せる。
「あら、そうなの?」
 がっかりしたように言う。
「そんなにお金持ってるからてっきり・・・」
 そう言って左頬に手を当てる。
 ここは正直に言うしかない。
「私、ちょっと前まで国の部隊にいたんです。これはその時に得たお金で・・・」
 私は、これ以上言葉を告げることが出来なかった。
 マダムが大きく目を見開いて表情を固まらせたからだ。
 ああっやっちゃった。
 騎士団でもない国の部隊なんてゴロつきの集まりとしか思えない。そこに所属していたなんて言えばみんなこんな反応になるに決まってる。
 次に来るのは嫌悪と侮蔑の目と表情だ。
「エガオちゃん・・」
 マダムは、目と声を震わせる。
 私は、ぎゅっと手を握る。
 きっと次に来るのは悲鳴か侮蔑の声だ。
 しかし、マダムは震える私の手をぎゅっと握った。
「貴方、こんなに若いくて小さいのに戦争に出て私達を守ってくれたのね!」
 マダムの声は、歓喜に震えていた。
「私達のためにありがとう。エガオちゃん」
 この気持ちをなんて表現すればいいのだろう。
 マナ以外から戦争に出て形式的な礼と侮蔑と嫉妬以外の言葉を貰ったことなんて一度でもあったか?
 いやない。
 私は、顔を上げていることが出来ず俯いてしまう。
「ありがとう・・・ございます」
 そう声を出すのが精一杯だった。
「もう、何で貴方がお礼を言うのよ」
 マダムは、そう言って私の肩当てを叩く。
 肩当てがカシャンって鳴った。
「それで・・・何に悩んでいたの?」
 私は、息を整え顔を上げる。
「私・・ずっと戦場にばかりいたからお金を使ったことなくて・・どうやって払ったからいいのか分からないんです」
「そう言うこと」
 マダムは、パンっと両手を叩く。
 黒い犬がびっくりして顔を上げる。
「何を食べたの?」
「フレンチ・・トーストと紅茶です」
「それなら・・・」
 マダムは、銀貨の入った袋から銀貨を2枚取り出す。
「これで足りるはずよ」
 そう言って私の手に銀貨を握らせると手を上げてカゲロウを呼ぶ。
 カゲロウは、気がついてこちらに寄ってくる。
 私は、鼓動が速くなるのを感じた。
 今から私は人生で初めてお金を払うのだ。
「どうしましたマダム・・っていうかいつの間に仲良くなったんですか?」
 カゲロウは、顎に皺を寄せる。
「そんなこといいからエガオちゃんのお話を聞いて」
 マダムに促されて私は緊張しながら手に握ったお金をカゲロウに差し出す。
「お金・・です」
 自分でも何でか分からないくらいに声が震えていた。
 しかし、カゲロウは、髪に隠れた視線を銀貨に向けたまま受け取ろうとしない。
 私もマダムも怪訝な表情を浮かべる。
「いらない」
 彼は、ぶっきらぼうに短く答える。
「フレンチトーストの材料はお前のパンだ。持ち込み材料で金なんて取れない」
 そう言って彼は踵を返して厨房に戻ろうとする。
 私は、がっくりと肩を落とす。
 あの緊張は一体何だったのかと思うくらいに力が抜ける。
 私は、宙ぶらりんになった銀貨をただ見つめた。
「ちょっとカゲロウ君!」
 マダムが綺麗に整えられた眉毛を吊り上げて怒る。
「貴方、エガオちゃんが勇気を出してお金を出したのに何てことしてんのよ!」
 椅子から立ち上がり、腰に手を当てる。
 私は、マダムを見上げた。
 この人・・本当に怒ってる。
 私のために。
 カゲロウは、少し困ったように鳥の巣のような頭を掻く。
「お金を出すのに勇気ってのは良く分かりませんが・・」
 前髪に隠れた彼の目が私を見る。
「持ち込み材料に金を取れませんし、腹減った奴に飯を食わすのは料理人の矜持です。次に来てくれた時は受け取りますが、今日は受け取れません」
 私は、水色の目を大きく見開く。
 次・・来ていいんだ。
 また、フレンチトーストを食べていいんだ。
 私は、きゅっと銀貨2枚を握る。
 でも、ちゃんとお礼にお金払いたかったな。
 しかし、マダムは、納得していない。
 顔をこれでもかと顰めて私とカゲロウを交互に見る。
 そしてポンと両手を打ってにこっと笑う。
「それじゃあこうしましょう!」

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