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#11 タイについての愛を語る

 あのなんとも言えない独特の匂い、排煙ガスに取り込まれた道、澱んだ河の水が流れる光景。今パッと記憶を探ると、思いの外鮮明にその時の描写を思い浮かべることができる。過去にnoteでも記事にしたことがあるのだが、これまで訪れた中でも特に微笑みの絶えないあの場所は、一生忘れることができない国の一つである。

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 最初海外を旅したての頃は、どちらかというとヨーロッパやアメリカへ行くことが多かった。

 それは理由を述べると単純に東南アジアであれば割かし日本から近いし、短い休みでも行くことができるという考えからだった。今から思うと、体力が有り余っているうちにもっと頻繁に足を延ばし、あの雑多とした国の雰囲気をふんだんに味わっておけばよかったとほんのちょっぴり後悔している。

(さすがにこの年になって、公園で寝袋にくるまる勇気はない。やれないこともないとは思うものの、めんどくささが勝ってしまう。お金を稼ぐことができるようになった自分の特権である)

 たとえば今すぐにでも海外へ行くことができたらどこに行きたい?と聞かれたなら、間違いなくタイを選ぶ。アジアを旅するうえで最初に訪れたのがタイで、その時の衝撃たるや。

 待ちゆく人たちはざっくり分けると、日本人に似ているとも言えなくもないだが、やはり国独自の個性というものが見え隠れする。道にはひしめくほどの車とバイクが立ち並び、朝でも騒がしい。あの何とも言えない熱気がわたしは好きで、空気を吸うたびにドキドキするのだ。

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深夜1時、寝袋の中にて

  飛行機の関係で、初めてタイに降り立った日は深夜の1時だった。

 大学を卒業する前に3か月ほど、世界一周航空券を使って一人旅をした。当時で、確か12か国くらい自分で選んでまわることのできるシステムだったはずだ。何もかも、希望に満ち溢れた日々。

 世界一周航空券を使うメリットの一つとしては、通常よりもすこぶる安くイースター島に行けることだった。わたしはかねてより、イースター島にだけはできるだけ早いうちにこの目で見ておきたいと思っていたので、お陰でその夢を叶えることができた。

 イースター島に行った時の出来事は、もちろん興奮するほど忘れられない日々だったけれど、同じくらい印象に残っているのがタイにおける滞在だった。深夜2時くらいにバンコクのスワンナプーム国際空港へ辿り着く。もうその時点で市内へ向かうバスも、電車もない状態だった。

 やれやれ早速これを使う時が来たか、と日本を旅立つ前に友人がくれた餞別で貸してくれた(くれたわけではないが、結果的にわたしのものになった)寝袋にくるまる。周りを見ると、わたしと同じように空港で寝ている人たちが何人かいて、そのうちの一人がクレアだった。

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 当時わたしが24歳くらいで、彼女はまだ20歳を少し過ぎたくらいだったように思う。経緯は忘れたが、何かの拍子に彼女が話しかけてきて、わたし自身も慣れない場所で眠れなくなっていたので二人で朝を迎えるまで話をした。途中眠気が襲ってくるかと思ったが、全くそんなことはなかった。

 彼女は一件寡黙そうな雰囲気を醸し出していたのだが、思いの外話してみるととにかくよく喋る、明るい人という感じだった。時間が、あっという間に過ぎていく。気がつけば、朝になっている。

 いつかまたどこかで会おうね、と言って手を振る。彼女はそのまま振り返らなかった。しばらく余韻がつきまとう。

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それぞれにとって当たり前の日常

 外に出ると、ムワッとした空気と共に、軽やかな風も舞っている。結局初めてタイを旅行した時は3日間しか滞在することができなかった。事前に調べて、面白そうな場所をただなぞる旅だった。

 バンコクからいくつものバスと電車を乗り継ぎ(驚くべきことに窓がなくて、天井にはガタガタと音が鳴る扇風機が設置されていた)、やがてたどり着いた場所はメークロン鉄道市場である。線路の脇には確かに人々の生活の営みがきっちりと残っていて、独特な匂いが鼻を突く。

 やがて時間になると、線路の上を電車が駆け抜ける。市場を開いている人たちは、その瞬間だけ急いで店仕舞い。どこにそんなスペースがあったのかと思うほど、あっという間に商売は畳まれるのだ。なんて奇妙な世界なんだろう。誰がいったいこの仕組みを考えたのだろうか。

 メークロン市場と駅で働く人たちは、皆生きた光を宿していた。鈍く、明日ではなくて今日という日だけを見つめて生活している人たち。なんだか、わたし自身が生きる活力をもらった気がした。

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底果てることなきエネルギー

 そのままたくさんの人が乗る乗合バスに便乗させてもらう。目指すは、アンパワー水上マーケットである。乗合バスに乗る日本人はそう多くないのだろうか、現地の人たちからは稀有な視線を投げかけられる。10分ほどすると、目的の場所にたどり着いた。

 水の揺蕩う流れの上に、人々が生活の基盤を敷いている。あたり一体そこかしこから、海鮮の香ばしい匂いが立ち昇るとともに蝿がぶんぶんとたかっていた。店の人が、タタキのようなもので払っている。今の日本では、なかなか見られない光景。

 観光客が大勢押し寄せ、水上マーケットは押しつもたれつのぎゅうぎゅう詰の状態。人の多さにたちまち酔う。彼らはいずれも、友人たちと談笑して楽しそうだった。メークロン市場でも感じた、底知れないエネルギーの源。

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心地よき疲労感

 かつての日本でも、おそらく感じることのできたであろう何か人を突き動かす力。わたしは残念ながらその時代に生まれることは叶わなかったけれど、その頃の団塊世代の人たちは皆口を揃えて「あの時代はよかった」と言う。大きなうねりとなって、押し寄せる。

 もう初日にして、すっかり人々の底の見えない爆発的なエネルギーに充てられて疲弊した。次の日宿で朝ごはんを済ませた後、再びカラッとした暑さの中で電車に乗る。疲労感は不思議と、嫌ではなくなっていた。

 訳のわからない力とともに、タイに住む人々の表情は豊かだった。彼らの顔を見るたびに、どきりとする。辛いことはあるに違いないのだが、それでも後ろを向いていなかった。ああ、ここは何て居心地がいいのだろう。知らぬ間に、心の中を温かいものが包み込んでいる。この感情は、誰に対する愛なのだろうか。

 わたしも彼らに負けてられないな。それとともに、見知らぬ彼らに対して感じる愛おしさ。その正体について、またいつか話すことができたらと思う。雑多な世界に、目を瞑って彼らの呼吸を感じた。空気の粒に、なんとも言えない愛が漂っている気がして。

故にわたしは真摯に愛を語る

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