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#21 インドについての愛を語る

 当時のことを思い出そうとしてみる。ざわついた喧騒、生ぬるい風、束ねるバイクのガスの匂い。世間では大型連休でみな浮足立っていて、わたし自身も初めて訪れたインドに対して、抑えきれない胸の高揚感に酔いしれていたのである。かれこれ3年前の話だ。

 その時の衝撃と言ったら。むせかえるほどの熱気、溢れんばかりの人の波にわたしはしばし呆然としてたじろいだ。そういえば、noteを書き始めたばかりの頃、投稿していたのはインドのことだった。今も折につけて、記事で触れている。良くも悪くも、印象深い国だった。

※以前書いた記事をリライトしている部分もあります。

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五月の蠅

 五月の蠅とは言いえて妙な表現で、現地へ到着したばかりのころ寄ってたかってやってくる人たちが煩わしくて、疲弊した。

 彼らが発する異様なギラギラとした熱に充てられて、しばらく動けなくなったこともある。道端に落ちているゴミからは、確かに人が生活している痕跡を感じた。人が息をする匂いと混じって、強烈な生活臭が立ち上っている。

 たぶん生活の渦中にいる彼らは、その空気には慣れているはずで、なんてことないように通りを歩いて、友人と話をしながら優雅にチャイティーを飲んでいた。日本のものとは違い、砂糖はそれほど入っていない。地元にはガイドブックに載っていないカレー屋が至る所に点在していて、どれも美味しかった。ただ、油を大量に使っているために胃もたれして、数日で飽きたが。

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ヤギカレー

 主に北インドを旅した。ニューデリーから始まり、西へ西へと移動していく。一見するとボロボロの電車とバスを乗り継いで。いつもであればひとりで旅をするのだけれど、その時だけなぜか父が一緒だった。

 ずっと仕事一筋で生きていた人だったので、定年退職して時間を持て余していたところだったのだろう。思えば、流行病がまん延する半年前。もしかしたら、後にも先にもその時だけかもしれない。父と子ふたりで旅することなんて。

 滞在2日目にして、ニューデリー内にあるKarim'sというレストランへ立ち寄った。同名のホテルに併設されている場所である。細い通りにあるので、一見するとわかりにくい。マトンカレーが有名な場所だった。さっそく名物を注文すると、目の前にカップルが座った。

 日本人が珍しいのか、気さくな感じで男性がわたしに話しかけてくる。彼らは、バングラデシュから旅行で来ているようだった。インドの人たちは、「商売」という二文字を背負って近づいてくるケースが多かったので、わたしは心の底から普通の会話ができることに安堵した。彼は会話の途中で、カレーと一緒に運ばれてきた空っぽの器を指さす。

「マトンカレーの脂は体にあまりよくないから、上澄みをスプーンで掬ってこの器の中に入れるんだよ」

 なるほど、知らなかった。周りを見ると、同じように脂を掬っているところだった。隣では、男性のパートナーがニコニコと温かく見守っている。優しい時間だった。

 最後、ふたりを写真に収めた。彼らは幸せな空気に満ちていた。そのまま連絡先を交換したのだが、結局彼らのFacebookのアカウントを見つけることができなかった。わたしは、「彼らのこの先の人生に幸あれ」と小さくつぶやいた。きっと、今も幸せな生活を営んでいるはずだ。

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八百万の息吹

 インドは仏教発祥の国だが、実のところ今国内で数多く信仰されているのは「ヒンドゥー教」である。次がイスラム教。かつては宗教の違いで、何度も戦争が起こり、パキスタン、インド、バングラデシュの3つの国に分かれた。

 ヒンドゥー教は、「多神教」である。もともと各地で信仰されていた土着信仰が、組み合わさって成立している背景がある。有名なところとしては、ブラフマー(創造)、シヴァ(破壊)、ヴィシュヌ(維持)が最高神とされている。

 どこか日本の八百万の神様の概念に近いところがあるような気が、勝手にしている。人々はみながみな、自分の中に信仰すべき神様がいて、彼らに対して誠意ある行動を示すべく生きている。プシュカルというブラフマーの聖地として有名な場所を訪れた時、彼らの信仰の息吹を感じ取った。

 ガンジス河と同じように、朝になると人は沐浴をして自らの体を清める。斜めに光が差し込み、彼らの体が浮かび上がる。神聖という言葉が、ぴったり合う光景だった。信仰者から、日常に対するささやかな愛を読み取った。静かに、息をする。彼らの息遣いが聞こえてくる。

 プシュカルは五大聖地のひとつではあるが、そんな場所でも商売っ気溢れる人がいて、道端を歩いていたら呼び止める男性がいる。わたしはその人のことを胡散臭いと思ったわけだが、父はその場で「マジックスパイス」なるものを買っていた。響きだけでも、怪しい。彼が結局そのスパイスを日本に帰って使ったかは、定かではない。

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 西のインドの最果てに近い場所に、ジョードプルという青の色彩に囲まれた場所がある。目にも鮮やかで、魔よけのために塗られた説が有力らしい。中心にある時計台のまわりにはマーケットが開かれていて、人がずっと行きつ戻りつしている。時計の針は、確実に時を刻んでいる。

 埃まみれになりながらも、彼らは密かな誇りを抱いている。インドは不可思議な魔力を持っていた。到着したばかりのころにはあれほど帰りたいと思っていたのに、実際に帰ることになるとひどく寂しい気分になった。

 日本に帰ってから、何故だかインドに関係したものばかりが目に付くようになった。これは一種の偏愛と呼べるのだろうか。会えないからこそ会いたくなるような、恋しい気持ち。今わたしがインドへ再び行くことができたなら、きっとその場で小躍りするに違いない。


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