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私の恩師のイチ先生。

ご挨拶

皆様、こんばんは。
DaiKINGです。

自分で始めた事を三日坊主でやめるんじゃない!!
という非常に的確で我が身に染み入るお声、謹んでお受け致しまして、一つ前の記事との関連性とその帰趨には目を瞑っていただいた所で本日の話題です。

本日は某仲良くさせていただいている私のフォロワー様からきっかけをいただきましたので、高校時代にお世話になった私の尊敬する、とある英語教師とのお話をつらつらと書き記していきたいと思います。

DaiKINGの人となりはどのようにして形成されていったのか。
そのような点につきましても少し関連するお話でございますので、長くなってしまいますが、貴重なお時間を合間合間でいただきつつ、お付き合いいただけますと幸いです。


まえせつ

私DaiKINGは義務教育を経て高校受験に挑むにあたり、少し背伸びを致しまして、いわゆる進学校と言われる高校に進学致しました。
某世界遺産とも関連があり、歴史ある、自他共に認める進学校ですので、授業につきましても、朝に課外、夕に課外、夜にも課題と、常に勉強と隣り合わせの日々を送っておりました。
この高校の一年生時の担任の先生が私の恩師、英語教師のイチ先生(仮名)であります。

今日はそんなイチ先生との長い長いお話でございます。
どうぞもし宜しければお付き合いくださいませ。


出会い

高校一年生の私DaiKINGの担任のイチ先生。
40代の女性の先生でしたが、いつも髪を綺麗に整えていて、香水なんかも付けていて、ジャージで授業する先生もいるような中、毎日必ずビシッとキマったパンツスタイルのスーツ姿で授業をされる、キャリアウーマンのような先生でした。

彼女は明け透けな振る舞いながらも非常に面倒見が良く、常に笑顔で、男女問わずあらゆる生徒から人気があり、生徒を愛し、何より英語を愛している先生でした。

高校生にもなると、先生の授業科目への「愛」が分かるようになるんですよね。
イチ先生はとにかく英語を愛してるように感じました。多分、絶対海外旅行好き。(偏見)

英語って結局は言語なんですよね。
コミュニケーションツール。
受験科目にはなっているけど大学受験用の学力ものさしではない。

私は世の中には2種類の英語教師がいると思っています。
英語を大学受験のための科目と割り切って捉えている先生と、自分が愛する英語の良さを知って大学合格に繋げてほしい先生。

イチ先生は明らかに後者でした。

下世話な話ですが、複数名いる英語教師の中で一番知識が豊富なように思いましたし、ALTの外国人の先生と流暢に楽しそうに会話をする英語教師は彼女だけでした。最新の英語のトレンドなんかも把握してらして、「生きた」英語を扱っておられました。
細かな話をすると、英語の発音記号や筆記体、スラング等の大学入試にあまり関係のない話でも、聞けば必ず教えてくれました。

もちろん他の先生方も私のような若輩者には計り知れない英語に対する深い知識を持っておられたと思うし、生徒達の大学受験合格に対して全力で取り組んておられました。

ですが私はそんな彼女の姿を見て、こんな風に英語を愛して、外国の方と英語が話せるってカッコいいと思った記憶があります。


進級

それから紆余曲折ありまして私は、英語の〇〇と言われる東京の某有名私立文系大学を志すようになります。
その間、私は高校2年3年と歳を重ねていくのですが、イチ先生は担任を外れてもいつも授業で会うたびに私を気にかけていてくれました。

お話ししたとおり、ウチは進学校でしたので、高校三年生にもなると何か新たな知識をインプットさせるタイプの授業はあらかた終わっていて、各科目の授業の時間になると希望進路ごとに

①旧帝大志望組
②中堅国公立志望組
③地元私大・短大・就職組

に分かれて難易度ごとにセンター試験の過去問を解いたり、難易度の近い大学の入試の過去問を解いたりする日々を過ごす仕組みとなっておりました。

田舎の進学校ですので、校内には国公立至上主義のような価値観があり、旧帝大こそ至上といった価値観が教師・生徒・保護者の中で支配的でした。
つまり、東京の私立文系を目指すDaiKINGなんて、学力的には悪くなくても、校風には合わないといった感じで、メインストリームにいる他教科の先生達(旧帝大を目指す生徒を中心に教える一軍先生達)からは目も向けてもらえない状況でした。

実際に、東京の私立文系大学を、指定校ではなく一般で目指す生徒は、8クラス300人以上いる生徒の中で、私を含め片手で収まるかどうかくらいの人数程しかいませんでした。


渾身の一撃

そんな私がイチ先生の行動に涙したのは
英語の授業におけるこの①②③のコース分けをする日の事でした。

このクラス分けは意外にも教師陣が成績等で決めるのではなく、生徒が自身の志望校の状況を鑑みて、自ら選択する方式でした。
私は前述の通り、なんとなくこの高校は私のような私立文系志望のはぐれ者をメインには据えないだろう、高校自慢の最高の授業を享受させるつもりは無いだろうと思っていましたし、文字通り私大には変わり無いので一番難易度の低い③のコースを選択し、その日、③コースの教室へ足を運びました。

③コースの教室へ着くと、担当の英語教師からコースの簡単な説明があって、それから早速皆で一斉に時間を測って地元私大の過去問を解くことになりました。
地元のそこそこのレベルの私大の入試問題ですので、簡単だな〜と思いながらも、黙々と問題を解く周りの生徒の横で、私も粛々と問題をこなしておりました。


そんな時です。


突然教室のドアが大きな音を立ててガラガラッと開き、皆が一斉に視線を上げるとそこにはイチ先生の姿がありました。
イチ先生は教室の中を見回すと私を見つけ、一直線に私の方へ歩いてきました。
教室中の生徒のみならず、担当の英語教師も何事だと注目を一身に集める中、イチ先生は少し怒ったような顔をして私にこう言うのです。


「あんたこんなところで何やってるの。
ここにいたってしょうがないでしょ。
今すぐ荷物まとめて私の教室に来なさい!」と。


イチ先生は指導力も実績も抜群でしたので、①旧帝大志望組の英語教師を担当しておりました。
本来であれば、イチ先生は①コースの教室で授業を開始しているはずです。
ですが、イチ先生は私の学力と志望校をずっと気にかけて覚えていてくれたのです。
今から旧帝大組に英語を教えなければいけない、その最初の顔合わせの中、それを放り出して遠くの教室まで、私を探しに、わざわざ駆けつけてくれたのです。


イチ先生は私を連れて①コースの教室に向かう道中、こう言いました。

確かに貴方の志望校はウチの校風には合わないかも知れないけど、
でも貴方の夢は、貴方の第一志望は、あの教室には無いでしょうと。
貴方自身の夢のために、私の教室でウチの高校で一番の私の英語の授業を受けなさいと。

そう言ってくれました。


事後

異例の対応だったので
最初は③コースの人も①コースの人も
何でいなくなったの?(来たの?)
といった顔をしておりました。
恥ずかしさと気まずさMAXです。

でも私は、イチ先生の私に対する信頼や期待や、これまでの思いや出来事に感動して、嬉しくてたまりませんでした。
イチ先生の期待に応えなければ、絶対に応えたいという思いで私はそれからイチ先生の英語の教室でヒーヒー言いながら難問を解き続け、冬を越え、春を迎えました。

合格。
私は、無事に第一志望の某有名私立文系大学法学部に現役合格することができたのです。

実は受験にあたり、
①センター試験利用型
②国英社(日本史選択)3科目同点型
③英語偏重、国社3科目型
での併願受験をしたのですが、合格は③でした。

今のDaiKINGがあるのは、本当にイチ先生のおかげであったことは間違いありません。


終わりに

これが私の高校時代にお世話になった尊敬する英語教師のイチ先生との3年間の思い出です。

正直なところを申しますと、イチ先生のセリフには若干の芝居がかった脚色があったかもしれません。
部活動に打ち込むあまり、私の英語の成績がだいぶ落ち込んだ事も、もしかしたらあったかもしれません。
いやすみません。嘘です。
盛りました。ボカしました。
それは確実にありました。ごめんなさい。

ですが。
イチ先生の思いと私の思いに
一切の脚色や嘘偽りはありません。


高校時代に、私を認めてくれる大人がいた。
私を信頼してくれる大人がいた。
だからこそ、その信頼に応えたかった。
私の夢への原動力です。

おしまい。


追記

ちなみに、英語が好き、得意になったのはイチ先生の他に
大好きな洋楽(Avril Lavigneは私の永遠のロックスター)と
私より英語のできる親友に依る部分も大きいのですが、それは趣旨から逸れる為、割愛させていただきました。

私の親友がらみの小噺をひとつ。
模試か何かで私が1問ミスの197点を取って、親友に
どうだ!と見せつけたら
彼は満点200点を取っていて、あぁ私はコイツには一生勝てないなと思ったことがありました。
大人になっても未だに連絡を取り合い、タイミングが合えば遊びに行く唯一無二の尊敬する親友です。
そんな我々二人を見てクラスの友人の中には、私を英語の王様、彼を英語の神様と呼称する者もいました。
2人ともクラスの中でずば抜けて英語ができましたが、一度たりとも彼には勝てず。
私は結局は神には抗えず人間、キング止まりという事なのですが、
こんなDaiKING(ダイキング)を
皆様どうかこれからもよろしくお願い致します。

それでは、また。

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