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「まじめ」と「ふざけ」のバランス

今日もNewsPicksから。

上馬キリスト教会@kamiumach

記事では、ツイッターで宗教系アカウントとしては異例の人気となっている東京都世田谷区の「上馬キリスト教会@kamiumach」について紹介していた。僕はこのアカウントの存在をこの記事ではじめて知ったのだけど、その噂のTwitterを覗いてみると、これがまた面白かった。

ふざけツイート

そもそも彼らを有名にしたのが、ゆるく、ふざけたツイートだ。

自分たちの主戦場を面白おかしく表現したり、歴史上の偉大な人物を馬鹿にしたり、自分たちが救世主と崇める人物をいじったり。




単純に内容が面白く、そのユーモアさが「宗教という壁」を取っ払ってくれるようだ。

まじめツイート

ふざけているだけではない。まじめにツイートもしている。つまり布教活動もしっかり行っているということだ。
写真や動画を使い、豆知識風に表現することで、見る人を飽きさせないように工夫しているのもすごいと思う。
布教活動もデジタル時代にしっかりアジャストするとこうなる、と見本をみせられているようだ。





「まじめ」と「ふざけ」のバランス

このアカウントには「まじめ担当&ふざけ担当」でしっかりと役割分担がされていた。

僕はこのバランス感覚がとても良いと思った。

まじめ一辺倒でもつまらないし、ふざけ一辺倒でも付き合いきれない。
その「まじめ」と「ふざけ」の絶妙なバランスが人に興味を持たせるのだと思う。

あともう一つ感じたこと。それは、バックグランドが真面目で厳かな感じがあること程、「ふざけ」が効くということ。
僕の好きなテレビ番組に「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」という番組があるのだけど、その番組内でのダウンタウンの二人によるトークを見ると、いつもボケの松本人志さんはスーツを着ていたのを思い出した。

これも同じ論理であるような気がする。真面目さ、厳かさをスーツで演出することで、「ボケ」を効かせる、というように。
(僕はお笑いについて完全な「にわか」なので、分析のしょぼさについて、どうか許してください。特にガチなお笑いファンの人へ言いたい)

ファンドレイジング(寄付を集めること)に活かせそう

僕はいつも、どうすれば日本に寄付文化を根付かせることができるのかを考えているのだけど、この上馬キリスト協会の取り組みは大変参考になった。
デジタル時代へのアジャスト方法、上述の「まじめ」と「ふざけ」の絶妙なバランス。とても良いと思う。

寄付を集める、というとやはり「真面目で厳かなイメージ」で捉えられがちだと思う。
またファンドレイジング(寄付を集めること)の活動をしている人は、意識が高く、良い人間のように扱われがちだ。
でも実際はみんながみんなそうではなく、(僕のnoteを読んでくださっている方も薄々わかってくれているように)ふざけた人間もいる。

そのことをいかにうまく訴求するか。多様であることを伝えつつ、時にふざけることで、多くの人の参加ハードルを下げること、がとても重要なような気がしている。
みんなが賢いわけではないし、真面目なわけでもない。やりたければやればいい。いてもいいんだよ、とメッセージを発信し続けることで、多様な人間の参加を促す。そして、そういった取り組みが、この領域での挑戦者を増やすことに繋がるんだと思う。

「ふざけた人間でも大丈夫だよ」、と言い続けないといけない。

ここまで文章を書き上げあげているとき、僕は当初の上馬キリスト教会を紹介するという目的をすっかり忘れ、気づくと「自分が自分を必死に勇気づけていた」ことに気づいた。。

※ちなみに、彼らは本も出しているようなので、読んでみてもよいと思います!



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