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演説の美辞麗句だけで政治家に「感服」してしまう、日本の「リベラルな」人たち

アメリカ副大統領になることが「内定」したカマラ・ハリスを、演説の美辞麗句だけで、政策でも行動でもなく言葉だけで、素晴らしい、素晴らしいと持ち上げる日本の「リベラルな」人たち

この件、早くも旬な話題ではなくなってきたので、正直、書く気がかなり失せてきた。とはいえ、直近の投稿(11月13日)の最後の章で、「カマラ・ハリスの選挙『勝利』演説における美辞麗句を聞いただけで簡単に『参って』しまっている、もしくは感服してしまっている日本の『リベラルな』人たちについて、明日もしくは明後日以降の note 投稿において書こうと思っている」と書いてしまっていたし、もたもたしているうちに 3日経ってしまったけれど、今日「片付けて」おこうと思って投稿することにした。

上記の11月13日の投稿は「アメリカ大統領選挙に世界の眼が集中する中、パレスチナ人のコミュニティを破壊したイスラエル 〜 そしてそれを擁護する日本人」というタイトルの投稿だったが、念のため書いておくと、今日の投稿で言及する日本の「リベラルな」人たちは、以下のリンク先の件の投稿における「そしてそれを擁護する日本人」とは、別の人たち。

さて、カマラ・ハリス。

古い言葉で言うと「革新」系の人も含め、先日のジョー・バイデン次期アメリカ大統領「勝利演説」もどきの時のカマラ・ハリス次期アメリカ副大統領「勝利演説」もどき(私は最初の女性副大統領になるが、最後の女性副大統領にはならない、それは .. 云々カンノン菩薩、じゃなかった、云々カンヌ映画祭、じゃなかった、云々カンヌン、という例のあのスピーチ)以来、日本でも政治家や評論家、TVコメンテイターたちが、急にカマラ・ハリスを持ち上げるようになった。

要するに、あの演説と女性初、有色人種初のアメリカ副大統領ということが持ち上げ、称賛、礼賛、感服等々の背景なんだろうけど。

女性初、有色人種初のアメリカ副大統領、その点は確かに「歴史的な」ことであろう。単に、事実として。

そして、当然ながら、女性がアメリカ合州国において副大統領どころか大統領になったって勿論いいし、日本の総理大臣だって、至極当たり前ながら、女性政治家がなること自体、全く問題ない。言うまでもなく、全く問題ない。

カマラ・ハリスが、アメリカ合州国や世界に良い影響をもたらす政治家ならば、それでよい。

しかし、ここで筆者が言いたいのは、上手な演説とそこで彼/彼女によって語られる美辞麗句をもって特定の政治家を持ち上げても、意味がない、ということ。

日本はともかくとして、アメリカ合州国には、演説に長けた政治家ならいくらでもいる(ジョー・バイデンは例外の一人のようだけれど)。

カマラ・ハリスがこれから何をやるのかとか、これまで何をやってきたのか、何をやらなかったのか、何を言ってきたのか、何を言わなかったのか、それが大事であって、そのことに触れずに、あるいは知らずに、突然カマラ・ハリスを持ち上げるようになった政治家、評論家、コメンテイターなどが、ここ日本にも多過ぎるように感じている。多過ぎるというより、そういう人たちが、雨後の筍のように出現した。

正直、呆れている。

繰り返しになるが、重要なのはカマラ・ハリスがアメリカ副大統領としてこれから何をやるのか、あるいは副大統領候補として何を語ってきたのか、あるいは政治家として、公人として、今まで何をしてきたのか、何をして来なかったのか、ということである。

語られる言葉の見た目(「聞いた耳」!)の「美しさ」は、そうした裏付けがあって初めて、その政治家の言葉、言動の一つとして生きてくるもの、あるいは場合によっては「死んでしまう」ものなのだ。

現時点でカマラ・ハリスを「演説」の美辞麗句、要するに彼女が語る言葉だけで持ち上げることには大きな疑問を感じるし、政治家としての評価、ましてやアメリカ副大統領としての評価は当然ながらこれからのことだろう(筆者自身は現時点、これまでのカマラ・ハリスに関する知識・情報をもとにする限りは、今後のカマラ・ハリスにも期待していないが)。

1) まずは山尾志桜里氏。この人の日本の政界における現在の立ち位置は筆者には非常に分かりにくいが(というか、取り立てて関心がないので調べていないからますます分かりにくくなるのだろうが)。

筆者はこの人の支持者でも何でもないし、以前の「民主党」時代(既に「立憲民主党」になっていた時期かな、あの党もコロコロ変わるところがあってその辺、面倒)、国会で舌鋒鋭く当時のソーリ大臣安倍晋三を攻め込んでいた頃とかは将来有望な政治家かと期待したりしたものの、その後なんだかよく分からん人となり、同党分裂以降は彼女は「国民民主党」側にいて、ますますワケの分からん人となった。かつ、既に書いた通り元々そこまで関心ある人でもなかったので、今の時点、日本の政治について何を考えている人なのかも、イチイチ調べたことはない。

というわけで、正直、「リベラルな」という形容が相応しいのかどうかもはっきりしないが、そういうイメージを持っている人はいるだろうし、目立つ政治家ではあると思うので、今日のこの投稿で取り上げる事例の中に入れようと思った。しかも、トップ・バッター(まぁ順不同だけど)。

山尾氏は下にリンクを付したツイートの中で(スレッド, 2つ目のツイート)カマラ・ハリスを「実力ある女性」と形容しているが、何をもって「実力ある女性」というのか、この批評ツイートやシェアされたニュース記事にそういう中身があるのか、甚だ疑問(ツイートに付けられたニュースは理由は全く不明だが今は消えているもよう)。

日本ほど酷くなくてもまだまだ性差別は存在するであろう、存在してきたであろうアメリカ合州国において、単に政界の最高権力の座に近いところまで昇り詰めたように見える女性だから、「実力ある女性」ってこと? 

そういうこと言いたいわけじゃないよね。いや、実際、特に具体的に「実力」が紹介されていないので、分からないのだが。

とにかく、上に書いてきた通りで、当人の上手な演説とそこで語られる美辞麗句をもって政治家カマラ・ハリスを持ち上げても、意味がない。そもそもアメリカ合州国には演説に長けた政治家ならいくらでもいるのだ。

どうしてその演説、美辞麗句だけで「感服」して、カマラ・ハリスを「副大統領に選んだアメリカに祝意を!」などと言える? そんな山尾氏の言葉をまともに聞いてしまうと、こっちの頭がおかしくなりかねない(まともに聞いてないから大丈夫だけど)。


2) ラサール石井氏。この人は政治家でなく、いわゆる「タレント」とか「文化人」とラベルが貼られる範疇に入る人だけれど、たまにテレビ番組に出演してのコメントを聞いたり、ツイートを見たりすることがあって、その日頃の言動から、「リベラルな」人たちの一人と言ってもそうおかしな形容ではないと思う(筆者自身はこれまで、自分がたまたま目にする、耳にする彼の日頃のコメントには、賛同できるものが多いという印象を持ってきた)。

さて、公人が「理想を述べる」のは大事だろうが、それだけのことならどうしようもない。いくら「子供達に希望を示」しても、仮に行動が伴わなければ後に「子供達に」失望を与えることになって、結果的には言葉だけの美辞麗句で希望を与えられたことがマイナスになることだってあり得る。

まぁ、要するに、「理想」を語るその美しい言葉だけで持ち上げるのはやめてくれ、ということ。

カマラ・ハリスは政治家なんだ。「公人」なんだ。「公人」として何をやってきたのか、何を言ってきたのか、これから何をやろうとしているのか、そのことに触れないで(あるいはそのことを知らないで)、当人の語る言葉だけで政治家を持ち上げるのはやめてくれ。


3) 保坂展人氏。日本の決して多くなさそうな「良質な」政治家の一人と思ってはいるものの、カマラハリスをこの程度のことで持ち上げているのであれば、その点では率直に言って失望。控えめに言うなら残念。

アメリカには(日本と違って)演説が上手い政治家はゴマンといるのであって、女性初の副大統領になるからといって(大事なのは副大統領になって何をやるのか、何を言うのか!)、政治家としての実績やこれまでの言動について見ないで(あるいは知らないで)、選挙で自分の陣営の勝利が内定した後に美辞麗句を並べた「演説」をした程度でプラス評価するのは、甚だ疑問。


私はヴァジャイナ(膣)で投票するわけじゃない 〜 ヒラリー・クリントンを支持しないと言明したときのスーザン・サランドン

スーザン・サランドンは、筆者(1960年生まれ)が属するような世代もしくはそれ以上の世代には、今も「ロッキー・ホラー・ショー」の主演女優として記憶に残っているかもしれない、アメリカ人女優。

前回のアメリカ大統領選挙のとき、アメリカ合州国史上初の女性大統領になる可能性があったヒラリー・クリントンが「女性なら私に投票して」もどきの態度を顕にしたのに対し、スーザン・サランドンが語った言葉。

"I don't vote with my vagina" 〜 「私は膣で投票するわけじゃない」


ジョー・バイデン、カマラ・ハリス

以下のインスタグム投稿にある動画は、ジョー・バイデン、カマラ・ハリスの 2人が、アメリカの中東地域における外交政策、とりわけイスラエル・パレスチナ間の問題においてこれまでイスラエル(の政策)の側にのみ偏って一方的に支持してきた姿勢を象徴するシーンを、幾つか揃えたもの。

ジョー・バイデン、カマラ・ハリス、ジョー・バイデンと見た後、更にスワイプして、あらためてカマラ・ハリスのイスラエル「一辺倒」姿勢を眺めてみてもらいたい(なお、AIPAC は American Israel Public Affairs Committee, アメリカ最大級のイスラエル・ロビイスト組織)。

その次はジョー・バイデンとカマラ・ハリス、特に後者に関する記事、最後はカマラ・ハリスが政治家になる前、司法に携わっていた時に関わる記事(最後の 1点はイスラエル・パレスチナ問題にかかることではない)。 


前述の通り、以下の記事は上の 2点と違い、イスラエル・パレスチナ問題に関係するトピックではない。

政治でなく司法に携わっていた時代のカマラ・ハリス。当時関わったカトリック聖職者による性虐待犠牲者からの批判。


なお、ジョー・バイデン、カマラ・ハリスご両名に関してのネガティヴ情報はあげ出したらキリがないような気もするが(とりわけジョー・バイデン、アメリカの対イラク WMD・アルカイーダとの関係でっち上げ侵略戦争の際の議会での「賛成」票など)、この章で紹介したものは全て、本投稿の冒頭でもリンクを付した前回 note 投稿テキストの最後の章で載せたもの。


話はやや脱線するけどねの付録 1) 〜 ルース・ベイダー・ギンズバーグ批判

故ルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)がコリン・キャパニックの対人種差別抗議行動に対して一時とった冷淡な態度と、アメリカの「リベラル」もしくは progressive(「進歩派」)の象徴的存在に「祀り上げられた」RBG の PEP (Progressive Except Palestine) と批判されて然るべき、パレスチナ問題となると急にダンマリを決め込む(ダンマリを決め込んだ)アティチュードなどについて取り上げたもの。

投稿の中で書いた通り、ルース・ベイダー・ギンズバーグの人となりや業績に関して、全否定するような類のものではない。「至極当然」ながら。

筆者が言いたいことの主眼は、上の上の段落で言及したような点ととともに、そうした部分があった一人の人間ルース・ベイダー・ギンズバーグを、まるでアメリカ民主主義の「聖人」である、「聖人」であったかのように祀り上げる風潮に対する批判。


話はやや脱線するけどねの付録 2) 〜 ボブ・ディラン(と朝日新聞などのメディア)批判

付録 1) の一部に関連して、イスラエル・パレスチナ問題に絡み、マスメディアもしくは「リベラル」な人たちが決して批判しようとしない、その他の人たち 〜 例えば ボブ・ディランについて、過去の note 投稿 3点。

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話はやや脱線するけどねの付録 3) 〜 ユヴァル・ノア・ハラリ(と朝日新聞などのメディア)批判

付録 2) からの流れ。この人はアメリカ人でなく、イスラエル人。

イスラエル・パレスチナ問題に絡み、マスメディアもしくは「リベラル」な人たちが決して批判しようとしない、その他の人たち 〜 ユヴァル・ノア・ハラリについて、過去の note 投稿 4点。

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