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平坂のカフェ 第4部 冬は月(32)

 刑務官に連れられて"鳥頭"が入廷する。
 手には手錠、腹には縄を縛られている。
 しかし、あの異様なカラスのラバーマスクだけは当時のままだった。
 彼が入ってきた瞬間、傍聴席から避難の声と彼に死刑を求める声が飛ぶ。
 意外なことにあの家族の写真を持った男は何も言わなかった。
 ただ、怒りのこもった目で"鳥頭"を睨むだけだった。
"鳥頭"は、刑務官にも裁判官にも逆らわず、従順に従い、被告人席に座ろうとして、止まった。
 そしてゴム毬のような目で何かをじっと見る。
 何故か私が見られているような気がした。
 殺意を読まれたのかと思い、私は反射的に鞄を隠す。
 しかし、それ以上はなかった。
"鳥頭"は、刑務官に促され、席へと座る。
 裁判が始まった。

「被告人、前へ」
 裁判長に呼ばれ、"鳥頭"は、従順に前に出る。
 立ち上がるだけで傍聴席席から憎悪と憤怒、怨嗟の声が飛び交う。
 しかし、"鳥頭"は平然としている。
 表情こそが分からないが彼から怯えは感じられない。
 ただ、普通に歩いている。
 まるで自分は罪など犯していないかのように・・。
 私は、鞄の中に手を入れました。
 ダメ・・・まだダメと言い聞かせながら。
「最後に何か言いたいことはありますか?」
 裁判長が"鳥頭"に問う。
 あれだけ騒がしかった傍聴席が静まる。
 記者達が一言も聞き逃すまいと前のめりになり、ボイスレコーダーを伸ばす。
 突然、"鳥頭"がこちらに振り返る。
 誰もが予想しなかった行動に傍聴席だけでなく、裁判長、弁護士、検事、裁判員までもが呆気に取られる。
"鳥頭"の首が僅かに動く。
 ゴム毬のような目が私の方を見ているような気がした。
「愛しい人よ」
 それはひどく幼い声で、どこかで聞いたことがあるような気がした。
「また、必ず会いに行きます」
 場が静まり返る。
 その場にいる誰もが"鳥頭"の発した言葉を理解することが、いや飲み込むことすら出来なかった。
 怒りが溢れる。
 被害者、被害者家族のみならずその場にいる全ての者が声を荒げ、"鳥頭"を罵った。
"ふざけるな!"
"被害者を何だと思っている⁉︎"
"お前を待つ者などいるものか!"
"死ね!死んで詫びろ!"
 醜く、憎悪の籠った言葉が呪詛のように場を回る。
 私は、自分の手が震えているのを知った。

 何なの?こいつは?
 何であんなことをしておいて反省の言葉がないの?
 何で謝らないの?
 何で、誰に告白してるの?
 何でこんな奴に私の大切な人が酷い目に会わなきゃいけなかったの?

 黒い渦が私の中を掻き乱す。

 こいつは生きてちゃいけない。

 生きてちゃいけない奴だ。

 私は、鞄の中に手を入れる。
 色鉛筆のケースを開けて剥身の小刀を握る。

 裁判長がハンマーを叩く。
 場が静まり返る。
「判決。主文
 ・・・を懲役15年に処す」

 場が荒れ狂う。
 怒りと憎しみの波が裁判所を飲み込んでいく。
"15年?ふざけてるのか⁉︎"
"こいつが何をしたか分かっているのか⁉︎"
"司法は悪魔を野放しにするつもりなのか!"
"死刑を"
"死刑を"
"死刑を!"

 そんな声の中でも"鳥頭"は、平然としている。
 この場で起きていることなんて自分には関係ないと言わんばかりにゴム毬のような目でこちらを見ていた。
 私は、目を細める。
 目を細めてあいつを睨む。
 全ての憎しみと、全ての恨みと、全ての怒りを込めてあいつを睨む。

 お前を・・・殺す!

 私は、鞄から小刀を取り出す。

 私は、病室で眠る彼に心の中で呼びかける。

 待っててね。終わったらすぐ戻るから。

 私は、小刀を握り、立ちあがろうとする。

 裁判長がハンマーを叩いて場を鎮めようとする。

「ひっ!」
 誰かが悲鳴を上げた。
 あれだけ荒れて騒がしかった場が静まり返る。
"鳥頭"に誰かが抱きついていた。
 スーツを着た小さい男・・・。
 あの被害者の夫であり、父親である男だ。
"鳥頭"のラバーマスクの隙間から赤黒い液体が流れ落ち、密着する2人の足元に赤い水溜りが出来る。
 警備員が駆けつけて2人を離す。
 警備員に取り押さえられた男は、言葉にならない声を叫ぶ。
 その場に倒れた"鳥頭"の身体には小さな枝ような物が突き刺さっていた。
 私は、ピンクのカーディガンの袖の中に小刀を隠し、階段を、駆け降りる。
"鳥頭"は、全身を己の血で汚し、痙攣を起こしている。
 警備員が救急車を呼ぶよう叫ぶ。
 もう1人の警備員が悶え、暴れる男を拘束しようとする。
 私は、柵を越えて暴れ回る男と警備員に近づく。
 そして力の限り、警備員の身体を押し除ける。
 本来なら私なんかの力で動くはずもないが男を抑えるのに集中していた為に予想外の方向からきた力に簡単に押されて、拘束を解いてしまう。
 男は、驚いた顔をして私を見る。
「・・・ありがとう」
 私は、消え入りそうな声で言う。
 私の言葉を聞いて男は嬉しそうに笑う。
 自分のしたことは正しかったと言わんばかりに哄笑し、その場から逃げ出していく。
 警備員達が慌てて追いかけていく。
 私は、動かなくなった"鳥頭"を見下ろす。

 本当にありがとう。

 これだけ弱れば私の力だけで十分に殺すことが出来る。

 小刀でもう一度刺せばあいつは絶命する。

 私は、黒い殺意に完全に支配されていた。

 ゆっくりとゆっくりと"鳥頭"に近づく。

 心臓マッサージをして救命活動をしている警備員は私に気づいていない。
 さっきの警備員のように突き飛ばせばいい。
 何なら"鳥頭"の前に軽く刺して動けなくしたっていい。
 きっと上手くいく。
 私は、警備員に向かって手を伸ばす。

「カナ!」

 私の名を呼ぶ声がした。
 我に帰った私は、声のする方を向くとそこに涙を流した母親が立っていた。
「何してるのカナ!」
 母親は、私の手を握る。
「お母さん・・」
「病室からいなくなったから探したのよ。きっとここに来てるんじゃないかと思ったわ」
 母親は、私の肩を掴んで抱き締める。
 温かくて甘い匂いがする。
 黒い殺意が塵のようにどこかに飛んで消えていく。
 左目から自然と涙が流れた。

 私は、何をしていたのだろう?
 何でここにいるんだろう?
 何で母親の胸に抱かれているんだろう?
 何で彼の側を離れたのだろう?

 私は、母親の肩を握る。
 子どものように泣き叫ぶ。
 母は、ぎゅっと優しく抱きしめてくれた。
 私は、ずっとずっと泣き続けた。

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