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理想の世界には程遠い

<2021年9月21日執筆>

 いくばくかの小さな星と、大きな月が宙に鎮座している。

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 中秋の名月って、毎年満月の日に重なるものだと思っていた。

 それはとんでもない間違いで、必ずしも満月の日に当たるわけではないということを恥ずかしながら最近知った。今年は偶然にも、たまたま満月にあたるということでちょっと話題になっていた。宙空にぽっかりと浮かんだ欠けることのない完璧な月は鈍く光り輝き、その存在感を示している。

 昔から月が好きだった。というより宇宙という概念自体が好きだった。人智の届かない、光り輝く星と地上を明るく照らす月。昔の人たちはどれだけ月の存在に助けられてきたことだろうか。

 最近お団子を食べる習慣がなくなってしまったなと思ったけれど、単純に自分がめんどくさがっているだけだ。同じく新しいことを始める気力が昔に比べてなくなってしまったなと思ったけど、それもきっと自分が勝手に自分自身に自己暗示してしまっていただけだということに思い至る。

 時々、仮にこの世界があと数ヶ月で滅びるということになったらどうなるのかということを考える。人々は疑心暗鬼に陥って、やがてライフラインもストップする。そういえば、私が小学生の頃に2000年のノストラダムスの予言が世間の関心をさらっていた時があった。

 結局、その時は何もなく過ぎたけれど、もし本当に何か考えもしないことが起きていたら来る日を思って恐怖に震えるのか、それともその日を穏やかに過ごすべく努力するのだろうか。わからない。

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 本屋大賞にも選ばれた凪良ゆうさんの『流浪の月』を読んだ時、魅せる物語の展開をする人だなとぼんやり思っていた。青年と幼い少女の間に横たわる見えない絆のようなもの。でもそれは世間一般からすると残念ながら異様と捉えられる関係性だった。結末も含めて、魅せられた。

 本屋大賞受賞後初めて書かれた作品が、『滅びの前のシャングリラ』。私は基本的に一度当たりだなと思った著者の作品は、他の作品にも目を通す。図書館で1カ月待ちだった本作が、貸出できますと連絡を受け早速図書館に向かう。(あとで知ったけれど、これも本屋大賞候補だったのね)

【あらすじ】
「明日死ねたら楽なのにとずっと夢見ていた。
なのに最期の最期になって、もう少し生きてみてもよかったと思っている」
一ヶ月後、小惑星が地球に衝突する。滅亡を前に荒廃していく世界の中で「人生をうまく生きられなかった」四人が、最期の時までをどう過ごすのか──。

 折りしもこの頃図書館は閉館(執筆当初)していて、予約の貸し出ししか受け付けていなかった。何万冊もある蔵書は手の届く位置にあるのに、手を伸ばすことが叶わずにもどかしかった。

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 さて、本の話に戻ろう。

 正直小惑星によって地球が滅びるなんて、少し荒唐無稽こうとうむけいだと思っていた。でも想像しうることは全て実現する可能性があると誰かが言っていたし、ありうることなのかもしれない。最初物語に没入するのが難しそうな設定だなと思っていたけれど、いい意味で裏切られた。

頭と心。ぼくたちはそれを両輪で回すことがまだ下手で、制御できず、たびたびおかしな方向に向かってしまう。(p.82)

 全部で4つの章に分かれていて、それぞれ異なる人の視点から物語が展開されていく。冒頭のおどろおどろしい一文からすっかり心を掴まれてしまった。やっぱり、始まりの一文って重要だ。

 文章を読んでいて、ふと東日本大震災の時のことを思い出していた。

 あの頃世界中から日本はこんな緊急事態にも関わらず、なんて徳を重んじる国なんだと絶賛するニュースが日夜報道されていたが、あれも国民の統率や誇りを誘引するために必要なことだったんだと今ではなんとなく悟った気持ちになっている。

 実際はあと世界が数ヶ月で滅びるとなったら、人は他人を気遣う余裕なんてなくなるだろう。誰だって、自分が可愛い。せいぜい守れて自分の周りにいる大切な家族や友達だけだろう。

 主人公と思われる江那と、クラス一美人とされる藤森さんの関係性が私的にはとても好きで、たまたま封入されていた『イスパハン』というスピンオフ小説も読んでいてほっこりしてしまった。

 たとえこの世界に小惑星が落ちてきたとして。そして自分たちの余命があといくばくもないとして。その時に私は何をしているだろう。

 少なくとも大切な誰かをより一層大切にして、ああ今日も一日素晴らしい日だったと思いながら最後の日を迎えることができたら最高だな、と思った。

 もちろん最後の晩餐は、バター醤油ご飯で。


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