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ルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg) という人は、本当に称賛・礼賛一色で済ませていいほど立派な人だったのか?

左は勿論、ルース・ベイダー・ギンズバーグではなくて、女優ナタリー・ポートマン。とりあえず共通するのは、共にユダヤ系アメリカ人であるということ。前者は1933年ニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人、後者は1981年エルサレム生まれのイスラエル系アメリカ人(二重国籍, ただユダヤ系アメリカ人にはイスラエルの市民権を持つ所謂「二重国籍」の例が少なくなく、前者もそうかもしれないのだが筆者はその点は情報もなく知らない)。再びの「勿論」、二人を並べた写真を使ったことには、理由がある(後述)。

ルース・ベイダー・ギンズバーグ

最初に書いておくと、筆者は本投稿によってルース・ベイダー・ギンズバーグの「功績」部分(部分と言ってもそれは彼女のキャリアのかなりの「部分」を占めるのだろうが)を否定するつもりなどないし、彼女の「リベラルさ」を完全否定するような意図は全く無い。しかし、彼女の基本的人権の問題に対する姿勢に関して明らかに疑問点もしくは欠如するものがあったと思われる点が少なくとも二点あり、亡くなったからと言ってメディアが称賛・礼賛一色になることに対しては、強烈な違和感を持っている。それが、今日のこの投稿の動機である。

単に名前からの連想だけで思い出した人がいて、先に脱線の話題を書いてしまうと、1960年生まれの筆者や更に上の世代にはいまだその名の記憶が残っていると思われるアメリカ合州国の「ビート詩人」アレン・ギンズバーグ (Irwin Allen Ginsberg: June 3, 1926 – April 5, 1997) もユダヤ系アメリカ人だから、ギンズバーグというのはユダヤ系にわりとある名前なのかもしれない。

たったの二例でこう言うのもナンだが、とにかく筆者が大学に入った年、1979年に読んだと記憶する小田実の「何でも見てやろう」(1961年)にもその名が登場するアレン・ギンズバーグ(が登場するのは小田実の他の著作だったかもしれないのだがはっきりしない、「何でも見てやろう」はボロボロになりながら今も我が家の居間に置かれているが該当頁を探して確認するのは面倒、ただビート・ジェネレイションやビート詩人についての記述は確実にあった、嗚呼長い脱線話になってしまった)を思い出し、そうか、彼もユダヤ人だったと、ここで触れておきたくなった、それだけの動機の冗長な脱線テキストはこれで終わり。 

本題に入ると、ルース・ベイダー・ギンズバーグ (Ruth Bader Ginsburg: March 15, 1933 – September 18, 2020: 以下、メディアでよく使われる「愛称」RBG を頻繁に使うと思う、むろん他意はないが便利なので) は、先頃亡くなってから日本のメディアでも頻繁にその名と功績が紹介されていたことから、ここ日本においてすら相当な有名人になった、元アメリカ合州国(以下、アメリカ)・連邦最高裁判事。

1993年に当時のビル・クリントン大統領に指名され、終身制なので以降 27年間にわたり同判事を務めた人であり、亡くなる時点ではアメリカの連邦最高裁判事 9人のうち 4人のリベラル系判事のうちの一人で、性差別撤廃の主張を始めとするアメリカ社会の「リベラル」を象徴するような存在だった。当然、亡くなるまで、アメリカ国内でかなりの影響力を持ち続けた人だ。いや、亡くなって以降も影響力はあると言うべきかもしれない。

この人が亡くなり、現職のトランプ大統領が直ぐに保守派の判事候補を指名して 9人中 6人を占めるような保守の圧倒的有利を狙うのかどうかが焦点となって、その話題性も伴いながら、RBG の生涯や功績は、日本のメディアにおいても何度も取り上げられ、文字通り称賛・礼賛一色の報道ぶりだった。

無論、彼女に関しては、母国アメリカにおいても同様、というか、それ以上に違いない。既に伝記映画だって作られている絶賛ぶり、少なくとも同国の民主党系、あるいはリベラル系、そして民主党よりももっと「進歩的」な、要するに Progressive と言われるような人たちからも改めて尊敬・リスペクト、人気を集めている存在(存在と言っても既に亡くなってはいるのだが)と言っていいだろう。

冒頭にも書いたが、当たり前のことだが、と前振りして改めてことわっておきたいのだが、筆者は RBG の功績や人々から尊敬を集めているような具体的な事例について、ここで全面否定などするつもりはない。彼女のかなりの「偉大」さについて、それを否定しようとする意図などは全くない。

しかしながら、アメリカにおいて、日本において、そしておそらく世界中の非常に多くの国の大手もしくは主流もしくは著名メディアで見られたであろう、RBG に対する称賛・礼賛一色の報道ぶりには、相当な違和感を持っている。

コリン・キャパニック 〜 ルース・ベイダー・ギンズバーグの一つのアティテュードを知るために 

この章は、次章のための、その前章。

コリン・キャパニックは、筆者個人は、ルース・ベイダー・ギンズバーグより有名だろうと期待したいくらいの、元アメリカンフットボールのスター選手。

2016年8月のプレシーズンマッチで試合前の国歌斉唱の際、黒人を始めとする有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えないとの理由で起立を拒否、その後もこの抗議を続け、2019年シーズン終了時点でフリー・エージェントとなって以降どこからも指名されず、事実上アメフト界から干されたと思われる人である。

ただし、ウィキペディアによれば、「ジョージ・フロイドの死により火が点いた人種差別に対する抗議運動の高まりの中、2020年6月5日、ロジャー・グッデルコミッショナーは、方針を転換し、『かつて私たちがNFL選手の言葉を聞かなかったのは間違っていた。我々は、全ての人が発言し平和的に抗議することを応援します』とツイートし、人種差別や警察の暴力に抗議する選手たちを支持しなかったことを謝罪し、キャパニックの行動は正当化された」とのことで、潮目は変わってきているのかもしれない。


以下は、筆者が今年の「アメリカの白人警官によるジョージ・フロイド殺害」事件の後、ネット上で見つけたツイートをキャプチャーした画像(勿論、上記の NFL のコミッショナーのツイートではない)。

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コリン・キャパニック Colin Kaepernick に対する ルース・ベイダー・ギンズバーグ Ruth Bader Ginsburg の態度 attitude

コリン・キャパニックについてご存知ない方は、とりあえず前章を見ていただきたい。

以下は、ルース・ベイダー・ギンズバーグ(以降も「愛称」としての略称 RBG を使う、もちろん他意はなく便宜的に)の、コリン・キャパニックによるアメリカの人種差別への抗議行動に対する態度、に関する記事、4点。

まずは、RBG がキャパニックの抗議行動について “dumb and disrespectful”, 「愚かで無礼なことだ」とした上で、キャパニックの行為を国旗を燃やすことにたとえることまでし、違法ではないが “it’s a terrible thing to do”, 「酷いことだ」と述べたことに対する、キャパニックの反論に関する記事。

英語版はこちら。


次は、RBG のキャパニックの抗議行動に対する態度と、その後の RBG についての、イギリス The Guardian の記事。


ナタリー・ポートマンがイスラエル政府の政策に抗議してイスラエルでの授賞式出席を拒否し、その直後にルース・ベイダー・ギンズバーグがイスラエルに行って同じ団体からの賞をありがたく受賞した年、2018年

この章は、次章のための、その前章。

まずは、2018年がどんな年だったのかを振り返っておく。

2018年とは、同年 3月30日の金曜日にパレスチナのガザ地区(1967年の第三次中東戦争以降イスラエルが占領・軍事支配、現在イスラエルが人や物資の出入りを制限し事実上の封鎖政策をとっている地区)においてパレスチナ人による Great Return March と呼ばれる故郷帰還運動が始まり(ガザ地区はパレスチナの一部ではあるが現在イスラエル領となっている地域に住んでいた多くのパレスチナ人たちが難民となってガザ地区に移り住んだ過去があり、今も難民とその次世代が多く住む地区)、それから毎週、多数のパレスチナ人の若者たちがガザ地区とイスラエルとのボーダー付近をデモ行進するようになった年。そして、毎週(筆者が当時海外メディアのリポートをずっと追っていたその記憶によれば年間を通して文字通り毎週だったのではないかと思う)、そのデモ行進に対してイスラエルの国軍の兵士が実弾射撃(やドローン兵器による催涙ガス弾攻撃など)による武力弾圧を行ない、極めて多数のパレスチナ人がその犠牲となって命を落とした年である(犠牲者は毎週出ていた)。

一番酷かったのは、奇しくも、いや偶然ではなくそれは悲しく且つ怒るべき必然であったのかもしれないが、イスラエルが国際社会の圧倒的多数の声に抗って一方的に同国の首都であると主張してきたエルサレムに(その主張の不当性については次章のナタリー・ポートマンが生まれた地であるエルサレムについて書いたテキストを参照いただきたい)、トランプ政権のアメリカがそれまでテルアヴィヴに置いていた在イスラエル・アメリカ大使館を移転した後、移転先のエルサレムの新アメリカ大使館オープニング・セレモニー(トランプの娘イヴァンカやその夫でありユダヤ系アメリカ人富豪であるジャレッド・クシュナーが出席)が行なわれた日、2018年5月14日、月曜日だった。

その日は、また、イスラエルの一方的な「独立宣言」と呼ばれる建国宣言(1948年5月14日、一方的というのは、そもそもイスラエル「建国」の直接的根拠となった1947年に当時創立間もなくまだ欧米諸国の影響下にあった国連総会が採択した「国連パレスチナ分割案」の内容が、他方の当事者である当時のパレスチナで人口や土地所有率の上で圧倒的多数派だったアラブ系住民、今日通常言うところの「パレスチナ人」の意思を無視したものだったため)が為された日、すなわちパレスチナ人がアラビア語で呼ぶ「ナクバ」(意味は大災難、大破局、直接的な結果として約80万人のパレスチナ人が難民となって故郷を追われることになったため)から、あるいは今もナクバが続いているとする立場からは「ナクバの始まり」から、ちょうど 70周年に当たる日だった。

その、テルアヴィヴから移転したエルサレムの在イスラエル・新アメリカ大使館のオープニング・セレモニーの日であり、イスラエルの建国、パレスチナ人にとっての「ナクバ」から 70周年に当たる、2018年5月14日には、その一日だけで、パレスチナのガザ地区においては、イスラエルによる攻撃により 50人以上のパレスチナ人が殺されている。

同年 5月14日から翌15日の 2日間でのパレスチナ人犠牲者のリストが掲載された、同年 5月17日付の記事がここにある(この記事時点では 62人のうち 3人の身元が不明)。


記事中のヴィデオは、当時、Facebook 上でもシェアされた。


ナタリー・ポートマンがイスラエル政府の政策に抗議してイスラエルでの授賞式出席を拒否した 2018年、その直後にイスラエルに行って同じ団体からの賞をありがたく受賞したルース・ベイダー・ギンズバーグの PEP 〜 Progressive Except Palestine

2018年がイスラエルとパレスチナに関わってどんな年だったのかについては、前章を参照いただきたい。

この章では、その年の、イスラエル系アメリカ人女優ナタリー・ポートマンと、ユダヤ系アメリカ人「リベラル派」判事ルース・ベイダー・ギンズバーグについて、記述したい。

先に書いておくと、筆者は、この年のナタリー・ポートマンの言動を支持するものではない。完全否定するものでもないが、かなり批判的である。

本投稿の冒頭、タイトル上に掲載した写真の右側に写っている人、それが、ユダヤ系アメリカ人であり、citizenship を踏まえればイスラエル系アメリカ人といった方がより厳密な言い方になる、女優ナタリー・ポートマン。

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この人は 1981年にエルサレムで生まれている。それがイスラエル統治下の西エルサレムだったのか、あるいはイスラエルが当時既に違法占領していた東エルサレムにあるイスラエル人(ユダヤ人)入植地だったのか、それについての情報はないので、分からない。

何故こういうことを書くかというと、エルサレムというのは 1947年に採択された「国連パレスチナ分割案」においては国連を施政権者とした信託統治とすることになっていたわけだが、西エルサレムは 1948年のイスラエルの一方的な「独立宣言」と呼ばれる建国宣言(1948年5月14日、一方的というのは、そもそもイスラエル「建国」の直接的根拠となった1947年に当時創立間もなくまだ欧米諸国の影響下にあった国連総会が採択した「国連パレスチナ分割案」の内容が、他方の当事者である当時のパレスチナで人口や土地所有率の上で圧倒的多数派だったアラブ系住民、今日通常言うところの「パレスチナ人」の意思を無視したものだったため)直後の第一次中東戦争によりイスラエルが占領し、同戦争以降ヨルダンが占領して19年間にわたり統治していた東エルサレム(ここにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「聖地」があるエルサレム旧市街が含まれている)も、1967年の第三次中東戦争によってイスラエルが占領し、以降同年11月22日に採択された国連安保理決議242号を含む複数の決議に違反しながら、過去半世紀以上にわたって(イスラエルによる)違法占領が続いている、そういう東西エルサレムの現代史を踏まえてのことである。

1967年の第三次中東戦争以降はイスラエルが東西エルサレム全域を占領するようになり、東エルサレムにもイスラエル人(ユダヤ人)入植地を次々と作っていくようになるが、1980年になるとイスラエルの議会が「統一(東西)エルサレムはイスラエルの不可分・永遠の首都である」とするエルサレム基本法案(エルサレム首都法案)を可決する。これに対し国連安保理はイスラエルの統一エルサレム首都宣言は無効であり破棄すべき、エルサレムに外交使節を設立している国連加盟国は外交使節をエルサレムから撤収させるとする国連安保理決議478号を可決 (アメリカは拒否権を発動せず棄権)、さらに国連総会はイスラエルによる東エルサレムの占領を非難、首都宣言を無効とする決議案を 143対1(イスラエルのみ反対、アメリカなど 4カ国が棄権)で可決している。

つまり、ナタリー・ポートマンがエルサレムで生まれた 1981年というのは、そのイスラエルによる、国際社会が認めなていない(にもかかわらずアメリカのトランプ政権は 2018年にそれまでテルアヴィヴにあった同国の在イスラエル大使館をエルサレムに移転し、国際的な批判と非難を浴びることになったのであるが)、エルサレム全域首都宣言が行われた1980年の、翌年に当たるわけである。

因みに彼女の母親はユダヤ系アメリカ人で当時のアメリカからイスラエルへの移住者(今はアメリカ在住で娘であるナタリー・ポートマンの代理人)、父親はポーランドとルーマニアからのイスラエルへの移民である両親を持つイスラエル人である。

そのナタリー・ポートマンは、2018年のジェネシス賞(The Genesis Prize, ユダヤ人の文化や価値観の普及に優れた貢献をした人物に贈るとされる賞で、2012年に 3人のユダヤ系ロシア人の億万長者・新興実業家 (いわゆる "oligarch") などの寄付で設立され、上記3人のうちの一人による慈善グループが同年設立したジェネシス賞財団とイスラエルの首相官邸、そして Jewish Agency for Israel と呼ばれる世界最大のユダヤ系非営利団体が後援する賞)を受賞することとなり、同年6月にイスラエルで開催予定だった授賞式に出席することになっていたが、その 2ヶ月前、同年4月になって、授賞式に出席するためのイスラエル行きをポートマンがキャンセルする旨のステイトメントが出された。

ナタリー・ポートマンの同授賞式出席、イスラエル行きの辞退、事実上の拒否の理由は、イスラエルのネタニヤフ政権の政策への抗議だった。

前章に書いたように、同年3月30日に始まったパレスチナのガザ地区のパレスチナ人の若者たちによる Great Return March と呼ばれるデモ行進に対して、イスラエルが国軍の兵士による実弾射撃(やドローン兵器による催涙ガス弾攻撃など)の武力弾圧で応じ、その度を越した暴力的弾圧により文字通り毎週パレスチナ人の犠牲者(多くの死者と負傷者)が出るようになって、それが中東だけでなくアメリカ、さらにはイギリスなどヨーロッパ諸国でも報道され、国際的な注目がイスラエルとパレスチナに集まっている時期だったが、にもかかわらず、ナタリー・ポートマンは、イスラエル行きを拒否もしくは辞退する際のステイトメントにおいて(彼女のインスタグラムへの投稿や彼女の事務所によるプレスリリース)、パレスチナ人の「パ」の字も言わなかった。"Palestinians" への言及は、文字通り、ゼロだった。

ナタリー・ポートマンはただ、こう言っただけだった。つまり、"mistreatment of those suffering from today's atrocities", 

要するに、彼女は決して "Palestinians" とは言わず、代わりに "those suffering" と言ってのけたのだ。詰まるところ、彼女にとっては、パレスチナ人とは殆ど匿名の存在に等しい、というわけなのだろう。

そもそも彼女は、"violence in Gaza" あるいは "today's atrocities in Gaza" とさえ言わず、そして当然のように "Palestine" という単語は一切使わず、つまりはパレスチナの「パ」の字も言わなかった。

代わりに彼女が何と言ったのかというと、"recent events in Israel", つまりは「最近のイスラエルでの出来事」(せいぜい他の日本語に訳すならば「最近のイスラエルでの事件」ということになるが、日本の多くのメディアは「出来事」と訳していたように思う)。

元々、彼女は、ハーバード大学在学中には(心理学専攻、1999年入学・2003年卒業)、同大学法学部学生が学生新聞ハーバード・クリムゾンに寄稿したイスラエル人の占領地への違法入植を非難する記事に対し、反論記事を寄せたことがあるような人である。

2018年のナタリー・ポートマンの言動については、同年4月に Al Jazeera が当時の彼女のステイトメント等を批判するヴィデオを Facebook に投稿している(日本時間 2018年4月23日午前3時、アメリカ、イスラエル、パレスチナなどの現地時間では前日の 4月22日)。的を得た批判である。


当時の彼女は要するに、イスラエルの首相ベンジャミン・ネタニヤフと授賞式の場を共にすることを避けたのだとも言えるわけだが、しかし、それでも、2018年4月のナタリー・ポートマンは、"those suffering (from today's atrocities)", すなわち「(今日の残虐行為において)苦難に遭っている人々」という言い方だけはした。要するに、パレスチナ人の「パ」の字も言わなかった一方で、事実上、彼らの存在、そして「苦難」に、少なくとも型通りに触れることはした。

さて、これまで書いてきたように、ナタリー・ポートマンが 2018年の Genesis Prize を受賞することになったものの、イスラエルで行なわれる授賞式出席の辞退を発表したのが 同年4月、その結果、毎年一人受賞するその賞の受賞者が出席しない以上、授賞式そのものもキャンセルされることになったのだが、その授賞式は、ポートマンが出席しさえすれば、同年6月に開催されることになっていたものだ。

この Genesis Prize, 2014年から毎年一人ずつ受賞者を発表しているのだが、ナタリー・ポートマンが 6月開催が予定されていた授賞式出席のためのイスラエル行きを 4月にステイトメントを出して辞退した2018年、また、同年3月30日以来パレスチナのガザ地区で行なわれていたパレスチナ人の若者たちによるデモ行進が毎週毎週、イスラエル国軍兵士の実弾射撃やドローン兵器による催涙ガス弾の攻撃によって多くの犠牲者が出ていた2018年(前章で紹介したように、5月14日から翌15日の 2日間においては赤ちゃんを含む 62人がイスラエル国軍により殺されている)、その年の 7月にイスラエルに行って、同年に限ってジェネシス賞財団が特別に賞として設けた Genesis Lifetime Achievement Award を受賞した人がいる。

その人こそ、アメリカの「良心」、アメリカの「リベラル」の象徴であるかのように見做されている(皮肉を込めて言ってもよい、確かに「象徴」なのだろう)、RBG こと Ruth Bader Ginsburg, つまり、ルース・ベイダー・ギンズバーグ、その人である。

Forward は 1897年に創刊された、ユダヤ系アメリカ人を対象としたメディア, この 2018年7月3日付の記事の見出しは、思い切り日本的に言えば、「ナタリー・ポートマンに『袖にされた』組織が出してくれる賞を(ありがたく、とまでは書いていないが)イスラエルで受賞することになったルース・ベイダー・ギンズバーグ」。

上にリンクを貼った記事は、事実を淡々と書いてある短文の記事(署名にある Judy Maltz はイスラエルのメディア Haaretz に記事を寄せることが多い女性ジャーナリストのようだ)。

かなり具体的に批判記事を書いているのは、例えば、以下。

Mondoweiss は、2006年に創刊された、アメリカの中東における外交政策を主として「進歩派のユダヤ人の視点」("progressive Jewish perspective")からリポートするとし、創刊者が自らを「進歩主義者で且つ反シオニスト」("progressive and anti-Zionist")と見做しているメディア。

この記事は、RBG が本年 9月18日に亡くなってから 9日後、つまり 2020年9月27日付の記事である。

見出しは、"Accepting Israeli prize in 2018, RBG never mentioned Palestinians", つまり、「2018年にイスラエルの賞を受賞しながら、RBG(ルース・ベイダー・ギンズバーグ)は、パレスチナ人たちについて何も語らなかった」。


なお、以下のリンク先は、同日(日本時間では 2020年9月28日)、Mondoweiss が自らの Facebook page に同記事をシェアしたものである。

Mondoweiss は、次のようなテキストを付して、記事をシェアしている。つまり、「ルース・ベイダー・ギンズバーグにとって、シオニズムは、約束に満たされた "vogue", はやりのムーヴメントだった。彼女は、2018年にテルアヴィヴでイスラエルの賞を受賞した際、その機会を使って、ガザで起きていた(イスラエルによる)パレスチナ人虐殺について語ることが出来たはずだった。しかし、彼女は何も語らなかった」。

"For Ruth Bader Ginsburg, Zionism was a "vogue" movement filled with promise. She could have used the occasion of accepting an Israeli prize in Tel Aviv in 2018 to talk about the massacre of Palestinians taking place in Gaza. She didn't."


もう一点。If Americans Knew という、アメリカ人女性ジャーナリストが 2001年に創立した、イスラエル・パレスチナ問題に焦点を当て、アメリカの中東における外交政策についてリサーチ・リポートしている非営利組織(筆者は最近、If Americans Knew が、過去に親イスラエル系の組織だけでなく Jewish Voice for Peace といったパレスチナ人の人権を擁護しイスラエルの占領政策を非難している団体からも "Anti-Semitism", つまり「反ユダヤ主義」なのではないかと批判されたことがあることを知ったが、当時、大学教授や元民主党の上院議員などのほか、当の Jewish Voice for Peace の多くのメンバーを含む総勢 2,000人以上の活動家・有識者が創立者 Alison Weir と If Americans Knew を支持する公開書簡にサインしたようで 、この辺りはややこしい。括弧が長くなるが、例えば日本やアメリカの政策を厳しく非難しただけで反日もしくは反米のレッテルを貼られるのは論理的におかしな話で、それはイスラエルについても同じ、そもそもイスラエル人の全てがユダヤ人というのでもないし、アラビア語を話すアラブ人であるパレスチナ人も "Semitic people" なのだが、とにかく余程の理屈がない限り、If Americans Knew が  "Anti-Semitic" な団体であるとは考えにくいと筆者は思っている)、

括弧が長くなったが、その If Americans Knew が、RBG, つまり、ルース・ベイダー・ギンズバーグの PEP (Progressive Except Palestine) attitude, すなわち、「進歩派、ただし、パレスチナ問題は除く」の姿勢について、彼女が亡くなった後ではなく、且つ 2018年でもなく、既にその前年、2017年12月20付の記事で批判していたもの。


一縷の救い 〜 ルース・ベイダー・ギンズバーグは 2018年にイスラエルを訪れた際、イスラエルの反占領団体 B'Tselem の代表者と会っていたようだ

以下のリンク先は、イスラエルに住むイスラエル人(ユダヤ人)の人権活動家で、イスラエルによるパレスチナ占領政策に反対する活動を続けている非営利組織 B'Tselem の責任者(Executive Director)、東エルサレムを含む占領地パレスチナからのイスラエルの撤退を主張する活動家 Hagai El-Ad の、ルース・ベイダー・ギンズバーグが亡くなって 2日後の、2020年9月20日のツイート。

2018年7月にイスラエルでジェネシス賞財団からの Genesis Lifetime Achievement Award という賞を受賞する、その受賞スピーチをしながら、パレスチナとパレスチナ人の人権について、その年におけるガザ地区のパレスチナ人のデモ行進に対するイスラエル国軍の残虐行為、武力弾圧についてすら、口を噤んだルース・ベイダー・ギンズバーグが、Hagai El-Ad には会っていた。

公の場ではパレスチナ人の人権擁護について一切語ることのなかったユダヤ系アメリカ人の「リベラル」人士ルース・ベイダー・ギンズバーグだが、亡くなる 2年前に Hagai El-Ad と会い、彼からイスラエルとパレスチナの問題、イスラエルによる不当かつ違法な占領とパレスチナ人に対する人権弾圧について話を聞き、せめて頭の中ではある程度の理解を深めていたもの、そう思いたい。 


以下、本投稿筆者の、自分向けリマインダーを兼ねて。


コリン・キャパニックの反人種差別・抗議行動を非難し、イスラエルによるパレスチナ人に対する深刻な人権侵害に関しては沈黙したルース・ベイダー・ギンズバーグ 〜 そんな彼女を称賛・礼賛しかしない自称「リベラル」メディアに送りたい二つのイメージ

一つ目としては、本投稿の第2章「コリン・キャパニック 〜 ルース・ベイダー・ギンズバーグの一つのアティテュードを知るために」において掲載したもの、それを再掲載する。 

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もう一点。

アメリカの警察が、イスラエルのパレスチナ違法占領において活躍する治安部隊であるイスラエル国軍と長い間、トレーニングのための交流をしているのは既にアメリカ国内でも多くの人に知られ始めていることで、Jewish Voice for Peace などの組織がかなり以前からこれを批判・非難し、止めるよう声を挙げている。

アメリカの警察が(とりわけ黒人容疑者に対して)しばしば見せる逮捕者の首を膝で押さえつける kneeling は、イスラエル軍が違法占領地で(犯罪者でもない)パレスチナ人に対して頻繁に行なっていることで、前者は後者からそうしたテクニックを学んだのではないかという声すら出ている。

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付録 1: イスラエル・パレスチナ問題に絡み、マスメディアもしくは「リベラル」な人たちが決して批判しようとしない、その他の人たち 〜 ボブ・ディラン

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付録 2: イスラエル・パレスチナ問題に絡み、マスメディアもしくは「リベラル」な人たちが決して批判しようとしない、その他の人たち 〜 ユヴァル・ノア・ハラリ

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