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遥か昔の今頃, イングリッド・バーグマンと ABBA の国, スウェーデンにいた

ってなわけで, 今日はABBA でも聴くか。ABBA でも, とはやや「失礼」な言い方かもしれないけれど、ABBA の音楽は嫌いじゃないし懐かしいけれど、自分自身はファンだったわけでもないので、ABBA「でも」辺りが正直な感覚。

遥か昔の昨日, スウェーデン・ストックホルムに辿り着くまで

「遥か昔」というのは 1983年5月12日の夕刻6時過ぎにフィンランド・ヘルシンキをフェリーで発ち,

1泊2日の船旅でスウェーデン・ストックホルムに向かったんだけど、ヨーロッパに入る,

その前は, ソ連を旅していた。1983年4月26日に横浜港にて日本を発ち, 2泊3日の船旅で当時のソ連のナホトカへ, ナホトカには4月28日に着いて 1泊, 翌4月29日には列車でハバロフスクに行って 1泊, そして 4月30日からはシベリア鉄道の長旅でまずは 3泊4日の列車旅, 5月3日にイルクーツクに着いて 1泊, 翌5月4日から再びシベリア鉄道で 4泊5日の列車旅, 5月8日にモスクワに着き, モスクワには 2泊3日。

(モスクワの話は以下, そしてモスクワに着くまでの話はこれの第4章に各リンク)

スウェーデンって, もっと昔の子どもの頃はあんなイメージ, こんな世界だったなぁ!

最初に申し上げておきますと, 20世紀の名女優, スウェーデン出身のこの世のお方とは思えないくらいな(笑)、つまり信じがたいほどの(笑)、何処から見ようがいつの時代から見ようが誰が見ようが超絶美人の女優イングリッド・バーグマンは、 1982年8月29日に亡くなっています。

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1915年8月29日にスウェーデンストックホルムで生まれ(父親はスウェーデン人、母親はドイツ人)、母国スウェーデンで早くから名の知られた女優となっていたバーグマンがハリウッド女優になったのは24歳頃。亡くなったのはイギリス, ロンドンにて。上に書いたように 1982年8月29日なので、偶然にも生まれた日と同じ日に亡くなっている。

自分はまだ小学4年生だった頃, 3歳年上の兄貴がかなり映画にハマり, 家に雑誌「スクリーン」があったりして、ガキながら映画の世界をけっこう知るようになっていた。だから「カサブランカ」や「誰が為に鐘は鳴る」の超絶美人女優イングリッド・バーグマンがスウェーデン人ってことはその頃から知っていたというわけで。ってか, イングリッド・バーグマンのお陰でスウェーデンという国の存在を知ったのかな(笑)。

筆者が小学生から中学生の頃のスウェーデンのイメージと言えば、イングリッド・バーグマンが生まれ育った国なんだ, 美人だらけに違いない, なんでも背が高い人が多いそうだ, 巨人の国かよ, それにすっげ理想的な福祉社会が実現しているらしい, それとさぁ, スウェーデンとか北欧の国ってフリーセックスの国って言うけど, 本当かよ?

まぁね, とりあえず小学生でしたからね。意味について深く考えないまま妄想だけ膨らませたりするわけで。

小4 にして手塚治虫の「やけっぱちのマリア」(1970年4月〜11月, 週刊少年チャンピオン, 毎号買うような金なんて持ってなかったから大抵は床屋とかで読んでいたんだと思う)のお陰で既に,「子どもの作り方」なるものについても, むっちゃくちゃ具体的に分かっていたし、

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中学生になったら「七人の侍」ならぬ「荒野の七人」ならぬ, とにかく静岡県のとある田舎町の町立中学校の「ご学友」七人ぐらいでそのうちの一人の家の裏のお蔵の2階に集まって, その家の親父さんやもう一人の仲間の親父さんなど所有の8ミリ映写機と英語で言うところのそれを日本語に逐語訳してしまうと「青色映画」上映会を開いて楽しんで(日本語に逐語訳すると「看護婦の義務」などというタイトルの洋モノなど記憶に鮮明だけど, もちろんいわゆるひとつのノーカットだから, 見つかっていたら確実に停学処分, 補導間違いなし, 笑)、ところで日本語ではピンク映画という言い方もあるけど、英語では Blue にあっちの意味がありますね, しかし一方で Pink にもちょっとした意味はあって ..

これは綴りは Pynk だけど, PYNK 〜  Janelle Monáe ♫

(ジャネール・モネイ はスウェーデンではなくアメリカ合州国出身です!)

話, 脱線したけれど, 

まぁとにかく, 小学生, 中学生の頃って, そんなふうにちょっと奇妙なところがあって ... そう, 奇妙, Strange!! 

Strangelove 〜 Depeche Mode (全く問題ないけれど単に YouTube 上の「年齢制限」がかかってしまっている, デペッシュ・モードの「ストレンジラヴ」の Kaiser Trance Mode Remix720p, でも デペッシュ・モード, つまり Depeche Mode ってイギリスのバンドであって, スウェーデンとは何の関係もないのであった!) 

また脱線した ♫

とにかく, そんなわけで, 膨らむ妄想であらぬことを考えたりして、ガキの頃の拙者は, スウェーデンという国に対して誤解を含む色んな複合的イメージを抱いていたのであった, 何しろ,

イングリッド・バーグマン,
美人だらけ,
でも巨人だらけ,
すっげ理想的な高福祉社会,
フリーセックス ..

どういう国だよ?

写真を何枚か

筆者がスウェーデンを訪れたのは 22歳の時だから、そんなガキの頃(前章を参照してくだされ)の話ではないです。

でも確かに巨人の国だったかも。そして実際, 街を歩けば「モデル並みの」美人がぞろぞろと(「モデル並みの」って言い方あるけど、で、いま使ってみたけれど、でも正直, 「モデル」の顔っていわゆる美人顔とは違う場合が多い気がする, 個性的な顔が多いからね, まぁ美人も少なくないけれど, で、スウェーデンに話を戻すと、全体的に大造りだから何となくゴージャスで皆さん美人に見えて, でもよくよく見ないと本当のところは分からんのですよね, それに何処の国だって美人はいるし, まぁでもスウェーデンには世紀の美人女優かつ名女優イングリッド・バーグマンのお陰もあってか美人の国というイメージが出来上がっていたので, 余計にそう見えただけなのかもね, しかし言えるのは, みんな背が高くて高くて, 横に並んだら情けなくなりそうですね, この括弧長過ぎだな!)。

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さっさと次の写真にいこう。

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ストックホルム は「メーラレン湖がバルト海に達する場所に位置し、市の中心部はストックホルム諸島 (Stockholm archipelago) を構成する島々の内、14の小島を含む。市の地勢上の中心はリッダー湾に沿っている。市の面積の30%は運河が占め、公園や緑地帯も30%を占めている」のであります。

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綺麗な女性だけでなく、綺麗な公園もたくさん!

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でっかいサイズのチェスを楽しむ人と, それを見て楽しむ人と。

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老いも若きも公園に来て, 喋り, チェスをし, ピンポンをやる。平和な平和な日曜日, 1983年5月15日のスウェーデン・ストックホルムにて。

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ABBA, 聴いてみましょう ♫

ABBA は 1972年にストックホルムで結成されたスウェーデンのポップ・グループ。1970年代から80年代にかけて一世を風靡し, 世界的な人気を博した。全盛期の活動期間は 1972年から 1982年だから, 筆者がスウェーデン・ストックホルムを訪れた時はまだ, その余韻が世界中に残っていた頃だったかな, と思う。

Dancing Queen ♫

Gimme! Gimme! Gimme! ♫

Chiquitita

そういえば, スウェーデン・アカデミー, そのノーベル文学賞選考委員会の役員たちに抗議のメールを送ったことがある 〜 「ボブ・ディラン」への授賞を再考しろと

スウェーデン・アカデミーはノーベル文学賞の選考委員会を兼ねることでも知られ、選考結果の発表には国内のみならず、海外からも多くのメディアが集まる。

The Swedish Academy (Swedish: Svenska Akademien), founded in 1786 by King Gustav III, is one of the Royal Academies of Sweden. Its 18 members, who are elected for life, comprise the highest Swedish language authority. Outside Scandinavia, it is best known as the body that chooses the laureates for the annual Nobel Prize in Literature, awarded in memory of the donor Alfred Nobel.

それは 2016年秋のこと。

当時 スウェーデン・アカデミーの Permanent Secretary だった Sara Danius を含む役員2名 に対し, 公になっていた彼らそれぞれ個人の, スウェーデン・アカデミーにおける公的メールアドレスに対して 2度にわたり抗議の英文メールを送り、「ボブ・ディランへのノーベル文学賞授与を再考し, 決定を撤回せよ」と訴えた。結果? 無視され, 返信は一切, 来なかった。

落ちた偶像「ボブ・ディラン」!

1) ボブ・ディランの不都合な真実 ー 1982年イスラエルのレバノン侵略とパレスチナ難民虐殺事件の直後に書かれたイスラエル支持ソング

2) ボブ・ディランの不都合な真実(2)ー または 私が 37年余り購読し続けた「朝日新聞」の購読を止めた理由

3) ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと、サブラ・シャティーラ、パレスチナ難民虐殺事件 38周年(去年, 2020年9月!)

番外編: All Along the Watchtower ー OF COURSE, by Jimi Hendrix (歌詞和訳)


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