あなたにとって、セックスとは?

みんな”セックス”について、どう思っているのだろうか?

某カフェで、そこにいる人たちを眺めていると、ふとそんなことを考えていた。

仲良さそうに身を寄せ合うカップル。子どもを抱きかかえながら話をする主婦たち。黙々とテキストに目をやりながら、ときより携帯に夢中になっている学生。楽しそうに笑いあうおじいちゃん同士。

たまたまカフェに居合わせた人たちを見ながら、セックスについて想いを馳せてみる。きっと僕がセックスについて書いているなんて思ってもみないだろう。

でもみんなセックスなしでは、生きていられないんだ。誰かと誰かがセックスをしたことで、偶然にこの世に生まれた。それに全員が全員とは思わないが、みんなセックスについて考えたことがあるはずだから。

セックスしたいとか、したくないとか。気持ちいいだとか、痛いのだとか。最近していないだとか、そんな気も起きないだとか。どうだとか。

セックスは、人生と切っても切り離せないものだと、生きている人たちを見て、改めて思うから、書いてみよう。

セックスとは、何か?

あらためて”セックス”ってなんだろうか。

ある人は、「欲望を満たすためのもの」と言う。
またある人は、「愛を感じるためのもの」と言うだろう。
別の人にとっては、「子どもを産むためのこと」なのかもしれない。

書き出して思うが、"何か"なんて絶対にわからない。

人生に答えがないように、愛に形がないように、誰もその答えなど知らない。

あるとしたら、答えっぽいものでしかない。みんな知らず知らずのうちに答えや形を探し求めて生きているけれど、結局は自分で納得するほかない。あまり考えずともみんな勝手に納得できる答えを見つけて、そこに落ち着いて生きている。

ただわかっていることもある。セックスに関していうならば、けっして一人だけのものではないということだ。なぜなら絶対に一人ではできないものだから。

だから正解ではなくとも、確かなことがあるとすれば、二人で導くものだといえる。

けっして答えや正解などが必要だとは思わないけれど、もしセックスが何か、セックスとは自分にとってなんなのかを本当の意味で理解しようと思うのならば、対になる存在が必要だ。

そして本当の意味でのセックスは、異性同士でなくてはできないと思っている。身体の構造上、男女は対となっているから、完全なセックスは男女でしかできないと僕は思う。

だから僕にとってのセックスから考えていきたい。

その中で見えてくるものがきっとあるはずだ。

自分の世界からしか、他の人の世界を覗き見ようとすることもできないから。

僕にとってのセックスは…

僕にとってのセックスは『愛する人を満たしたいもの』だなと思う

僕はセックスが好きではない。けっして嫌いではないから、好きではないという表現が一番適切だと思った。

僕は心から、好きではなかった。

なぜかというと、大変だから。僕は比較的同世代と比べて性欲が強くないから、奮い立たせないといけない。セックスするのにはエネルギーを必要とする。食欲にも負けるし、睡眠欲に勝つこともない。満腹になって寝る方が優先度が高い。文章を書く方が楽しいし、本を読む方が気楽でいい。

僕はそんな人間だ。

改めて考えてみても、僕はセックスが好きではなかった。

それでもどうしてセックスをするのか、セックスがしたいと渇望することがあるのかと考えると、”相手を満たしたいと思うからしたい”と思うのだった。

そしてその対象は愛する人でしかないということがわかった。

これまでを思い返してみる。僕はけっしてモテないわけではない。容姿はイケメンと言われるものには程遠いけれど、髪は短めで前髪はあげている。色白で一重。髭はほとんど生えていない。清潔感が取り柄だと自覚している。バスケットボールをやっていたので身長も高めで、いまだに体を鍛えているから体格はいい方なので、26歳になった今もまだ学生に間違われたりもする。

そのため女性と出会うことがあれば、好印象を持ってもらうことがあった。いい雰囲気になることもなくもなかったが、それでもセックスをしたいと思うことはなかった。

本当にしたいと思わないのかと自分を知りたくなったこともある。セックスができる状況まで行けばしたくなるのではと思い、一度だけ自分の意思でしようと考えて女性と会ったこともあったが、それでもホテルへはいかなかった。女性はその気だったと思う。それでもどうしてもしたいとは思えなかったからやめた。

このとき初めて僕にとってのセックスは、性欲を満たしたいと思うものではないことを知った。性欲がないというわけはなかったが、自分の欲を満たすためのものではなかった。

僕の場合は、愛した人としかセックスをしたいと思わない。そしてそれはセックスで気持ちよくなりたいわけではなく、相手が満たされているのを感じたいからなのだと思う。

愛を感じる方法はたくさんあると思う。

言葉で伝えること、ものをプレゼントすること、一緒に綺麗な景色を見たり、映画を見ることも一つの方法かもしれない。

その愛を感じる方法の中に、セックスがあるのだと思う。

優劣があるわけでもなく、それ以上でも以下でもないのだけれど、改めて考えると、セックスは特別なものだなと思えた。

セックスだけが、本当のつながりを感じることができる。言葉でつながり、肌を感じ、時間を共有して、お互いを受け入れ合う。

この受け入れ合いだけは、セックスでしか感じることができないものであり、表現し得ない愛を生み出してくれるものなのではないかと思った。

愛する人にだけ伝えたいものがある

愛する人以外に、愛を伝えたいとは思わない。

正しくは、愛する人にだけ伝えたいものがあるのではないかと思う。それは言葉であり、肌と肌が触れあったときの温もりであり、どんな時でも共に過ごす時間である。

そしてセックスだ。交わることでしか、感じられないものが確かにあった。お互いのものが、体の中に入る。受け入れ、受け入れられる。身体がそれに応える。言葉でも、肌でも、時間でも伝えられないことが、そこには確かに存在した。

人として好きな人はたくさんいるだろう。家族や友人、自分の周りにいてくれる人たちのことを、きっとみんな好きだし愛していると思う。

それでも本当に愛したい人との間だけに芽生える感情は、別格だ。

ある人に言われた言葉が、強く残っている。

「セックスは、しようと思えば誰とでもできる。
でも本当に愛する人とのセックスは、本当に愛する人としかできない。」

そうなんだ。

セックスはしようと思えば、誰とでもできる。

それは道ゆく人に声をかければできることもあるかもしれないし、お店に行ってお金を払えばできる。そしてそれを悪いことだとはけっして思わない。

性欲を満たしてくれる行為自体が好きな人もいるし、気持ちいいからしたい人もいて、興奮する人がいるのも当然だ。

人それぞれにセックスに対する想いは、違う。

だからこそ、思い出してほしい。

セックスがすべてではない。愛を表現する、伝える上での一つの手段でしかない。

それからただの行為でもある。誰かにとっては、スポーツと同じなのだ。食事することとか、本を読むこととも同じかもしれない。

でも、本当に愛する人とのセックスだけは、本当に愛する人としかできないものだ。

他の誰ともできないし、他の何とも変えられないものなのだ。

重要なことだとか、特別だとわざわざ考える必要はない。気づかずとも幸せに愛する人とつながっていられるなら、それに越したことはないのだから。

結局、セックスが何かという答えは出なかった。

それでも自分にとって、何かはわかった。

対になるものを持ち合わせた男女でしかできない完全なセックスは確かに存在する。

それでも、完全に満たしあうセックスは、本当に愛する人とできるのだ。

他の誰ともできない、他の何とも変えられない愛を表現しよう。

あなたにとってのセックスとはなんですか?

僕が願う必要はないのだけれど、人それぞれでいい。でもそれがお互いに気持ちのいいものであって、お互いに満たされるものであって、お互いに本当に愛する人とできるものでもあってほしいと願う。

愛したい人と本当に愛し合いたい人へ

愛したい人と愛し合えることを願う物書きより

あとんす!きっとうまくいく