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24時間テレビで知ったこと

私が障がい者と呼ばれる人がいると知ったのは
おそらく24時間テレビだった。

私の家では毎年24時間テレビを見ていたし
家族が見ていれば
自然と幼子の私も見るようになった。

 
24時間テレビは毎年八月の後半の土日に放映されるので
24時間テレビの黄色のTシャツがお店で売られると夏を感じるし
24時間テレビの日が来ると
夏の終わりを感じる。

 
 
24時間テレビを毎年見ているとは言っても
一日中見ているわけではない。
土曜日21:00過ぎからやるドラマとマラソンの途中経過、障がいがある人の何らかの挑戦、マラソンのゴールの瞬間あたりはおさえるが
24時間中半分の12時間分も見ていないと言っても過言ではない。
24時間テレビがやっている土日は
特にテレビで見るものがない時はつけっぱなしにしたし
他に見たい番組があればそちらを優先して見た。

だけど、マラソンのゴールの瞬間はいつもチャンネルを回して
武道館ゴールを見た。
マラソンの様子をずっと見ていなかったくせに
ゴールの瞬間をおさえれば
なんとなく見ているこちらも心が動かされる。
自分が走ったわけではないし
見てもいないのに
勝手で気軽な立場だ。

私はサライの曲が好きだった。
歌詞やメロディが好きだった。
最後にみんなでサライを歌う演出が好きだった。

サライを聴くと
いよいよ夏の終わりが近づいていく。

 
 
私が小~高校時代は
24時間テレビのドラマの原作の本を何冊か購入していた。
親にねだれば買ってくれたのだ。
毎年様々なドラマを放映しているが
24時間テレビを見る前に元ネタを知っていたことは一つもない。

様々な病気や障がいがあることを知り
自身や家族の人生がそれによって変わったことを知り
時に涙し
時に考えさせられた。

 
 
 
私の学校には特殊学級がなかった。
養護学校(特別支援学校)も近くになかった。 
だから中学校に入学してもまだ
特殊学級の存在も養護学校の存在も知らなかった。

 
私の身近に障がい者や大病の方は一人もいなくて
それが世界の全てだと思っていた。
障がい者や大病の人はどこか遠くに僅かだけいて
24時間テレビは
その僅かな人をピックアップしているのだと思っていた。 

 
実際はおそらく、私の身近にもいたのだろう。
障がいや病気を隠してヒッソリ生きていたり
あえて親や先生が私に教えなかっただけだろう。
「普通とちょっと違うような…?」と感じる大人も何人かいたが
その私が感じた人について聞くのは
余計なお世話というか
その話題に触れるなという雰囲気があった。
無言の圧力を感じ
「なんかちょっと変わってる?」と思っても
気にすることは失礼だと思い
私は考えないようにしたし
その思いを心に閉まって、蓋をしたと思う。

大人が障がい者と健常者の世界を分けていたように感じるし
障がいや病気がある人は声高らかに、自身のそういったことは周りに堂々と言いもしなかったと思う。

 
だから私は
障がい者や大病の人がどのくらいいるか
どんな生活なのか
何も分からない子どもとしてどんどん育っていった。

 

 
私が中学生の頃に乙武洋匡さんの「五体不満足」が発売された。
その本は爆発的に売れたし、私も買って読んでいた。 
 
24時間テレビと五体不満足のみで障がい者を知った私は
どんどん障がい者や大病の方を美化していった。


私にとって障がい者は
身近にはいない存在で
ポジティブで
高みへ挑戦する人だった。

 
 
中学時代に部活で対戦した人は手話を使う方で
聾学校の人だった。
私が初めて障がい者と呼ばれる方と関わった瞬間だろう。
彼女らとは試合くらいでしか関わらなかったが
手話を使うだけで試合に支障はなかった。
私が手話を使えなかったり
初めて聾者と関わることで
何をどう接したらいいかが分からなかった。

ただ、先生や仲間と手話でやりとりはしていたし
会話に手話を使うだけで
あとは健常者と変わらないように私には見えた。

 
だから私はこの頃
障がい者全般をよく分かっていなかった。
表面的なことさえ
よく知らなかったと言える。

  
 

 
そんな私が見方を変えたのは、大学二年生の頃に受講した障害者福祉概論の講義である。

その講義では、美味しそうなデニッシュ等のいくつかのパンを見せてもらった。

 
先生「このパンを、皆さんはどう思いますか?」 

 
普通に有名店のパンだと思った。
ヴィドフランスのパンのように感じるくらい
ハイクオリティだった。

 
先生「食べたい人~?」 

 
私は挙手をしたが、食べたい生徒があまりにも多く
私は脱落してしまった。
たまたま、同じサークルの子が食べられた。
味も普通に美味しいとの話だった。

 
見た目や味を生徒が確認した後、先生は言った。

 
 
先生「そのパンはね、障がい者が作ったんだよ。」

  

!?

 
 
私は驚いた。
いや、私だけではない。
周りもざわついた。

このパンを、障がい者が? 
え???

 
 
驚く私達に、先生は話を続ける。
このパンは、東京にあるスワンベーカリーというパン屋さんのパンらしい。
スワンベーカリーはヤマト運輸と連携したパン屋で
障がいがある人が働いているパン屋らしい。

 
障がい者はパンを作って、販売して、お金を得て、一人暮らしをしている人も多いという。

 
 
その話は私にとって革命的だった。
私にとって、障がい者が生活費を稼ぐという概念がなかった。
障がい者の生活や日常を私はまるで知らなかった。
私が知っている障がい者は、何かに挑戦している姿で、その挑戦というものは、お金を稼ぐことではなく、趣味の範疇だった。

 
障がいがある人も健常者と同じように
大人になったら働いて、お金を稼ぐ。
そして、それをサポートする福祉職がある。

 
 
私はキラキラした。

これだ!と思った。
この仕事だ!と思った。

 
今までぼんやりと高齢者福祉職のヘルパーに興味があった私だが
どこかでシックリ来なかった。

 
こんな仕事があるなんて知らなかった!

 
私は胸を弾ませた。
私も障がい者の人をサポートする仕事に就きたい!と
この日初めて強く思ったのだ。

 
 
 
 
 
そして大学を卒業し、私は福祉の専門学校に入学した。
私は社会福祉科に所属した。
入学した時点では

クラスの半分は高齢者福祉に興味があり
もう半分は障がい者福祉に興味があり 
ほんの一部が児童福祉に興味があった。

 
介護というと高齢者福祉のイメージが強いが
高齢者福祉に就職したい人は介護福祉科を受験するため
私のクラスは妥当なバランスであったと思う。

 
 
一年生の時の実習はほとんどが高齢者福祉施設で、主にボランティア活動でしか、障がい者と関われなかった。
二年生の実習は学校から指定された施設なら、高齢者以外の施設も含まれたので
私は授産施設のみを選択し、実習をしていた。
やはり授産施設の実習は楽しかった。
スワンベーカリーのようにパン作りもやったし
どこの授産施設でも
実習は楽しさとやりがいで溢れた。

 
この仕事しかない。

 
私は実習やボランティアで障がい者と関わるごとにその思いを強めたし
第一希望施設で内定をもらえた時は
腰が抜けて泣き崩れた。
人生でトップ5に入るほど
嬉しかった。

 
 

 
そうして私は障がい者と関わる仕事を始めた。

毎日が新しい発見や刺激だらけで
大変だけど楽しくて
やりがいがあって
天職だと本当に思っていた。

 
 
そんな中、夏を何回も巡った。

利用者の何名かは24時間テレビのTシャツを着ていた。
昔は24時間テレビのTシャツは黄色のみだったが
私が社会人になる頃には
白やピンク等5色展開になっていった。
それでも利用者の方々は黄色を選んでいた。
たまたまかもしれないが
私の施設は黄色を好む利用者がたくさんいた。

 
 
私が社会人になった頃
24時間テレビの評判は賛否両論であった。
マラソンはやらせ疑惑があったし
制作費はそのまま募金に回せという意見もあったし
いかにもなお涙頂戴企画に嫌悪する人も多かった。

 
毎年ある程度の視聴率はキープしていたし
私が物心つく前から毎年放映されていたご長寿番組だが
アンチ派も少なからずいた。

 
 
じゃあ実際、障がいがある人はあの番組をどう捉えているのかと言ったら
私の施設では肯定派の人が多かった。
否定派はいなかった。
いたのかもしれないが、否定的な意見を明らかに言う人は
職場関係者にはいなかった。

 
利用者の中で24時間テレビのTシャツは人気があったし 
私もデザインによっては購入して仕事着にしていたが、やはり好評だったし
毎年利用者と24時間テレビの話題になった。

 
じゃあ保護者はどうかというと
保護者の人で24時間テレビを見ていた人もいたし
Tシャツを購入している人もいた。
私が個人的にやり取りをしただけで言えば
24時間テレビに批判的なご家族もいなかった。
内心はもちろん、分からない。

 
 
私の担当利用者は、24時間テレビに出演したがった。
 
利用者「嵐に会いたいよ~!私もテレビに出たい!!どうやったら24時間テレビに出られるの?」

 
私「うーーーん……。」
 
 
私も謎だった。
24時間テレビに出演している人達は、自分から売り込んだのだろうか?
本や新聞に載ったりして、テレビ局側からアプローチしたのだろうか?
それは私もいまだに分からない。

 
利用者の女性陣にも嵐は大人気で
メインパーソナリティーを担当した時は
利用者はキャッキャ喜び
テレビをかじりつくように見た。
好きな芸能人が土日通してたくさん出るのは喜ばしいことのようだった。

 
そして何より、自分と同じ障がい者や病気の人が何かに打ち込んだり、頑張る姿は
利用者や保護者に勇気を与えていた。
 
利用者はリハビリや作業を頑張るモチベーションに繋がったし 
保護者の人達も障がい者が主役の大衆的な番組を
自身や周りが障がい者を知るきっかけになると言っていた。 

 
例えばNHK等で、障がい者や病気の人をテーマにした番組をやることがある。
24時間テレビに批判的な人に聞いてみたい。

 
あなたは、それらを見ますか?

 
と。

 
 
あくまで私の独断と偏見だが
そういった特集を見るのは、当事者とその関係者とそういったことに関心がある一部の人しか見ない。 
見てもらったり、知ってもらわない限り
共存は更にほど遠くなるし
別世界になってしまうのだ。

 
新聞やネットニュースも同様だろう。
見たり読んだりするのは 
当事者とその関係者とそういったことに関心がある一部の人だろうし
テレビや新聞やネットニュースでは一部しか切り取られない。
それによって誤解や偏見を生む可能性ももちろん含まれる。
それほどまでに、まだまだ障がい者や大病の人達はクローズの世界で
当事者達以外はまだまだ知らないことが多い。

 
病気だから、障がいだからと
できないことはたくさんあるし
弱音や愚痴、やるせなさもたくさんあるのが普通なのだ。

だが、それらをありのままに見せたら
障がいや病気は「かわいそうで大変なこと」になる。
障がい者や病気の方は憐れまれる対象となる。

 
当事者はそれを望んでいない。 
だから前向きに何かに挑戦したり、やりがいや生きがいをテレビ等で発信する。
私達は私達なりに精一杯今を生きていると伝えずにはいられない。
だけど、もちろんその後ろには葛藤や涙がたくさんたくさんあるし
病気や障がい者の当事者や家族が
ニュースに取り上げられる人達のように振る舞えなくても
それは至って普通のことである。

 
 
健常者も障がい者も同じだ。
ヒエラルキーがある。

障がい者といっても、軽度や重度とランクがあるし
重度の利用者のご家族ほど
「うちの子は、他の子よりできない。一番できない。」と口にする。

 
支援者側から言えば、軽度には軽度の、重度には重度の良さと大変さがそれぞれあり
軽度の利用者介護が楽とは決して限らないのだが
重度の利用者のご家族ほど
同じ障がい者が集められた学校や施設で思い知るのだ。

 
うちの子は、一番手がかかる。
まともに生めなかった私が悪い。
親がキチンとしつけられなくて申し訳ない。

 
と。

 
 
だから私は職員として、「そんなことないですよ。」と伝えたかった。
言葉だけではなく、実績として
利用者の人、一人一人のできることを増やしたかったし、笑顔を増やしたかった。
利用者の人が何らかができるようになると本人も自信になり
保護者は泣いて喜んだ。

「ともかさんは他の施設や学校が見放したうちの子を信じて、伸ばしてくれた。ありがとうございます。ありがとうございます。」

 
そう言われるたびに、どれだけ利用者や保護者が茨の道を歩いてきたかを知る。
私はきっかけになりたかった。

 
「工夫をすれば、時間をかければ、何かしらできる。」
「一人一人良さはある。それに気づけるかどうかだ。」

 
そう信じていた。
だから利用者が何かできるたび、私も一緒になって喜んだ。

 
 
 
いいのだ。
テレビをジャニーズ目当てで見ていいのだ。

24時間テレビで、一年に一回でいいから
障がい者や病気の人に目を向けてほしい。
自分の身近にいないだけで
同じ世界のどこかにこんな人もいることを知ってほしい。
今元気な自分や身近な誰かも
病気になったり、障がい者になり得る可能性を知ってほしい。

やらない善より、やる偽善。

 
誰かが障がいや病気について何かしら知ったり、感じてくれるだけで世界は動く。

人は知らないから恐れ、怯え、決めつけるのだ。

 
 
 
職場の近くで毎年行われる福祉祭りでは
お祭りの最後にサライを歌う。

老若男女が歌う。
健常者も障がい者もみんなが歌う。

 

障がいがある人は文字が読めない人もいる。

だけど何年も何十年も放映している 
24時間テレビだからこそ
みんなが歌を知っていて、歌を歌えることができる。

 
 
24時間テレビ全てを肯定するわけではない。

否定派の意見ももちろん分からないでもないし
私も企画自体や演出に思うことはある。

 
だけど、青空の下でみんなでサライを歌いながら
こんな日を素敵だと思っていた。
歌はみんなを一つにする。

それはそんなに目くじらを立てて怒るほど
悪いことには私には思えなかった。


 
 

私は今年の春に仕事を辞めた。

利用者の皆と24時間テレビを分かち合えたのは
去年までだった。
  
 
24時間テレビが施設に寄付する車を、時折街中で見掛ける。
私の元職場は当たったことはない。

 
 
いつかもし、私の元職場車が当たったなら
利用者はきっと笑顔で喜ぶだろう。
その車に乗って色々なところに行けることは
みんなにとって幸せだと私は思う。


字が書けなくても読めなくても
あのマークが24時間テレビを表すとみんな知っている。

きっとあのマークがついた車が届いたなら
こんな世の中でも 
コロナによる不便や不満を一瞬でも忘れられて
みんなはとびきりの笑顔になるだろう。
 



 

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