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米国報道メディアの威力:Vol.3「The New York Times」

 The New York Times(以下NY Times)は、全メディア最高の過去130回のピューリッツァー賞受賞を誇り、米国の新聞では最多の有料購読者を抱える全国紙です。1851年に当時ニューヨークで人気のあった扇動的なゴシップ新聞へのアンチテーゼとして創業され、客観的な「真実」を報道する使命を現代まで引き継いでいます。日露戦争の日本海海戦を最初に報道するなど、100年以上前からニューヨークにとどまらない世界的なカバレッジを行う新聞社として存在感を示してきました。

 NY Timesの現在のCOOによると、パンデミックが米国を襲った今年の3月には米国のすべての大人の半分以上、また世界から2.4億人のユニークユーザがNYTimes.comにアクセスしたと。世界に1,700人ものジャーナリストを抱え、新興メディアや競合新聞からも次々と有名スタッフを採用。(BuzzFeedの元編集長、シリコンバレーのニュースサイトRecodeの創業者、ブログネットワークGawkerの著名編集者など)

 過去20年間は、米国だけではなく世界中で報道メディアの再編が起こり、多くの新聞社が倒産または身売りに追い込まれました。同様に危機に追い込まれ、つい最近まで最大手でもなかったNY Timesが、なぜこのように成功したのか、他社と何が違うのか、についてまとめます。大きくは、 1.独立性、2.デジタル戦略、 3. トランプ政権、の3つが鍵となります。

(この先NYTimes.comへのリンクを各所で貼っています。有料購読していない場合は記事を見られない場合がありますが、その際ブラウザのシークレットモードを使うと見られるようになることが多々あります。)

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1.独立性

  新聞業界はインターネットの普及とともに、1980年代をピークに購読者数の激減が止まらず、地方紙はもちろん全国紙も破産、身売り、リストラの嵐が続きます。同時に、報道メディアの分野にもシリコンバレーなどからディスラプション(市場の破壊的な転換)を図る新しいプレイヤーが続々参入しました。Buzz Feed、Quartzなどがその例です。

 老舗全国紙として並べて比較されるThe Wall Street Journal(以下WSJ)は2007年にマードックに買収され、同じくThe Washington Post(以下Post)は2013年にアマゾンの創業者ジェフ・ベゾスに身売りしました。

 NY Timesも購読者が減少し続け、2010年までに経営難に陥りました。リストラや資産売却、誌面のサイズを物理的に小さくするなどの必要に迫られましたが、1896年からこの新聞を支配しているサルツバーガー一族は、コントロールを失わないまま、そして上場を維持したまま、現在6代目で40歳のA.G.サルツバーガー氏が発行人(publisher=新聞社の最高責任者)を努めています。

 現在の発行人から二代遡った当時、ンチ・サルツバーガーが、ビジネス拡大のために1969年にNY Timesを上場させましたが、報道メディアの独立性を資本市場で担保する重要性と難しさを強く認識し、投資家向けには議決権が極端に小さいClass A株式を発行、サルツバーガー家は取締役任命権の7割を支配できるClass B株式を保持しました。全米の新聞社を買い漁っていたヘッジファンドには大層不評でしたが、この種類株式の仕組みのおかげで他メディアのようにアクティビスト投資家からの影響を受けることもなく、サルツバーガー家がNY Timesを支配し続けることができたのです。

 一方、マードック帝国配下に入ったWSJは、Fox News同様トランプ政権の広告塔に変わってしまったか、というと、答えはもう少し複雑です。マードックが自ら設立したFox Newsと違って、WSJは2007年に買収されるまでは、独立系メディアとしてNY Timesとほぼ同じ長さの歴史を持っていました。当時上質な調査報道で定評のあった報道記者たちは、WSJの報道の独立性を経営陣に約束させ、報道部門は比較的中立を維持しています。買収前から一貫して保守的傾向のあった論説部門(Editorial)はFox Newsほど盲目的ではありませんが、トランプの政策に同情的な論説が大部分です。報道部門・論説部門ともに、最終的には同じ経営陣がコントロールしているので、記者たちが中立的な報道への影響を危惧するのは自然でしょう。

 一方のPostも、倒産寸前の状態からジェフ・ベゾスに買われ、いまでは有料デジタル購読者も100万人を超えて黒字化するなど、しっかり復活を果たしています。ベゾスは報道には一切かかわらず、ビジネス面のみに影響を与えていると言われています。ただ、寡占大企業Amazonに関わる報道など、読者としては全く意識しない、というわけにはいかないのが現実かもしれません。

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2.デジタル戦略

 NY Timesは購読者数が80万人前後まで落ち込んでいた2011年にPaywall(有料購読者にならないと記事が見られない設定)を開始。当時Paywallは報道メディアにとって長期的にプラスになるのかマイナスなのか議論が分かれていて、少なくとも広告収入はある程度犠牲にする諸刃の剣でした。

 ここでNY Timesは単にウェブの記事に鍵をかけただけではなく、新勢力のデジタルメディアもびっくりの思い切った攻めの姿勢で、全社を挙げたデジタル化・マルチメディア化を始めます。

   「The New York Times Innovation Report」という、2014年にリークして業界で話題になった社内文書の中で、NY Timesのこれまでの失敗、新しい競合の認識、ジャーナリズム以外の競争力、などが綿密に分析されました。(日本語解説はこちら。)これが具現化されたのが、いまのNY Timesのデジタル・マルチメディア戦略といえるでしょう。このレポートでは、なぜBuzz Feedなどの新興メディアにユーザを奪われているか、優良な調査記事だけではなぜ不十分か、なぜデジタル感度の高い記者が退社したかなど、経営陣と記者・編集者らが調査報道の取材スキルをふんだんに使って、会社としてのNY Timesの問題と戦略を内部から提言したものでした。

 その結果、まず肝心の報道コンテンツですが、老舗新聞社とは思えない革新的なコンテンツを次々にローンチします。例えば「Visual Investigation」といって、スマホビデオやニュース映像など緻密に分析して事件の真相に迫る調査報道。映像を一コマ単位で細かく分析する、という点だけでなく、スマホ動画や既にTVニュースなどで公開された「オープンソース動画」から新しい真実をあぶり出す、という点もユニークで、個人的にはNHKにやって欲しかった。月に2、3本リリースされ、どれも見応えありますが、記憶に残る2本を紹介。

 ロシアの戦闘機が国際法に反してシリアの病院を繰り返し爆撃した事実を、映像やパイロットの無線通信をつなぎ合わせて、ぐうの根も出ないレベルで立証。

 イスラエル軍の兵士が、ガザ地区との国境でデモ隊を介護していた看護婦を不必要に射殺。その後のイスラエル政府公式発表の矛盾を、複数のスマホビデオの分析により証明。

 このほかにも、多くの白人警官による黒人射殺事件について、裁判証拠になり得るようなレベルで分析しています


 また、映像だけでなく記事とグラフィックスを組み合わせて、さっと見ただけで相当デザインコストがかかっていることがわかる調査報道も。例えば最近のベイルートでの爆発事故の分析、スクロールするのが気持ち良くて、これがモバイルでも全く違和感なく見られるのは凄い。

 またNY Timesは2016年から毎日約30分のポッドキャストThe Dailyを無料で配信していますが、これはフラッシュニュースの寄せ集めではなく、毎回様々な調査報道を担当した記者と共に、政治や事件の真相に深く切り込むレベルの高いもの。アップルのポッドキャストランキング全カテゴリで、常に5位以内、ニュースカテゴリ内では1位の常連です。

 昨年からはThe Weeklyという1時間の調査報道テレビ番組も開始して、BBCやPBS、NHKの得意領域にも進出。 

 記事コンテンツのデジタル化・マルチメディア化だけではなく、伝統的な大衆向けコンテンツのモバイルアプリ化にも成功しています。クロスワードパズルクッキングは単独アプリとしてそれぞれ課金。二つのアプリ合計で有料会員が100万人以上。

 最後に、基本的なユーザ体験として最も重要なNY Timesモバイルニュースアプリですが、他のニュースアプリに比べても非常にUI・UXがよくできています。私のiPhoneに入っている日米18個のニュース系アプリの中で、直感的な操作性・サクサク感・安定感では(主観的ですが)一番よいと感じています。長編調査記事に必ず付属されるまとめ記事や、高い検索性など、ウェブ版NYTimes.comととともに、先に触れた「The New York Times Innovation Report」が指摘しているデジタルユーザの行動パターンを捉えた、競争力の高いプロダクトになっています。

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3.トランプ政権

 NY Timesお得意の調査報道と、デジタル戦略、メディアとしての独立性・高潔さが本領を抜群に発揮したイベントが、2016年の大統領選挙、そしてトランプ政権の誕生です。

 世界で最もパワフルな大統領が「病的な嘘つき」で、それでも国民の4割以上に支持され、最大の保守系メディア(前回解説したFox News)もcheck-and-balance(抑制と均衡)として機能していないとき、多くの読者は伝統的な調査報道メディアに「真実」を求めました。「嘘」は安く量産できる一方「真実」を伝えるのには金がかかるので、ある意味不利な戦いと言えますが、読者は無料のニュースが身近にあっても良質な調査報道に金を払うようになったのです。

 例えば2018年の10月に発表されたNY Timesの、トランプ家のビジネスについての調査記事は圧巻です。トランプは、父親から$1m借りただけであとは自分で何兆円もの大ビジネスに築き上げた、と大統領当選前から一貫して公言していますが、実は3歳のころから父親の脱税スキームにより配当を受け取り続け、現在価値で最低$400m以上を譲り受けていた、ということを膨大な証拠を元に1年半かけて立証。その約半年後には、トランプが引き継いだ不動産ビジネスが、本人の主張に反していかにボロボロに失敗し続けたか、というフォローアップ調査記事も出しています。この一連の調査でピューリッツァー賞を受賞。

 調査記事だけでなく、大統領やその他の政治家(民主党大統領候補ジョー・バイデンも含む)の主要な演説の度に、NY Timesはファクトチェックを行い、発言内容のなにが嘘で何が本当なのか、また何が誇張で、ミスリーディングなのか、について詳細に分析しています。トランプが事実を曲げて、時には真っ赤な嘘をついて、支持層にアピールしている様子がよくわかります。

 首都ワシントンD.C.にアクセスのある主張全国紙は、こぞってトランプ政権に対する監視の目を強めますが、一方のトランプは「報道メディアは国民の敵」と主張し、攻撃キャンペーンで対抗しています。

 NY Times, Post, WSJの三大報道メディアは逆に、この流れでいずれも大きく購読者を伸ばしました。このなかでも、NY Timesが最も多くの読者の支持を得ています。これは、上に触れた独立性と、競争力のあるデジタル戦略との組み合わせが大きく奏功しているものと思われます。

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 大統領選挙直前の2016年9月の時点で、NY Timesの有料購読者(新聞コンテンツのみ)は既に回復傾向にあり約134万人でしたが、2016年の年末には160万人を超え、その後も加速して伸び続け2020年6月には約440万人に達しました。

 つい数年前まで、米国の新聞社としてはWSJなどの後塵を拝して全国紙では2位、3位だったNY Timesは、トランプ政権下の4年間で、圧倒的なNo.1の地位についたのです。デジタル報道メディアとしては、競合のWSJ、Post、Gannet(USA Todayなどを保有するメディアコングロマリット)を全部足してもかなわない、最大手となりました。

 NY Timesは、今年7月Apple Newsから「ビジネスの方向性に合わない」と真っ先に撤退し、ユーザを惹きつけるブランドとしての自信を示しました。NY Timesロゴの入ったお土産を販売するショッピングサイトの充実度合いをみても、報道メディアとしては異例なブランドを確立したのではないかと思います。

 メディアのコンソリデーションや政府の報道への攻撃など、業界全体を襲う嵐の中で、ユニークな戦略や良質な調査報道によってNY Timesが一旦勝ち抜けた訳ですが、長期的には報道メディアもwinner-takes-allの業界になってしまうのか、それとも地方紙や中小メディアも共存し健全な競争がみられるのか興味深いところです。NY Timesの経営陣は、今後は苦戦している地方紙を支援する取り組みを始めたい、と抱負を語っていますが、「でもまずは自分の酸素マスクを付けないとね」とも


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