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うちはお金がなくて夕ごはんが出ないから、恥ずかしいけど給食を2、3人分食べます。

私の両親は私が産まれてすぐに別居し、私が0歳6ヶ月のときに離婚しました。
その後、母一人子一人の暮らしが始まります。
小学4年生の頃の話ですが、食卓にご飯と白菜の漬物だけの日が3日ほど続いたことがありました。
お金に困って、味噌も買えないような生活だったのです。でも、食べ盛りの男の子なので「こんなもの食えるか。肉が食いたい」とごねたんですね。
すると、いつも気丈な母親が初めて涙を見せて、
「あなたを殺して私も死のうと思ったことが3回ある」
と言ったんです。
「ここまで頑張ってきたのだから、もう少し我慢してくれないか」と。
このとき、私は食べ物に関して、一切文句は言わないと決めました。
私は小学5年生から新聞配達のアルバイトを始め、中学、高校と常に掛け持ちで仕事をしながら、勉強を続けました。

中学に入学したときには、制服を買うお金がなく、隣の家のお兄さんからお古を貰って入学式に出ました。その制服のズボンは、膝とお尻に穴が開いていたので、ツギハギをして着ました。
今なら古着はちょっとカッコいいくらいに思えるのですが、中学一年生だった私は、まわりがピカピカの新品の制服を着ているのに、自分だけがツギハギの当たった古い制服を着ていることが、たまらなく恥ずかしかったです。
でも、それを親に伝えることは、貧しい私の家庭を思えば、できることではありませんでした。

ずっと暮らしは苦しくて、いつも時間がなくて、それでも勉強したり本を読んだりすることは好きだったので、図書館や学校の図書室は、私にとって大切な居場所でした。
高校二年の夏休みは、アルバイトを二つ掛け持ちしながら、クラスの友達の読書感想文の宿題を一人につき2千円で引き受けて、お金を稼ぎました。
「杉山が読書感想文の宿題を二千円でやってくれる」という噂は瞬く間に広がり、クラスを超えて、二十人近い生徒からオーダーを受けました。
でも、悪いことはできません。
二学期早々に私は現国の教師から職員室に呼ばれました。
机の上には、私が引き受けて書いた読書感想文の宿題が、ズラリと並んでいました。
「これは誰に頼んだんだ?」
教師から追及されました。
「私が書きました」
「全部か?」
「はい。全部、私が書きました」
「誰か大人に頼んだんじゃないのか?」
「いえ、好きな本ももらえたし、感想文を書くのは好きだったので・・・・・・」
「おまえ、すごいな」
どうやら教師は、私が感想文を大人に依頼したと思ったようです。
そして、ひとこと、「おもしろかったぞ」と。
クラスメイトからお金を取って宿題を代行したなんて、今だったら大問題になっていたかもしれません。もしかしたら、退学か停学の処分になることも。
でも、そのときの私は、お咎めなしとなりました。もちろん、私に宿題の代行を頼んだクラスメイトたちは、全員がかなり怒られて、再提出を言い渡されました。
私はといえば、二学期の現国の成績は、10段階評価で10がついていました。
おおらかな良い時代でした。
私はその稼いだお金で、なんとか修学旅行に行くことができました。
今から思えば、あれが私が「文章でお金を稼いだ」最初の仕事だった思います。

大学に行く時間もお金もなかった私ですが、それでも社会人として頑張ったことを会社も仲間も認めてくれましたし、小説家として自分の夢に向かって歩き出してもいます。
ありがたいことに、今は経済的には恵まれた暮らしができています。
それは、これまでにたくさんの人たちが、私を支えてくれたお陰です。
だから、私ができる範囲で、私ができる支援を、社会に返していきたいと思っています。
けっして大きな金額ではありませんが、認定NPO法人グッドネーバーズ・ジャパンを通じて、ひとり親家庭に食事を届ける事業に、毎月定額(6世帯分)で寄付を続けています。

ご紹介するYouTube動画を観てください。私はこれを観て、涙が止まりませんでした。
「うちはお金がなくて夕ごはんが出ないから、恥ずかしいけど給食を2、3人分食べます」
女子中学生が悲しい目で訴えます。
そこには過去の私がいました。
貧困は、子供たちの人生を狂わせたり、狭めたりします。
ひとりでも多くの子供たちが、夢にチャレンジするお手伝いをしていきたいです。

認定NPO法人グッドネーバーズ・ジャパン


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