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いまを生きる Carpe Diem ー Dead Poets Society

3日前、7月21日は、1951年同日生まれのロビン・ウィリアムズ (Robin Williams) の誕生日でした。2014年8月11日に亡くなった彼は、いま生きていたら、69歳になっていたことになります。

彼の誕生日(や亡くなった日)を記憶していたわけではないのですが、Facebook 等でそれについての投稿をいくつか見かけたため、あ、そうだったかと思い、これまでに私が観た映画の中で最も感動した映画の一つである、彼の主演作の "Dead Poets Society" (邦題「いまを生きる」) を改めて思い出しました。あのような内容の映画の主役を務めた彼が自身の人生の最期に自死を選んだことは極めて皮肉な、かつ当然ながら悲しい出来事で、そのニュースに触れた時のショックは今も憶えています。


いまを生きる ー Dead Poets Society

以下は15年ほど前に、自分のホームページ上に掲載した、映画評というより、感想を書いた雑文です。いわゆるネタバレで、ストーリーについても書いていますが、当時の文章のまま、文末の「ですます」調をある程度揃える、改行を増やす、脱字一箇所の修正等の細かいレベル以外は編集せず、そのまま転載します。

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DEAD POETS SOCIETY (1989年 アメリカ映画) (2005年2月20日、記)

監督 : Peter Weir
主演 : Robin Williams
主題 : Carpe Diem

劇場公開後、ビデオ・レンタル用がリリースされ、その頃に観たと思う。当時の横浜の自宅アパートにて、妻と。心動かされました。その後、この物語の主題 "Seize the Day" は、大した英語もできぬ僕の頭の中で、ずっと英語のままインプットされていました。今日をつかめ。その日をつかめ。今をつかめ。いまを生きる。この映画の邦題は『いまを生きる』です。

その後、ひょんなことから(2005年2月13日の出来事)、この映画をまた観たくなりました。

2005年2月19日に DVD でレンタルしてきて、夜、自宅で改めて妻と観ました。僕も妻も泣けました。

2005年2月13日、上のリンク先の日記(次の章で転載します)にある通り、僕は「時ある間に花を摘め」と読める17世紀のイギリスの詩人ロバート・ヘリックの詩に辿り着き、そこから紀元前ローマの詩人ホラチウス (ホラティウス) の詩集『頌歌』へ向かったのです。

ラテン語の Carpe diem ・・・ 「その日を摘め」、「一日の花を摘め」。 carpe は動詞 carpoの命令形で、通常は花とか果実とかを「摘み取る」の意。 Carpe diem ・・・ Seize the day !

そうして僕は、日記に書いた通り、ロビン・ウィリアムズ主演の映画『いまを生きる』でこの言葉が叫ばれていたように想い出し、また観たくなったのでした。

時は1959年、舞台となるのはアメリカの全寮制の名門高校。この学校にはたしか 4つの柱とか呼ばれる校訓みたいなものがあって、それは Tradition, Honor, Discipline, Excellence, つまりは伝統、名誉、規律、美徳。

この極めて厳格な教育方針を持つ名門校に、この学校の卒業生でもある教師キーティング (ロビン・ウィリアムズ) が赴任してきて、その学校においてはとりわけ型破りと言えるような授業を始める。彼は、担当する英語の授業でいきなり生徒達を教室の外に連れ出す。そして、立ったまま、教科書の中の詩を生徒に読ませる。生徒が読む。この映画を改めて観た僕はびっくりした。

その時に生徒が読む詩は、詩人の名こそ出ないが、僕がこの映画を再び観るきっかけとなったロバート・ヘリックの詩そのものだった。

生徒は言う。"To the virgins, to make much of time" ?
キーティング先生は肯く。生徒達が笑う。
指名された生徒は詩を読み始める。

"Gather ye rose-buds while ye may"
"Old time is still a-flying", "And this same flower that smiles to-day, To-morrow will be dying"

そう、あの詩そのものだった。
キーティング先生は続けて生徒に訴えかける。

"Carpe diem" と。そして、"Seize the day" と。

僕が記憶していたのは後者の英語だけだったが、やはりホラチウス (ホラティウス) の名こそ出ないものの、この映画でもラテン語の "Carpe diem" は重要なキーワードになっていたのだった。

「型破り」と上に書いたが、ある人達にはそれは「自由奔放」と表現されるようなものだろう。とりわけ、こういう厳格な学校、そして厳格なるエリート教育を望む親達にはそう見える。

しかし、キーティング先生が教えたいのは、自分の頭で考えるということ。自分でものを考えるということ。言ってみれば、眼の前にある「型」だけが方法だと決めつけないこと。だから、それはひたすら「型を守りたい」人達からはイコール「型破り」と映ってしまう。「型を守りたい」人達は、彼らにとって「型破り」に映る人間を排除しようとする。

キーティング先生は、詩の授業で、教科書にある「プリチャード博士」(実在の学者なのか僕は知らない)の『詩の概論』を生徒に紹介する。
『概論』はこうだ。

・・・詩の完成度をグラフの横軸に置き、主題の重要性を縦軸に置く。その縦横をかけた面積がその詩の評価である。・・・この方法により、詩を楽しむことができ、詩を理解することにつながる・・・

一通り教科書に沿って説明した後、キーティング先生は、「こんな概論なんてくそ食らえだ!」と言って、「この概論の扉の頁は破いてしまおう。次も破いてしまおう。・・・この概論はまるごと全部破り捨ててしまおう」。そう生徒に促す。

ある時は、教壇の上に上がり、そこで屹立し、「時にはいつもと違う視点から物事を観ることが大事だ」と訴える。そして、生徒達を促し、同じように教壇の上に上がって、いつもと違う教室の風景を体験させる。

生徒たちは殻から抜け出し、自由の息吹を感じられるようになる。自分の感情を表現することが苦手だった生徒も、キーティング先生の言葉や詩作の授業に触発されて、表現することの楽しさを体験するようになる。また、ある者は恋に情熱を燃やす。冷めた諦観を徐々に手放し、「いまを生きる」ことを学んでいく。表情に、全身に、生気が漲っていく。

しかし、やがて悲劇が訪れる。生徒達は、キーティングがこの学校の学生だった時代に "DEAD POETS SOCIETY" という学生同士の試作活動を主宰していたことを学校に残されていた記録で知り、それを復活させる。その中心になった生徒は、父親の厳しい指導を受け(「お前に期待しているんだ」「お前のために犠牲を払っている」というのが父親の口癖だった)、将来は医師になる途しか許されていなかったが、自分でみつけた演劇の活動を続けることを望む。彼はうまく切り抜けようとしたが、結局、父親と衝突する。いや、衝突はできなかった。キーティング先生に相談し、正面から父親を説得することを勧められるが、彼はそれをせず舞台に出た。主役の舞台は大成功だった。だが・・・。

・・・劇場にやってきた父親は、息子を連れ出して家に向かう。彼は、父親から陸軍士官学校行きを命じられ、その後に医師になることを改めて約束させられた。そして役者「以外に」何かやりたいことはないのかと父親に問われ、何も応えなかった彼は、最後に自殺を選んでしまった。

キーティングは、一人、教室で嗚咽する。

キーティング先生は最終的に全ての責任を背負わされて学校を追われることになる。

ラスト・シーンは印象的だ。
新任が来るまでの間に代わりを務めるとして教室にやって来た校長は、例の「プリチャード博士」の『詩の概論』の授業を行なう。ところが生徒達の教科書にはその頁がない。

学校を出て行くキーティング先生が教室に荷物を取りに来て、ついに教室を後にしようとするとき、生徒達が一人、また一人と机の上に立ち上がり、「キャプテン」と叫んで見送った。「キャプテン」は、先生が最初の授業の時に、ある詩(誰のどんな詩だったか僕は忘れた)から「キャプテン(船長)」という代名詞を紹介し、自分を呼ぶ時は名前でも「キャプテン」でもよいと言っていた、その「キャプテン」だった。

この映画の主題は、"Carpe Diem" だ。
"Seize the Day!"
いまを生きる。
・・・惜しみなく時を使いなさい、時を無駄にするな、いまを生きよ。

時は過ぎ去るもの。されど、若き日々は過ぎ去るから「時のある間に花を摘め」(ヘリックの詩ではバラ)とは言っても、中年になっても、あるいは老いた日々でも、とにかく現在進行形の「時」というものは眼の前から過ぎ去っていく、そういう意味では常にそうなんだ、「時のある間に花を摘め」。今が過ぎても、過ぎた「今」は既に過去、眼の前に今の「今」がある、それをつかむことさ。

物語を彩る、学校周囲の自然の色が美しかった。この映像美がまさしく物語に色を添えていたと思う。

"Carpe Diem"  "Seize the Day!"
今日のバラを摘みとれ。
その日を摘め。 その日をつかめ。 いまを生きよ。 

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ホームページ上では以下のリンク先ですが、いつも書いている通り、19年前の夏に本を買って html を独学し原始的なホームページを立ち上げて以来、その仕様を変えていません。とりわけスマホでは、OS のヴァージョン次第で文字化けすると思います。

いまを生きよ ー Carpe Diem, Seize the Day

上の文章で取り上げていたシーンです。

15年ほど前に久しぶりに観た時の切っ掛け

上に転載した文章の中で言及している、私のホームページ上に掲載した 2005年2月13日付の日記です。

2005年 2月13日(日)   Seize the day !

今日、縁あって(笑)、17世紀のイギリスの詩人、ロバート・ヘリックを知った。"To the virgins, to make much of time" って詩のタイトルかな? 

"Gather ye rose-buds while ye may" で始まり、"Old time is still a-flying, And this same flower that smiles to-day, To-morrow will be dying" と続く。詩の後半には、"Times will succeed the former" という表現も出てくる。・・・ふむふむ。惜しみなく時を使いなさい、時を無駄にするな、とな。

所変わって時代も変わり、日本の大正時代の流行歌『ゴンドラの唄』(作詞:吉井勇、作曲:中山晋平)は、このヘリックの詩にインスピレーションを得たという説があるみたいだ。ちゃんと確かめてないよ、諸説あるかもしれない。でも分かる気はするね。

ヘリックのことが書いてあるサイトにも似たようなことが記されてあったけど、確かに時は過ぎ去るもの、されど、若き日々は過ぎ去るから「時のある間に花を摘め」(ヘリックの詩ではバラ)とは言っても、中年になっても、あるいは老いた日々でも、とにかく現在進行形の「時」というものは過ぎ去っていく、そういう意味では常にそうなんだ、「時のある間に花を摘め」ってことさ。今が過ぎても、過ぎた「今」は既に過去、眼の前に今の「今」がある、それをつかむことさ。

ヘリックの詩は、昔々を辿っていくと、またまた所変わり、時代も変わり、紀元前ローマの詩人ホラチウスの詩集『頌歌』へ繋がっていくそうで。これも今日、とあるサイトで勉強しました。ホラチウスの詩に出てきます、「今日のバラを摘みとれ」。

『頌歌』の思想は、Carpe diem ・・・ 「その日を摘め」、「一日の花を摘め」。ラテン語で「カルペ・ディエム」。carpe は動詞 carpoの命令形で、通常は花とか果実とかを「摘み取る」の意なんだと。

Carpe diem ・・・Seize the day !
ロビン・ウィリアムス主演の映画でこの言葉が叫ばれていたように思うんだけど。たぶん、この記憶に間違いないはず。

Seize the day ! 身体はキテても(ホームページ上の日記では、この部分に Paul Simon の "Run That Body Down" というタイトルの歌の歌詞を私が日本語訳したページへのリンクを貼っていました)、「お体を大切に」しつつ、そして、
Seize the day !
・・・なのだ。つかみましょう。摘みましょう。

Seize the day ! なのであります。

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ホームページ上では以下のリンク先ですが、上にも書いた通り、19年前の夏に原始的なホームページを立ち上げて以来、仕様を変えておらず、とりわけスマホでは、OS のヴァージョン次第で文字化けする可能性があります。

"Run That Body Down" by Paul Simon ー 拙訳

上に転載した15年前の日記の最後の方で Paul Simon の歌の歌詞(拙訳)に言及していますが、それはこの歌です。

この歌の歌詞にリンクを貼ったのは、当時、日記の内容と特別に関連づけた訳ではなく、単にあの頃の数年間の自分の気分を表わす歌の一つだったからなのですが。

"Run That Body Down" というタイトルで、Paul Simon の Simon & Garfunkel 解散後のソロ・アルバム 1作目、彼が 1972年1月24日にリリースした彼の名を冠したアルバム "Paul Simon" に収録され、日本盤のレコードでの邦題は「お体を大切に」となっていた歌ですが、私自身は歌詞を翻訳するに当たって、タイトルを「ヘトヘトになって」としていました(より英語のタイトルの原意に近いです)。

Run That Body Down (へとへとになって)

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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昨日医者に行ってみたら
女医が言うには大丈夫そうだって
彼女はこう言ったよ
「ポール、よく考えてみて
 これからどのくらい体を
 こき使えると思ってるの?」
「これまでやってきたことを
 あとどのくらい繰り返せると思うの?」
「誰を騙してるつもりなの?」

僕は家に帰ってきて床に着いたんだ
頭を休ませていたのさ
妻が入ってきてこう言ったよ
「どうしたの、どこか具合が悪いの?」
それで僕はどこが悪いか話してこう言ったのさ
「ペグ、よく考えてごらん
 これからどのくらい体を
 こき使えると思ってるの?」
「これまでやってきたことを
 あとどのくらい繰り返せると思うんだい?」
「誰かを騙してるつもりなのかい?」

若い人もよく考えた方がいいよ
これからどのくらい体を
こき使えると思うかってさ
これまでやってきたことを
あとどのくらい繰り返せると思ってるのかな?
それとも誰かを騙してるつもりかい?

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上に掲載した拙訳はホームページ上では以下のリンク先にありますが、これもスマホなどでは、OS のヴァージョン次第で文字化けする可能性があります。

今日の note 上の投稿タイトルからいよいよ離れていくのでリンクだけにしますが(しかも上記の通りで OS 次第で文字化けしますが)、この歌が収録されたアルバムについて書いた 2002年3月23日付の拙文、そして歌の歌詞を訳した日(2003年 6月22日)の日記へのリンクです。

Carpe Diem (Quintus Horatius Flaccus) ー To the virgins, to make much of time (Robert Herrick)

映画「いまを生きる」"Dead Poets Society" に登場するラテン語の格言 "Carpe Diem" は、もともと紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウス (Quintus Horatius Flaccus) の詩集の中に出てくる言葉ですが(Carpe は「(花などを) 摘む」を意味する carpo の命令形, Diem は英語で言えば Day, 日を意味するラテン語 dies の目的格ということで、英語では Seize the Day, 日本語では「一日の花を摘め」あるいは「一日を摘め」などと訳される場合が多いようです)、映画では、その "Carpe Diem" と共に、この金言に強い影響を受けたものとされる、あるいはこれをテーマとして読み込んだものとされる、17世紀のイギリスの詩人ロバート・ヘリック (Robert Herrick) による "To the virgins, to make much of time" というタイトルの詩も紹介されます。

本投稿の最初の 3つの章のそれぞれで言及していますが、2番目の章のところでリンクを貼った YouTube 上のクリップの中でも、ロビン・ウィリアムズ演じるキーティング先生に促されて、生徒がその詩を読んでいます。

以下に、その詩 "To the virgins, to make much of time" の全文を掲載したいと思います。併せて載せる絵は、"Gather Ye Rosebuds While Ye May" というタイトルの油絵です。

19世紀半ばから20世紀初頭まで生きたイギリスの画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス (John William Waterhouse) がこの詩にインスパイアされて、詩の最初のラインを引用した "Gather Ye Rosebuds While Ye May" というタイトルの油絵を残しています。1908年と1909年にそれぞれ一作品ずつ、同じタイトルで描いていますが、前者は花を摘んできた女性を描いたもの、後者(下の絵)は花を摘んでいる 2人の女性を描いたものです。

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(Gather Ye Rosebuds While Ye May, by John William Waterhouse)

To the Virgins, to Make Much of Time, by Robert Herrick

Gather ye rosebuds while ye may,
Old Time is still a-flying;
And this same flower that smiles today
To-morrow will be dying.

The glorious lamp of heaven, the sun,
The higher he's a-getting,
The sooner will his race be run,
And nearer he's to setting.

That age is best which is the first,
When youth and blood are warmer;
But being spent, the worse, and worst
Times still succeed the former.

Then be not coy, but use your time,
And, while ye may, go marry:
For having lost but once your prime,
You may forever tarry.

Seize the Moment ー Boyhood, 「6才のボクが、大人になるまで。」

ところで、Carpe Diem は英語で Seize the Day (直訳すると「その日をつかめ」) と訳されていますが、それがテーマとなったと言える 1989年の映画 "Dead Poets Society" (邦題「いまを生きる」) で生徒の一人として重要な役回りを演じたイーサン・ホーク (Ethan Hawke, 演じた当時は17-8歳ぐらいだったと思われます) が、2014年に公開された映画 "Boyhood" (邦題「6才のボクが、大人になるまで。」) では、主人公の父親役というやはり重要な役を演じていて(あの映画は2002年から2013年まで12年間かけて撮影されていて、1970年生まれのイーサン・ホークの年齢は30代から40代の時期)、興味深いことに、その映画では、"Seize the Day" に似た "Sieze the Moment", そして "The moment seizes us" という言葉が、重要なキーワード、物語の鍵になるフレーズとして登場します。

"You know how everyone's always saying seize the moment? I don't know, I'm kinda thinking it's the other way around. You know, like the moment seizes us."

イーサン・ホーク Ethan Hawke がそれぞれに出演

"Dead Poets Society" (邦題「いまを生きる」, 1989年公開) での、生徒役の Ethan Hawke

そして、こちらは "Boyhood" (邦題「6才のボクが、大人になるまで。」, 2014年公開) で、主人公の父親役を演じた Ethan Hawke

これはこの章のボーナス・トラック(笑)。

いのち短し 恋せよ乙女 ー ゴンドラの唄

ところで、所変わって時代も異なりますが、日本の大正時代の流行歌である「ゴンドラの唄」(作詞:吉井勇、作曲:中山晋平)は、1989年公開のアメリカ映画 "Dead Poets Society" (邦題「いまを生きる」) に登場する ー 古代ローマ、紀元前1世紀の詩人ホラティウスの詩の中の言葉 "Carpe Diem" とその直接的影響を受けた17世紀イギリスの詩人ロバート・へリックの詩 "To the Virgins, to Make Much of Time" ー そのロバート・ヘリックの詩にインスパイアされたものだという説があるようです。ちゃんと確かめればはっきりするかもしれないけれど、でもおそらくそうなんだろうな。あれを意訳すれば、この歌の歌詞のようになると思えますね。

最初のこのヴィデオでは「大正3年」の歌となっていますが、「ゴンドラの唄」は大正4年(1915年)に発表された歌謡曲、正しくは「大正4年」だと思います。

次はこちら、超レア音源っぽい。大正4年(1915年)録音のようですが、冒頭 1:15 ぐらいまでは芝居の台詞が入っていて、その後に歌(唄)が始まります。歌は 2つのヴァージョンを聴くことができますが、最初はそのまま、当時この歌をヒットさせた松井須磨子のヴァージョン、しかし後半は大正4年録音ではないですね、1952年の黒澤明監督の映画「生きる」で主人公を演じた名優、志村喬が歌っているものではないでしょうか。

*因みに, 「ゴンドラの唄」の歌詞については, JASRAC から指摘を受けていない。この歌の歌詞に関してはその著作権管理が JASRAC に委任されていない, あるいは著作権フリーなのか(後者は考えにくいが)詳細不明。指摘を受けたら, 以下の歌詞も削除するけれど, 現時点では保留としておきます(2022.8.31 加筆/編集)。

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いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬(ほ)を 君が頬(ほ)に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女
波にただよい 波のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪(あ)せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

「生きる」(1952年, 黒澤 明監督作品)

前の章で少し触れましたが、古代ローマ、紀元前1世紀の "Carpe Diem" の直接的影響を受けた17世紀のイギリスの詩 "To the Virgins, to Make Much of Time" にインスパイアされた日本の大正時代(1915年発表)の歌である「ゴンドラの唄」は、1952年の黒澤映画「生きる」に使われています。

もう一つ、映画の中で、主役を演じた志村喬が歌っているシーン。

この1952年の日本の映画のタイトルは「生きる」、映画の中で使われた日本の大正時代の流行歌「ゴンドラの唄」が影響を受けたとされる17世紀イギリスの詩 "To the Virgins, to Make Much of Time" とその詩が直接的影響を受けた紀元前1世紀の古代ローマの詩の中の格言 "Carpe Diem" が登場する1989年のアメリカ映画 "Dead Poets Society" の邦題は「いまを生きる」。

邦題を考えた人がこのことを意識したかどうかは分かりませんが(たぶん意識はしてなかったと思う)、面白い繋がりではあるなと思います。

"All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die." (Blade Runner, 1982 by Ridley Scott)

もう少し、広げてしまおう。

Carpe Diem, Seize the day, Seize the moment ... と来ればこれ。1982年公開のリドリー・スコット監督作品、私にとっては 1968年公開の "2001: A Space Odyssey" (邦題「2001年宇宙の旅」, Stanley Kubrick)と並ぶ SF映画の 2大金字塔の一つ、"Blade Runner" の名シーンから、"All those moments will be lost in time" ..

"I've seen things you people wouldn't believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched c-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die."

"Why, then the world is my oyster." (The Merry Wives of Windsor, by William Shakespeare)

ここから最後の 3つは今日の投稿のボーナス・トラックか。要するにおまけみたいなもの。でも少なくともある程度の関係はある。あると思う(笑)。

ここで、"Dead Poets Society" (邦題「いまを生きる」)のあのシーン、もう 1回、観てみましょう。"Carpe Diem" も "To the Virgins, to Make Much of Time" も出てきますが、ここでは、"The world is their oyster" に注目。

"The world is their oyster" は「世界は彼らの牡蠣だ」じゃなくて(笑)、牡蠣だから真珠を取り出せる、つまり、「世界は彼らの思いのままだ。何だってできるさ」という意味合いですね。

この言い方は、元々は、ウィリアム・シェイクスピア (William Shakespeare, 1564 – 1616) 作の喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」 (The Merry Wives of Windsor) の中に出てくる台詞から来ているようです。

"Why, then the world's mine oyster. Which I with sword will open."

"mine" は現代英語のそれではなく、ここでは my と同じ意味。ということで、

"Why, then the world is my oyster. Which I will open with sword."

私はシェイクスピア、一冊も読んでないのです。だからここまで(笑)、いやしかし、シェイクスピアと言えば、ハムレット (Hamlet) の “To be, or not to be, that is the question”, あれは一番有名な和訳は「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」ですね(「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」を含め、他にも様々な訳があるようです)。「生きる」と言えば、1952年の黒澤映画「生きる」、そして、1989年の "Dead Poets Society" の邦題「いまを生きる」。

些か強引な持って行き方。次の章はもっと強引。

前々回、7月11日付の投稿(今日のこの投稿の最後にリンクを付します)はもっと強引で、もっとカオスでしたが(笑)。

Memento Mori ー The world is my oyster........ Ha ha ha ha ha........

前の章で、シェイクスピア (William Shakespeare) の「ウィンザーの陽気な女房たち」 (The Merry Wives of Windsor) の中に出てくる "The world is my oyster" を取り上げましたが、"The world is my oyster" と言えば、私にはシェイクスピアのアレよりも、Frankie Goes To Hollywood の "Welcome to the Pleasuredome" ですね。

1984年リリースの同名アルバムに収められ、翌1985年にシングル・カットされた曲ですが、あの歌、歌詞の冒頭が "The world is my oyster" なのです。

この歌は、彼らの当時のもう一つのヒット曲 "Relax" 同様、直接的にセックスのことを歌ってるようですね、歌詞を見る限り。彼らはたまたまゲイの人たちだったと思いますが、そのことはこの文脈では特筆する必要はないでしょう。

セックスというのは、ある種の「生と死」の再現のようなものという感じがあるのですが、どうでしょうか。英語の達人では全くないので英語の世界は何とも言えないのですが、彼ら、"Come" って言いますよね。"I'm gonna come" とか "I'm coming" とか言いますが、あの "Come" の由来はどういうことなんでしょう。つまり、なぜ "Come" というのか。聖霊でも降りてくるのかな(笑)。このことについては、次の章であらためて触れます。どんどんカオスになって終わります。

日本人は普通、「いく、いく」ですよね。アレって漢字で「逝く、逝く」と書いてもいいような気がする。実際、「死ぬ」とか言う人までいませんか、あの時。

結局、セックス はつまり、その度(「いく」度)に死んで、その後また生き返ってるわけです。生と死と、そして再生、蘇生です。

そして最後に、人間は本当に死にます。当然ながら、全ての生き物と同様に。で、本当に死んだら、それで終わり。御陀仏とは、本当のところ、終わりです。輪廻も再生もありません。いや、知りませんよ。確かめようがないんだから。でも「ある」だなんて証拠は無いでしょう。証拠がない以上、「ありません」と言う方が適切です。少なくとも証拠がないにも関わらず「あります」と強弁などしちゃいけない。「ありません」という証拠を出せ? 「ない」ことの証拠なんか、「ありません」よ。

話が飛んだ、飛んだ、ぶっ飛んだ。坂上二郎の「飛びます、飛びます」。

話を戻すと、"The world is my oyster" で始まる、Frankie Goes To Hollywood の "Welcome to the Pleasuredome", アレはセックスの歌であって、セックスといえば「惚れた腫れた」が高じて「生きるの死ぬの」になる行為のことです。だから、黒澤映画「生きる」や "DEAD Poets Society" (邦題「いまを生きる」) に関係がある。強引。

そういう意味では、"The world is my oyster" によるたまたまの繋がりは、中らずと雖も遠からず、ぐらいの意味はある繋がりかもしれない。かな?

兎にも角にも、「生きる」だけでなく、死を想え、つまり Memento Mori です。Carpe Diem だけでなくて、Memento Mori も。はい、強引ですよ。

以下は、12 inch version の "Welcome to the Pleasuredome" とその歌詞です。

*因みに, この曲の歌詞については, JASRAC から指摘を受けていない。この歌の歌詞に関してはその著作権管理が JASRAC に委任されていない, あるいは著作権フリーなのか(後者は考えにくいが)詳細不明。指摘を受けたら, 以下の歌詞も削除するけれど, 現時点では保留としておきます(2022.8.31 加筆/編集)。

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Welcome to the Pleasuredome, by Frankie Goes To Hollywood 

The world is my oyster........
Ha ha ha ha ha........

Who-ha who-ha who-ha who-ha .. Ha!

The animals are winding me up
The jungle call
The jungle call

Who-ha who-ha who-ha who-ha

In Xanadu did Kubla Khan
A pleasure dome erect

Moving on, keep moving on - yeah
Moving at one million miles an hour
Using my power
I sell it by the hour
I have it so I market it
You really can afford it - yeah
Really can afford it

Shooting stars never stop
Even when they reach the top
Shooting stars never stop
Even when they reach the top

There goes a super nova
What a pushover - yeah
There goes a super nova
What a pushover

We're a long way from home
Welcome to the Pleasure dome
On our way home
Going home where lovers roam

Long way from home
Welcome to the Pleasure dome

Moving on
Keep moving on

I will give you diamonds by the shower
Love your body even when it's old
Do it just as only I can do it
And never ever doing what I'm told

Shooting stars never stop
Even when they reach the top
Shooting stars never stop
Even when they reach the top

There goes a super nova
What a pushover - yeah
There goes a super nova
What a pushover

We're a long way from home
Welcome to the Pleasure dome
On our way home
Going home where lovers roam

Long way from home
Welcome to the Pleasure dome

Keep moving on
Got to reach the top

Don't stop
Pay love and life - oh my
Keep moving on
On again - yeah

Shooting stars never stop
Shooting stars never stop

Shooting stars never stop
Even when they reach the top
There goes a super nova
What a pushover

Shooting stars never stop
Even when they reach the top
There goes a super nova
What a pushover

There goes a super nova

We're a long way from home
Welcome to the Pleasure dome
On our way home
Going home where lovers roam

Long way from home
Welcome to the Pleasure dome

Who-ha who-ha
Welcome to the Pleasure dome

WELCOME........ha ha ha ha ha........

Long way from home
WELCOME TO THE PLEASURE DOME

というわけで、Carpe Diem, そして Memento Mori, だからこその Carpe Diem .. これって結論かな(笑)。

Duncan, by Paul Simon

カオスと化してしまった今日の投稿の最後は、この歌です。理由は、ちゃんとこれから書きます。

前の章で、こう書きました。

セックスというのは、ある種の「生と死」の再現のようなものという感じがあるのですが、どうでしょうか。英語の達人では全くないので英語の世界は何とも言えないのですが、彼ら、"Come" って言いますよね。"I'm gonna come" とか "I'm coming" とか言いますが、あの "Come" の由来はどういうことなんでしょう。つまり、なぜ "Come" というのか。聖霊でも降りてくるのかな(笑)。

さて、聖霊が降りてくるのなら、ペンテコステ(ラテン語: Pentecostes, 英語: Pentecost)、キリスト教、新約聖書にある聖霊降臨のお話、御伽噺です。

御伽噺というのは、英語で子どもを寝かしつけるときの「おとぎばなし」という意味で、あるいは「楽しいが信じられない話」という意味で、"Bedtime story" という言い方があるのですが、これは子どもの、というよりも、大人の、という感じでしょうか。大人になっていく時の、と言ってもいい。

ペンテコステ(英語では Pentecost)というのは、上に書いた通り、キリスト教における新約聖書にある聖霊降臨の「御伽噺」で、イエス・キリストの「復活・昇天」の後に、集まり祈っていた「とされる」120人の信徒たちの上に、天から、神から、聖霊が降ったという「御伽噺」、「おとぎばなし」、つまり "Bedtime story" なのですが、

Paul Simon が Simon & Garfunkel 解散後にリリースした自身の名を冠したソロ・アルバム "Paul Simon" (1972年) に収録されている "Duncan" は、おおよそこういう物語を歌っている曲です。

主人公の若者ダンカンは、聖歌を歌い聖書の一節を読み聞かせながら群衆に向かって説教をしていた若い女性と出会います。そして、彼女は、ダンカンに、ペンテコステ(Pentecost)、つまり「聖霊降臨」についての全てを話してくれます。そうして、その日の夜、ダンカンは彼女に導かれ、初体験をするのです(もちろん、セックスの)。

そこで彼女が "I'm gonna come! I'm coming!" と言って、ダンカンが "I'm coming too, baby! (sister??)" (あ、sister というのは当然ながら姉でも妹でもなくシスター、つまり「修道女」のことです)

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と応えたなら、その、日本人なら「いく、いく」「逝く、逝く」というその時に、彼女と彼のところには聖霊が "Coming" down してきたのでしょうね。

ここでリンクを付すのは、オリジナルのスタジオ録音ヴァージョンでなく、Paul Simom が 1974年にリリースしたアルバム "Paul Simon in Concert: Live Rhymin'" に収録されたライヴ・ヴァージョンの方です(綺麗なお姉さんが出てくるので)。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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(以下は, 歌詞の一部のみ)

Seen a young girl in a parking lot,
Preaching to a crowd
Singin' sacred songs and reading
From the BIBLE

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Well, I told her I was lost
And she told me all about the PENTECOST
And I seen that girl as the road
To my SURVIVAL

Just later on the very same night
When I crept to her TENT with a flashlight
And my long years of innocence ended

(これは night じゃなくて daytime に撮った TENT の彼女の写真!!)

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https://www.instagram.com/p/B2hMYN7CAqE

Well, she took me to the woods
Saying here comes something and it feels so good
And just like a dog I was befriended, I was befriended

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以下の歌詞・略(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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カオス過ぎ。

カオスと言えば、このテキストも(笑)。これはまたまた「牽強付会」?

違うのです。上に紹介した "Duncan" という歌の歌詞に、"So when I reached my prime, I left my home in the Maritimes. Headed down the turnpike for New England, sweet New England" というヴァースがあります。そこでダンカンは長い童貞時代を終える「初体験」をするのですが、prime とは青春、つまり may, そして New England と言えば、Mayflower に乗った Puritan (清教徒) たちが、イングランドからアメリカにやってきた時に辿り着いた場所なのです。

青春を意味する may のことも、Mayflower も New England も、以下にリンクを付した前々回のカオス投稿の中にあります。

 

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