見出し画像

ひっそりと眠りにつくとき。

 頬に当たる夜の風が涼しい。

*

 緊急事態宣言が解かれ、会社からは必ず週2日以上出社してくださいと通達があった。仕方なく重い腰を上げてたくさんの人たちが乗る電車に揺られながらオフィスへと向かう。やっぱり昔より確実に体力が落ちていて、到着する頃には嫌な汗が背中に張り付いていて気持ち悪さが先行する。どこまでも非力な自分。

 久しぶりに会社に出ると、これまで同僚とあまり顔を合わせられなかったことでどこか懐かしささえ込み上げてくる。それは周りの人たちも同じで、嬉々とした表情で話しかけてくる。直に話をするのとウェブ越しで会話するのとでは捉え方が全く変わってくるな、と本当に実感した。

*

画像1

 昔ミャンマーという国へ行ったことがある。折につけその良さを何かと喧伝している私。このコロナ禍に乗じて軍事政権が緊急事態だと言って、再び国の権力を掌握した。私は心を痛めた。私の最も尊敬すべき人物の一人であるアウンサンスーチーさんが軟禁されるという状態に陥ってしまったから。

 ここでふと私はふと頭を巡らす。これまで尊敬していると言っておきながら、彼女が軟禁中に記した文章を読んだことがなかった。これは良い機会だと思い、早速彼女によって綴られた手紙を集めた『ビルマからの手紙』と『新ビルマからの手紙』を読んだ。

 ミャンマーではもはや英雄ともいうべきアウンサンの娘として誕生したアウンサンスーチーさん。彼女自身も民衆から讃えられるような存在であったが、決してその道は順風満帆ではなかった。本を読んだことで彼女の気苦労や心の痛みを否が応でも感じ取ってしまったのだ。

※上のリンクは何故か1万円を超えていますが、普通にAmazonでは¥1,500くらいで購入できます。

 ちょうど民主化して四年後くらいにミャンマーを訪れた。ついこないだまで軍事政権だったと言われても全然ピンとこないくらい街は陽気な空気に包まれていた。今思い出しても、本当に何もかもが私の感性にぴったりと合った国だった。アウンサンスーチーさんが書いた手紙を読んで、そうした「平和」を手に入れるためにどれほどの人が犠牲になったのかということを知ったのだ。

当たり前のはずのものが奪われる

画像2

自らとは異なる意見や態度に対して寛容な政府のみが、さまざまな伝統と願望を持つ人々が相互理解と信頼の雰囲気の中で自由に息ができる環境を生み出せるだろう。(ビルマからの手紙 p.86)
自由な国家が自由な国民にふさわしい家となるはずである(新ビルマからの手紙 p.31)

 一昔前、そして再び軍が支配するようになった今のミャンマーでは、たぶん今の私たちに当たり前のように与えられているはずの「表現の自由」が著しく抑制されている。これでは信頼は生まれず、一方的な反感を呼ぶだけなのに。

暴力行為から市民を守る公的責任を有するものによって不当行為と無政府状態が見逃されるような国において、法と秩序など何の価値があるというのだろう。(ビルマからの手紙 p.226)
表現や思想の自由という普遍的な権利を守るため、わが身の自由を犠牲にした人たちを良心の囚人と呼ぶ。(新ビルマからの手紙 p.135)

 ミャンマー政府はもしかしたらそれなりの事情があったのだろうが、軍力を盾にして人々に対して窮屈な生活を強いた。そしてそれに反しようものなら権力を行使して謂れのない罪で刑務所へと送る。その中には決して日の目を浴びることなく獄中で亡くなったという事実に心がずきんと痛んだ。彼らには「良心の呵責」というものは存在しないのだろうか。

*

本当の価値を見出すには

画像3

真に優れた審美眼を身につけるには、人は醜さと美しさの双方を見分けられなければならないということであり、これは人間の全ての領域に応用できる。(ビルマからの手紙 p.112)

 この文章を読んだ時、確かにその通りだと思った。美しさだけを知っていてもきっとそれは上っ面だけ。きっと醜さも美しさも知っている人こそ正しいものの見方をすることができる人間なのだ。底辺を知っているからこそ、これが正しいと断言できる。

価値あるものはなにごともただでは手に入らず、代償を払うのが常であり、ときにはの代価は高いことがある。(新ビルマからの手紙 p.124)

 彼女の手紙からは彼女が今の現実を真摯に受け止めている姿が思い浮かんでくる。自然の景色に感性を研ぎ澄まし、過酷な状況によっても「自分」を決して失うことがない。こうした苦境に置かれることで本当にその人の本質が見えてくるのではないか、という気がしてくる。

*

画像4

ビルマ語では、雨音のする屋根は、家内安全を意味する。まさに頂点さえしっかりしていれば、建物全体が強固となるという考え方の表れである。(p.132)

 アウンサンスーチーさんは軟禁という形で行動を制限されることになった。それでも彼女は腐ることなく、自分のことを信じてくれる人のために今もなお戦い続けている。もし私が彼女の立場だったならいつ心が折れてもおかしくない状況なのに。なんでそんなにも強く生きられるのだろう。彼女がこれまで辿ってきた茨の道を見るたびに思わずそんなに頑張らなくてもいいんですよ、と言いたくなってしまう。

 でもきっと彼女は自分が信じたもののために、戦い続けているんだと思う。そのことを思うと、遠い場所にいながらも必死に声援を送りたい気持ちで胸いっぱいになるのだ。

*

画像5

 そよそよと吹く風、頭上には月が仄かに地面を照らしている。ミャンマーの人たちも私と同じ月を見ているのだろうか。彼らの戦いが終わりを迎えることを信じてやまない。いつか、また平和が訪れるその日のために。

この記事が参加している募集

読書感想文

旅のフォトアルバム

末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。