人生は、壮大な暇つぶし。
人生ってなんのためにあるのでしょうか?
自分ってなんで生きているのだろうか。
ときどきそんなことをふと考える。
僕はそんなとき、人生は壮大な暇つぶしだと思っています。
人生にたいした意味はありません。
なにそれ、ちゃんと意味はあるよ、という人もいます。
でも赤ん坊として母親の中から出てきたとき、
「君は会社員になって、家族を作りなさい」とか、
「公務員になって一生安泰になりなさい」といったような意味を与えられたわけではありません。
よくよく考えると、たしかになんで生きているのだろうと思うわけで、生まれて生きること自体に意味なんてないんです。
意味があると思っている人は、自分の中で後から意味づけしていったということだと思います。
生きるということは、いつか死ぬことだけが決まった時間制限と、老いのあるほぼ完全な自由。
でもだから人生は、壮大な暇つぶしなのだと思います。
子どものころはわけもなく、友達と追いかけっこをしたり、木登りをして笑いながら暇をおおいに楽しんでいた。
知らず識らずのうちに勉強することが当たり前になっていき、習い事や部活に追われ、暇はどんどんつぶれていった。
学生が終われば、社会人。
働くことが正しいことになり、毎日朝9時ごろ出勤して、残業などもして21時ごろに帰る。
そんな感じで、見事までに暇はなくなっていく。
上手に暇つぶしができるようになっていっている。
なのに、みんな暇を求めている。
自由を求めている。
自然と暇つぶしできてしまった結果、人生に意味があるかどうかも考える暇がなくなって、本当は大した意味なんてないのに、意味があるのだと思ってしまって、暇つぶしに追われてしまっている。
なんでもできるのに、何もできないと思ってしまっている。
暇つぶしなのに、頑張らなきゃいけない、耐えなきゃいけないと思ってしまっている。
これでは知らない間に、人生が”膨大な暇つぶし”になってしまう。
毎日決められた仕事をして、土日休み。たまにGWやお正月に休みがあっても、また仕事が始まると嘆く。
それではもったいない。
人生はもっと楽しいものであり、せっかくなら”壮大な暇つぶし”であってほしいと思う。
人生に大した意味なんてないんだな。
自由に生きてもいいんだな。
嫌な仕事をやめたって、なんとか生きていけるな。
だったら自分の生きたいように生きるほうがいいよな。
そんなふうに考えられる暇をつくってほしい。
人生は、膨大だが、壮大に生きられる。
これからも壮大な暇つぶしをしながら、生きていきたいと思う。
あとんす!きっとうまくいく