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隙間に挟まれた人の意識

 昔、学生時代に誰もいない道を自転車漕いで必死に進んだ覚えがある。北海道のだだっ広い道を深夜頭がふらふらになりながらただひたすら直進していったのである。途中で疲れ果てて、道路の真ん中に思わず倒れた。思いの外地面は冷たくて、自転車を漕いで火照った体がひんやりして気持ちが良かった。大の字に寝て頭上を見上げると、満天の星が広がっていた。あの時自分はいろんなことから自由だ、とぼんやり思った。

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 前からずっと気になっていたビン・リュー監督の『行き止まりの街に生まれて』を見た。キアー、ザック、ビンという3人の男の子たちを中心に、12年間という歳月をかけて追いかけたドキュメンタリー映画である。

 最初はどちらかというといかにもアメリカの若者たちに見られるような、半ば刹那的にその日一日一日を生きる姿が描かれている。3人の共通点は、みなスケートボードが好きだということだ。その中でも中心となるザックが彼女との間に子供を作り、親としてきちんとしようというところが序盤の部分である。

 このまま順風満帆に行くのかと思いきや、なかなか希望通りには立ち行かない。ある意味、アメリカの自由の裏側にある矛盾というところに光を当てていたが、一方で他の国々でもかなり普遍的なテーマになっているんじゃないかと思った。私自身はそうあって欲しくないと思っているけれど、恵まれない家庭環境で育った子供たちがいざ一念発起して劣悪な状況から抜け出そうとしてもそこには様々な壁が立ちはだかる。

 未だに貧困や差別といった問題が絡み、そこから抜け出せない。親の姿を見て子供は育つし、状況を改善しようとしても後ろ盾がないので上手くいかない。最初はみんなスケートボードが好きなんだなというくらいに思っていたけれど、次第に終盤になるにつれてそれを行うこと自体が何とか彼らの心を正常に留める手段だったのだ、ということに気づいてしまうのだ。

彼らは自分のものさしで俺を"善人"の型にハメようとしていた
本当は自分のことを善人だと思いたいけどピエロみたいに思えるよ
黒人はいいぞ 毎日世間を見返してやれる
俺たちはいつも問題に立ち向かっているからだ

 3人は確かに辛い幼少期を過ごしたかも知れないが、結末まで向かうにつれいて、ザックとキアーが向かう先が全く別の方向に進んでいることに気づいてしまう。それは決定的な意識の違いと言える。ザックはかつて子供が生まれたことを通して確かに希望を見出したはずなのに。たぶんどこかで自分が進む先の道を見失ってしまったのかも知れない。

 誰だって物事をポジティブに捉えて明るく楽しく暮らせたらいいのに、と思っているのにな。生きるたびに気がつけばさまざまなしがらみに囚われてしまって、上手く息を吸いにくい世界になってしまう。みんな確かにそれぞれの思考や信念を持っていて、それを捻じ曲げることができないからだ。

 かつて私自体はどうだったかというと、ドキュメンタリーに出てきた登場人物と比べると瑣末な悩みばかりだったような気がする。何かひとつの問題に真剣に向き合おうとすると、本当は辛くて苦しくて立ち上がれなくなってしまう。だから人はお酒など、自分が今の世界から逃れることに手を出して、それが気がつけば次第に破滅へと向かってしまうのだと思う。

 本当はこの世の中には安らぎを得られる場所がたくさんあるはずなのに、それを与える人がいないだけでこんなにも物事の見え方が変容する。

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 映画を見て、彼らに対して私ができることは残念ながら、ない。それでも彼らが苦しんでいる状況を目にすることで、少しでも今の私の周りの環境が改善に向かっていけるよう私自身が意識していこう、と素直に思った。


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