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ホテルの机から映画館へ

 旅先だというのに本を買ってしまう。それでなくても心配性で、一泊の旅の荷物に二冊も三冊も本を備えてしまうのに、いざ旅の日程が近付いてくると近辺に古書店がないか調べてしまう。もちろん新刊書店も寄るが、古書店のほうがその土地の特色のようなものがあって、思いもよらぬ掘り出し物があることもすくなくない。こうして、旅荷は本にまみれていく。
 ある程度人口のある地方都市であれば古本市や古書即売会が催されていて、非常に助かる。地元の古書店の品揃えを眺望できるし、大概配送も受け付けているので、買った端から自宅に送り付ければ荷物をふやすことなく買い物ができる。帰ってくる頃に古書が届けば、買った土産物が遅れて届くような旅の名残も感じさせる。

 先日所用で関西を巡った折、幸運にも神戸で古書即売会が開かれていたので、もちろん時間をつくって覗きに行った。参加している古書肆の屋号を見るだけでも馴染みのない名前ばかりで期待が高まる。こぢんまりとした会場を一時間ほど見て回って、探し物と掘り出し物をいくつか見付けた。ぜんぶ送ってしまうのもさみしいので、一冊だけ旅の荷物にすることにする。山田稔『シネマのある風景』(みすず書房)。映画にまつわるエッセイだ。山田稔といえば〈VIKING〉の同人でもある。島尾敏雄や富士正晴が創刊に名を連ね、久坂葉子や高橋和巳が活躍したこの同人誌は、そういえば神戸で発刊されているのだった。
 ホテルに帰投して、荷解きをして、すこしくつろいでから、備え付けの机で『シネマのある風景』を開く。

 私の本当の人生はどこにあるのか。今日まで生きてきた、いまも生きている現実の時間は仮のものにすぎず、映画館の暗がりで憧憬に息をつめながらスクリーンに見入っている時間、そのなかにいる自分こそが真の自分ではないか。
 フランス語に「それはシネマだ」という表現がある。作りごと、夢みたいな話だという意味である。
 シネマのように――そのように作りもの、夢のような人生。シネマとしての人生を生き、人生としてのシネマをみつづける。

(山田稔「パリ――シネマのように」)


 ひとりでホテルに泊まる際は、そう広くもないシングルルームだと部屋の照明が眩しすぎてほとんど使わない。ベッドライトと卓上灯で事足りる。そうして、薄暗い部屋のなかで『シネマのある風景』を読んでいると、まるで映画館のなかにいる感じと似ているような気がしてくる。ここではないどこか、この知らない土地の、知らない部屋。「そのなかにいる自分こそが真の自分ではないか」。

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