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その本を捨てないで

私が小学生の頃、小学一年生という雑誌が毎月販売していた。
ジャンプと同じサイズであり
ジャンプより薄かったと思う。

 
小学一年生があるくらいだから
二年生~六年生まで発売されていた。
私は小学一年生になったことを機に
4月号から親に買ってもらった。
姉も小学一年生から買ってもらっていて
二歳違いだった姉は
私が小学一年生デビューした時
小学三年生を買ってもらっていた。

 
小学○年生シリーズは連載マンガがいくつか載っていたり
カラー写真で実生活に役立つようなことが載っていたりと
知的好奇心が満たされる雑誌であった。

 
 
私は毎月発売日が楽しみで
発売日になると本屋ですぐに買ってもらった。

私は小学○年生シリーズを読むことで
雑学を増やしていったし
連載マンガの楽しさを知った。
 
月刊誌があるから
また来月も楽しみという気持ちが生まれた。

 
私は姉の分も読み
姉は姉で私の分を読んだ。
これが姉妹の良いところだ。
私は小学○年生シリーズを毎月二冊読めたのだから。

 
 
私は小学校入学に合わせて学習机を買ってもらったが
小学○年生シリーズは私の机の上の段に並べられた。
机に本が並ぶのは気持ち良かった。

 
 
小学○年生シリーズは名作が多かった。

あさりちゃん、おてんばピーチ姫、チョコっとちょこちゃん、ゆめ色ふぁんた、ぶっとびリエちゃん、任せてダーリン、ないしょのココナッツ、ウェディングピーチ等々
私にどれだけ影響を与えたか分からない。

 
私が初めて描いた漫画は「ガムッとガムちゃん。」
ガムを食べて変身する女の子だ。
チョコっとちょこちゃんはチョコを食べて変身する女の子の話なので
まんまパクリであった。

 
あさりちゃんは雑学が豊富な漫画で、私は全巻集めた。
全100巻である。
小学○年生シリーズでは、基本連載マンガは1年で終わりだが
あさりちゃんに関しては同時進行で何冊もに載った。
読み切り形式なので載せやすかったのだろう。

私は39巻から集め出したが
まさか100巻まで続くとは思わなかった。
あさりちゃんは今でも私にとって大切な漫画である。

 
また、別冊フロクでキャンプやアウトドアの楽しみ方が描かれた漫画や偉人の話が描かれた漫画もあった。
それを読んでキャンプに憧れたし
ミキモト真珠やカップラーメンの誕生秘話、マザー・テレサやらホーキング博士を知るきっかけになった。

 
 
そんな小学○年生シリーズでは、毎年年に一回、リカちゃん人形の洋服デザインコンテストがあった。
グランプリ受賞者は
そのオリジナルデザインの服を着たリカちゃんのプレゼントの他に、商品(現金だか図書カードだか商品券だか)ももらえた。
グランプリ以外にも、入賞者はたくさんいた。

私は毎年、せっせかせっせかデザイン画をハガキで送った。
私の初めてのデザイン画である。

 
 
グランプリと準グランプリの方は都道府県名と名前と写真とデザイン画が載った。
毎年、私なりに頑張って描いていたが、入賞にかすりもしなかった。

余談だが、高校時代の親友は
グランプリ受賞者である。
それを打ち明けられた時はビックリした。

 
 
世界は広いことを知った。
同じ学年の女の子は才能に溢れている子がたくさんいた。
 
だが、私も四度目の挑戦で、ついに入賞した。
一番下の賞で、県名と名前が載った。
確か商品は図書カード500円分だったと思う。

 
当時はデザイン画をコピーして保管しておくという考えがなく
私はどんなデザイン画か正確には覚えていない。
確か桜をモチーフにして、リボンやフリルを使ったワンピースドレスだったと思う。

 
一番下の賞とは言え、全国で発売されている雑誌に自分の名前が載ったことも
自分のデザイン画が選ばれたことも嬉しくて
私は家族に自慢したし
自分の名前の載っていた箇所をペンで縁取りした。
嬉しくて嬉しくて
嬉しかったのである。

 
 
 
その雑誌は大事にとっておいた。
一生とっておくつもりだった。
私は小学○年生シリーズを本棚に飾り
保管していたのだ。

 
だが、悲劇はやってくる、

 
 
 
ある日、学校から帰ると○年生シリーズは全て捨てられていた。
犯人は母親である。

「もういらないでしょ?」と母親は言った。

 
私は愕然とした。

 
 
何年もに渡って集めた○年生シリーズは一冊も残っていなかった。

「勝手に捨てないでよ!私の名前が載っていた本まで捨てないでよ!」

私は怒り、泣き喚いた。
だが、怒り泣き喚いたところで本は帰ってこない。

 
 
確かに今まで、事後報告は二回あった。
ぬいぐるみが大量にあったものは学校から帰ると忽然と姿を消し
同じ場所に置いていたオモチャも、大量にあったのだが
学校から帰ると全てなくなっていた。

「捨てたから。」
「あげたから。」

母親は呆然とする私に現実を告げる。

 
 
 
ぬいぐるみやオモチャはまだいい。

片付けていなかった私や姉も悪いし
段々と成長と共にオブジェになっていた。
寂しいけれど
まだ仕方ないのだ。

 
だが、本はダメだ。
本に関して言えば、私はとにかくうるさいし、しつこいのである。
キチンと棚にも並べていた。
親だろうといじる権利を許してなるものか。

 
 
こんな時に頼りになるのが姉様である。
姉様は私のよき理解者であり、私と同じく本大好き人間だ。
私の援護射撃をドガドガしてくれた。
姉は頭の回転が良く、機関銃のように早口でまくしたてる。

「ともかに事前に何も言わないで勝手に捨てるのは、そりゃともかは怒るよ。」

 
姉様の存在がありがたい。
だが、捨てた物は戻ってこない。
謝られようがなんだろうが、もう二度と戻ってこない。

 
私は空っぽになった本棚を見つめたら
無力を感じた。
私は空っぽの本棚は嫌いだ。
例え毎日読まないにしても、コレクションとしてとっておきたかった。
視界に本のある生活であってほしかったのだ。

 
この出来事が、小学校四年生の時である。

 
 
 
私も姉も小学○年生シリーズは、四年生で買うのを辞めた。
捨てられたことは関係ない。
五年生と六年生シリーズは、内容が姉妹に合わなかった。

 
 
姉は五年生になってから、なかよしを買い出したので
私は五年生になってから、りぼんを買うようになった。

 
 
私と姉は思春期に突入し
好むものが異なってきた。成長でもある。
小学○年生シリーズよりも私達が求めたのは 
テレビでガンガンアニメ化されている、少女漫画だった。

 
当時はりぼん>なかよし>ちゃおの順で人気があり
姉がなかよしを買っていたので
単純に私はりぼん担当になった。
最初はご近所物語とママレード・ボーイとちびまる子ちゃん(既にアニメを見ていた)しか知っている作品はないレベルだったが
私はすぐにりぼんっ娘になり
少女漫画にのめり込んでいく。

なかよしもりぼんも好きだった。

 
 
 
やがて私は大人になり、りぼんを買わないで
好きな作家の漫画だけを買う派になったが
それでも小学○年生シリーズ休刊のお知らせはショックだった。
小学一年生以外は全て休刊になったのだ。

 
確かに私の周りでそれを読んでいたのは少数派であったが
本屋に行くと、ラックに陳列されている小学○年生シリーズをチェックはしていた。
小学校生活、四年間毎月買っていた雑誌は確かに大切な存在だったのだ。

時代、だった。

 
 
 
 
 
今年の春に仕事を辞めた私は、断捨離や掃除を始めた。 

断捨離は気持ち良かった。
ガンガン捨てたり、売ったりし
部屋に空間が生まれていく。
マニアックな場所をキュッキュッと掃除すると
汚れが明らかに落ち
見た目にも美しく、清潔である。

それは心の余裕に繋がった。

 

 
母親は冷蔵庫整理が苦手だ。
あっという間に物が溢れてしまう。

私は賞味期限切れのものや匂いや色がおかしいものを
これを機にガンガン捨てた。
事前に伝えると、まだ食べられるとかなんとか言うのだ。
だから母親が仕事の隙に捨てた。
捨てても捨ててもなかなか空間は出てこない。
際どい食材も思い切り捨ててやりたいが
冷蔵庫は母親の聖域である為
あまりイジりすぎたりはできない。

 
多分、母親にとっての冷蔵庫は
私にとっての本棚だ。

埋まっているから満たされるのだ。
いつか使うかもしれない食材と
いつか読むかもしれない本は
きっとよく似ている。

 
 
 
以前、祖父の遺品整理をした時
溢れていた物を容赦なく、捨てられた。
人は他人の物は愛着がないので
捨て方に容赦がない。

 
ゴミ袋は大量になった。
あの部屋にあれだけの物が入っていたのが
不思議なくらいだ。

 
人が生きている限り
周りから見ていらなそうに見えても
本人にとっては宝物かもしれない。

だから基本は捨ててはいけない。

勝手に捨てられると
しこりが残ってしまう。

 
自分の物を捨てるなら、やはり自分の手がいい。

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