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赤いドレスの人形と黄色のドレスの人形

小さい頃、内向的だった私は、両親や先生に注意されることを何より恐れていた。

自分の気持ちを上手く言葉にできない子で
私は両親や先生の期待に応えられるように振る舞っていたつもりだったし
両親や先生の言うことは絶対だった。

「先生に言っちゃうよ。」

その言葉が大嫌いだった。
自分がキチンとしていない子どもというレッテルを貼られたようで嫌だったし
先生に怒られそうで怖かった。
私はそれを言われないように、日々生活をしていた。

 
   

 
今でも忘れられないことがある。

 
幼稚園時代、年長の頃だ。
運動会の後に幼稚園から人形をもらった。
リカちゃん人形みたいな女の子の人形で
だけど、リカちゃん人形ではなかった。
似て非なる人形だ。
段ボールに入れられた人形を
担任の先生がランダムで配っていた。
人形は赤や青や黄色やピンク色のドレスを着ていて
どの人形かを自分では選べなかった。

私は赤いドレスの人形だった。
赤いドレスの人形はかわいくて
私はその人形を大切に両手で持ち
じっと眺めていた。

 
すると、私にある女の子が声をかけた。
気が強い、リーダー格の女の子だった。

「私の人形とそれ、交換してよ。」

彼女の人形は黄色のドレスを着ていた。
私は黄色にあまり興味がなかった。
というより
両手に包まれた赤いドレスの人形を私は気に入っていた。

 
「え…………嫌だ。」

 
私は多分そう言ったんだと思う。
彼女はそれを言われてもひるまなかった。

 
「ともかちゃん、意地悪だね。先生に言っちゃうよ。」

 
私はビクッとした。
私はその通りだと思ったのだ。

私は意地悪で悪い子で
先生に告げ口されたら怒られてしまう。

先生に怒られてしまう。
先生に嫌われてしまう。

 
私は怖くなって、「交換してもいいよ。」と赤いドレスの人形を渡した。
気の強い女の子は赤いドレスの人形をぶんどると、私に雑に黄色のドレスの人形を渡して
「かわいい~!」とかなんとか言いながら
私の元から去っていった。

私は何も言えずに俯いた。
先生にも親にも言えなかった。

意地悪な私を知られたくなかった。
だけど、モヤモヤした。
あの赤いドレスの人形は私の物だったはずだ。
先生から手渡されたのだから
私の物だったはずだ。

私は意地悪だったの?
私は意地悪だったの?

 
私は自問自答した。
誰かに言えば、すぐ譲らなかった私を責められそうで怖かった。

 
だけど、本当は赤いドレスの人形を渡したくなかった。

 
 
私は複雑な思いで黄色のドレスの人形を見た。
さっきの赤いドレスの人形のように、両手で大切に持ちたいとは思えず
まるで握りつぶすように私は持った。

 
 
両親は私の気持ちに気づかず

「黄色のドレスの人形かわいいね。」

と言った。
そう言われたからなおさら、私は本当のことを言えなかった。

 
「赤いドレスの人形がよかったな。」

 
私はそれだけ言った。
私の精一杯の本音だった。

 
 
 
「でも黄色のドレスもかわいいじゃない。今まで黄色のドレス持ってなかったし、よかったじゃない。」

 
母親からそう言われた時、私は心のシャッターを閉じた。

 
かわいいのか……
かわいい…
かわいく思えない私が悪い……
かわいく思えない私が悪い…………
言えない…言えない………
分かって欲しい…
言えない…
言ったら意地悪って責められちゃう………

 
私が悪い…
私が悪い…………

 
私が悪いから、赤いドレスの人形はもらえない?

 
 
私はじっと黄色のドレスの人形を見た。
あの気の強い女の子が宿っているようで不快だった。
人形に罪はないのだろうけど
人形の顔と女の子の顔が重なり

「意地悪」

「先生に言っちゃうからね」

 
と言われた台詞が蘇った。
 
 
耳を塞ぎたくなった。
運動会のご褒美のはずだった人形は、私に呪いをかけたようだった。
私はその人形を人形入れに無造作に入れた。
私はリカちゃん人形等を30体ぐらい持っていて
大きなケースにまとめてしまっていた。

 
可愛がるなんて私にはできなかった。
もう見たくもなかった。

 
やり場のないモヤモヤを抱えた私は
その人形を見るたびに更に苛々した。
当時はこの感情がなんなのか
どう処理したらいいのかが分からなかった。

 
「人形をいらない。」と言っても咎められそうな気がしたし
人形を捨てることもできなかった。
人形を可愛がらなきゃいけないと思うほど
あの日の記憶が蘇って苦しくなった。

 
せっかくもらったものなのに
手元にあるだけで不快だった。

 
 
ある日私は両親や姉がいない場所で
その人形を思い切り投げつけた。
右手でその人形を持ち
床に何度も叩きつけた。
人形はもちろん、そんなことじゃ壊れない。
人形はずっと微笑んだままだ。

結局は、あの女の子の勝ちだ。
こうして怒りをぶつけずにいられない私が負けだと思った。

 
人形を何度も何度も叩きつけた後
私は息が上がり、涙が出てきた。
あの時のやるせない感情はなんともいえない。

 
 
それから数年後、リカちゃん人形等は幼い親戚に全て譲ることに決まった。
私はあの黄色のドレスの人形を手放せて
心底嬉しかった。
最後までかわいがることはできなかった。

 
あの頃、私は人形や感情の捨て方を知らなかった。
捨ててはいけないのだと思っていた。
もしも今、私があの日の運動会に行けたならば
私は自分に声をかけるのに。

 
「先生から手渡された時点で、赤いドレスの人形はともかちゃんのものだった。」

「周りのみんなは手渡された人形に満足してた。」

「交換してよって言ったのはあの子だけだった。しかも取り巻きを使っていた。三人でともかちゃんに言いよった。卑怯だよね。」

「赤いドレスの人形、かわいかったよね。大好きな先生からもらったものだから、なおさら嬉しかったんだよね。」

「それを横取りされて、悔しかったよね。口で勝てなくて、悔しかったよね。渡したくなかったよね。
その気持ちは普通なんだよ。」

「ともかちゃんは意地悪じゃないよ。先生に言ったらむしろ、あっちの子が我慢しなさいって怒られたと思うよ。」

「先生や両親に、嫌われたくなくて、いっぱい我慢しちゃったね。先生や両親が大好きだから、嫌われたくなかったんだよね。」

「今から、あの子に言ってくる。人形取り替えしてくるから、任せて。」

 
 
………心が成長してから、私は何度も過去の自分に話しかける。
あの時、私があの場にいたら、昔の私にあんな思いをさせなかったのに、と。

 
 
 
 
 
 
社会人になってから、施設で利用者にお菓子や飲み物を配る機会がたくさんあった。

時折、「選択する自由があった方がいい。」と、何種類かのお菓子を混ぜて寄付してくれる人がいたが
私含め、他の職員はため息をついた。
どうせ食べ物を寄付するなら、統一してほしいのが職員の願いだ。
利用者みんながみんな、選択できるわけではないし
選択できない人や気が弱い人は不利になってしまう。

 
お菓子や飲み物は人気が集中した。
特定のものが人気だし
一人一人の希望をとっているとキリがないから
あの運動会の日の先生のように
私はいつもランダムで分けた。

 
お菓子や飲み物が紙袋に包まれていればまだいいが
大抵そんな時に限って
中身が見えるような透明な袋に入れられた。

 
「私、そっちがいい!」

 
気が強い利用者は気が弱い利用者のバッグから無理矢理奪った。
気の弱い子は泣いた。
優しい子は交換してもいいと申し出た。
彼女らはあの日の私と同じ瞳だった。無理をしていた。

「この味、あなただって好きでしょう?誰かが暴れたからって譲る必要はないんだよ。ともかさんに任せて。」

 
あの日の私に言えなかった分、私は利用者に伝え続けた。
全体に伝え続けた。

 
世の中は思い通りにならない。
あくまでプレゼント、だから、好きなものは選べない。
好きなものは自分の給料で買ったり、家族に買ってもらってください。
今黙っている人だって、本当は他のお菓子や飲み物の方がいいと思っている人もいる。
交換はしない。
ランダムに配ったものの変更はしない。

嫌いなら家族にあげなさい。
食べたくなきゃ捨ててもいい。

だけど、周りの利用者から奪うのだけは、絶対に許さない。
お菓子や飲み物がケンカの理由になるなら、全員から今すぐ回収する。

 
 
私は頑として曲げなかった。
利用者が暴れたり叫ぶからといって、言うこと全ては聞いてはいけない。
暴れたり叫べば、世の中が自分の思い通りになると思ってしまう。

 
食べ物の寄付が保護者の場合
やんわりと、次回は統一してほしい旨を伝えた。
利用者が必ずパニックになる、と。
食べ物の寄付が業者の場合
おやつに回したり、事業別に分けたり、職員で分けたりと
毎回工夫をした。
そもそも、お菓子や飲み物の数が足りないこともよくあることだった。

 
賞味期限が近いからと、ランダムな数のお菓子を数種類寄付して
福祉貢献をうたう業者もいた。

 
その善意はありがたいが
種類が違う食べ物は争いの種になり、非常に大変なのだ。
利用者は食べ物に敏感だ。

 
玄関先や事務室でもらったものでもすぐに嗅ぎつける。
侵入して食べ尽くされることもあるし
数が半端だから職員で配ろうとしても
「私達の分は?」と質問攻めになってしまう。
菓子折の中身が何であるかを
利用者はすぐに嗅ぎ分けた。

 
健常者と障がい者で、食べ物寄付の難易度が変わることは
あまり知られていないだろう。

 
 
 
私が言い聞かせた結果、私の事業部の利用者の人達は
どこかに旅行に行った際
事業のみんなにお土産を買う利用者は
お土産を統一にしたり、数にこだわった。

 
お菓子の奪い合いになりそうな時は、奪われそうな利用者がすぐに私の名前を呼んだ。
私はお菓子や飲み物に全て名前を書いて渡していた。

「これは○○さんのです。あなたのではありません。名前がちゃんと書いてあります。」

 
私は根気強く伝えたし
場合によっては保護者にも事情は伝え
その都度調整した。

 
 
 
利用者「ともかさん、ありがとう。」

 
私「堂々としていればいいの。ともかさんがあなたに渡したものなんだから、無理に譲らなくていいんだよ。奪われそうになったら、ともかさんに言うんだよ。ちゃんとお話するからね。」

 
 
そんなやり取りをしながら、私はあの赤いドレスの人形が浮かぶ。
あの日の私を助けられなかった分、私は利用者の力になりたかった。

 
 

 
 
 
 
あれから、私は仕事を辞めた。

だから今、お菓子や飲み物の奪い合いの際
利用者や他の職員がどんな動きかは分からない。

 
おそらくだが、コロナウィルスの影響で
利用者もプライベートで旅行に行かなくなっているだろう。
施設内外出行事も年内は全て中止のようだし
お菓子や飲み物を配る機会も
おそらく激減しているのかもしれない。

 
遠い日のように感じる。

 
 
あの頃、私はよくマッキーペンをポケットに入れて仕事をしていた。

利用者のお菓子や飲み物に名前を書き
利用者が買った物やもらった物の袋にも名前を書いていた。

どれが自分の物か分からなくなってしまう人もいたし
他者の物を物欲に負けて奪おうとした人もいたからだ。

 
 
もう私が諭す必要もなくなったし、私のマッキーペンも必要はない。
他の職員が何らかの対応をしているだろう。

 
 
 
 
 
 
先日、利用者から手紙が届いた。

 
「ともかさん、元気ですか?
私は大丈夫じゃないです。」

 
泣き言を言わない利用者からの手紙に、胸が締めつけられた。
返事を書くことはできても、私はもう今までのようにそばにいることはできない。
直接会うことは許されないのだ。
 
 
 
その1週間後、別の利用者と保護者からも手紙が届いた。便箋6枚の長文である。

「ともかさんの代わりはいない。」

「ともかさんの仕事は一つ一つが心がこもっていた。」

「施設はどんどん悪い方向にいっている。立て直せるのはともかさんしかいない。」

「今ここにともかさんがいたら…
ともかさんならまた違う言葉を言ってくれるのに…いつも、そう思わずにはいられない。」 

「親子の願いです。戻ってきて、もらえませんか?」

 
 
私は手紙を抱えて泣いた。
声を上げて、泣いて泣いて泣きまくった。
 
 
仕事を辞めてからも、毎朝仕事に間に合う時間に起きている。
仕事着も仕事道具も捨てていない。

求人が出ているのも知っている。
私の枠はまだ、決まっていないのだ。

 
 
私は泣きながら床を叩いた。 

大好きなのに、大好きだけど
人事異動の件で辞表を出した私が
半年くらいでもう一度舞い戻るなんて

許されるわけないだろう。

 
 
働きたかった。
働きたかった。
ずっとずっとあのまま、働きたかったのに。

 
 
 
利用者と保護者からの手紙は、別場所に履歴書を送った日に届いた。
よりによって、次の道を見据えた日に届いた。

私の心は確かにグニャリと歪んだ。

 
 
私はこのまま他の道に進んでいいのだろうか。

私は本音を押し殺して生きている。
仕方ないやと黄色のドレスの人形を抱えた5歳の頃と何も変わっていない。

 
本当に私は
このまま退いてもいいのだろうか。

 

 

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