見出し画像

入院3日目:父の決意

入院翌日、病院先からよくない電話があってビビッていたが
入院三日目、昨日と同じ時間に電話が鳴らなかったのでホッとした。

 
朝食や夕飯は昨日の残りもので大丈夫だろう。
私は父のご飯ばかり心配していた。

私は相変わらず食欲はなく、夜寝付きも悪かった。
給食もあまり食べられなかったが
給食で栄養はある程度とれるのがありがたかった。

 
 
入院三日目の日、父は仕事が休みでその日も面会に行った。

「お母さん、どうだった?」

私は仕事から帰ると真っ先に聞いた。

 
すると

・右足だけでなく、左足も動かなくなってきている。
・胸の痛みや血圧は落ち着いてきた。
・食欲は出てきた。

と、父から返ってきた。

 
 
左足まで………。

絶望的だった。
日に日に確実に足は悪化している。
血圧や胸は薬がきいているのだろうが、足は相変わらずなのか……。

 
「お父さん、決めたよ。お母さんが退院したら、仕事辞める。定年退職後は趣味で行っていたようなものだし、お母さんが退院してきたらあちこち一緒に出掛けるんだ。」

 
「敷地内はコンクリートにして、車椅子が通りやすいようにしよう。あと、お母さんの部屋は一階空き部屋にするから、片付けしておいて。」

 
「お父さんの車、今月売るよ。もうすぐ車検だし、ちょうどいいからお母さんの車にこれから乗るよ。」

 
「お母さんは仕事辞めたがってるけど、まだとりあえず退職届は出すなって言っておいたよ。」

 
「しばらくは台所立てないから、ともかに任せるって言っていたよ。」

 
「お母さんがいなくて、お父さんは寂しい。つらい。」

 
母がいた時は会話の中心は母だったけど
母親が入院になり、父との会話はグッと増えた。

だけど会話の内容は寂しいものだった。
入院三日目、二人で夕飯を食べながらこんな会話をして、二人で泣いた。

 
私は父に伝えた。

今の状態なら、確かに介護者が家にいなければキツいから父が仕事を辞めるのは仕方ないと思う。
(父親は午後仕事、私は日勤のため、午後母だけで自宅で過ごすのは厳しい。)

 
コンクリートの件は賛成。退院前にしておいた方がいい。
空き部屋は母親の物がたくさんあり、分別に時間はかかりそう(今は物置状態)。

 
車の件は保留にした方がいい。
まだ入院三日目だから、もうちょっと様子を見るべき。
 
 
仕事はまだ退職届は出すべきではない。

 
台所の件、了解。

 
 
父は母が大好きで、二人で旅行含めお出掛けによく行っていた。
春には北海道に行く予定だったが、もう父はキャンセルしていた。

 
両親が仕事を同時に辞めるとなると収入面が心許ない。
ここ最近、私は仕事を転職するか薄ら考えていたけれど、今辞めるべきではない、と言われたようで胃がキリキリと痛んだ。

 
無駄遣いもやめよう。
家には食べ物や消耗品がたくさん買ってあるし、追加追加で買わないで、まずは母親が管理していた備品をチェックし、それを使おう。

 
そして今までは母親が勿体ない精神から物をたくさん買い、山積みになっていたが
これを機に整理をしよう。

そう思った。

 
やることは山積みだった。

母親が入院したのをきっかけに、また新しい冷蔵庫が届いたのをきっかけに(我が家は三人家族に対して冷蔵庫が二つあり、それが満杯という異常事態である)
私と父は手始めに、冷蔵庫や冷凍庫を毎日チェックし、少しずつ物を捨てていった。

捨てても捨てても捨てても
まだ物は至る所に溢れていた。

 
それでも少しずつ空間ができ、私はホッとした。
空間があるのは心にゆとりができる。

 
 
 
「母、検査頑張るよ。」

お母さんはLINEでそう繰り返した。
私も仕事や家のことを頑張ると伝えた。

 
愚痴や弱音なんて吐けない。
母に心配はかけられない。

今までは、世界で一番母親を信頼し、母に一番本音をさらせたのに。愚痴や弱音を吐いてきたのに。
毎日仕事であったあれこれを話していたのに。

 
きっとお母さんも戦っているのだと思った。
私に心配をかけないよう、検査や治療を頑張る、と。
検査はハードで具合が悪くなり、この前中断したと看護師さんから聞いた。

 
頑張れ、とは言えなかった。

検査をしないと原因は分からないだろうけど
お母さんはもうすでに頑張っていて、いっぱいいっぱいなはずだ。

 
多分父も私も母も
今は共通して辛い気持ちを押し殺して頑張っている。
頑張る、しかお互いに言えない。

 
 
 
明日は足が悪化していませんように。

ご先祖様や神様に祈る夜。

 
そんな母の入院三日目。






 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?